新たに町内会の本を出します。
『どこまでやるか、町内会』です。ポプラ新書からです。
前著『“町内会”は義務ですか?』が町内会をめぐる基本問題(プラスぼくの体験)を書いたとすれば、今回は、それを出してから、町内会関係者や町内会に入らない人たちから聞いた悩みを受けて書いた、実践的な本です。
ネットでPTAの話題があったとき、ぼくは「必要かどうか」と「任意か強制か」を区別して議論しろ、と書きました。当然町内会も同じことが言えます。
PTA問題は「必要か不要か」で論じるべきではない - 紙屋研究所
つまり、いくらPTA(や町内会)は「必要がある」と言っても、そして本当にどんなに「必要」だったとしても、「任意加入だから私はやりません」と返せば終わりです。論理的・原理的にはこれで全て完了。
だけど、この本(『どこまでやるか、町内会』)では、一見するとまったく逆のことを書いています。
要するに、「町内会のやっている事業は本当に必要なのか」ということを、くどいほど書いている本なのです。そして、「住民に対する責任を果たす」という水準から見て、町内会が「必要」と言える事業はほとんどないことを、これでもかと言っています。
あれ、お前、正反対のこと言ってねえか?
実は、PTAの議論をしているさいに「ねむれないさかな」さんという方のブログ記事を紹介しましたが、この方は記事の中でPTAの事業の必要性を、どちらかといえば不要論者の気持ちを反対に煽る、もっと言えば「逆なで」するような書き方で主張していました。
ところが、オチは、“でも任意加入だし、離脱は自由”。
それなら文句は言えません。
しかし、実際には、そういうオチをつけてくれません。
- こんなに必要だから、誰かがやらないと。
- お前は逃げるのか。義務を果たさないのか。
- こんなに必要なことをやっている人はやるべきことをやっているけど、お前らはその人たちの善意に甘えているんだ。フリーライダーだ。
こういうロジックで強く「加入」を迫ってくるわけですね。
強制でないよ、と言いながら、事実上加入を迫る。
引き受けなければ、いろんな圧力や陰口、差別にさらされる……感じを与える、というわけです。
この神話を崩したい、と思いました。
つまり、あなた方のやっている事業は、「住民に対する責任を果たす」という水準から見ると「絶対不可欠」というものはありませんよ、ということを一つ一つ検証しながら書いています。
冒頭で「ゴミ出し問題」を紹介して、ゴミを出せない問題の3つの「解決方法」の中に、この問題を考えるヒントが全て詰まっていることを示しました。
だから、世の中に、「絆」とか「地域力」という言葉で、町内会の大切さが無条件で説かれる言葉があふれているもとで、町内会の事業はこんなに「必要不可欠ではないもの」なんです、ということを論じる、実に珍しい本になりました。
実践的に言えば、町内会をやっている人が悩んでいることにもつながっています。
悩みとは「担い手がいない」ということ。
そりゃ仕事が多すぎてそんな地獄に誰も近寄ってこないからですが、いざリストラしようと思うと、どれも切れないような気がしてくる。それどころか、検証作業を始めたら、「あれも必要だね」と逆に増えてしまうなどという話も聞きます。
で、町内会を熱心にやっている人は、どうしたらリストラできるか、その基準を考えるのに悩んでいるのです。
本書では、リストラの基準を示しています。
しかし、これだけでは、「町内会不要本」と同じになってしまいます。
この本がめずらしいのは、そこからさらに「町内会は必要だ」と説いていることなのです。そんなアクロバティックなことができるのか? それは読んでのお楽しみです。
しかも、空論でそんなことを言っていてもダメなので、実際にやっている町内会を取材しています。
もちろん、ぼくがいた団地の自治会は前著でも紹介したし、今回も少し触れていますが、それだけではありません。他にもこんな町内会があるんだ!と取材してみて驚きました。それを紹介しています。
さらに。
オトクな知識として、コラムのところで、「賃貸のアパートに住んでいるけども、町内会に入るように契約条項に入っていたので、やむなく結んだけど、これってなんとかならないの?」という疑問にも答えています。
弁護士の方に取材をして、明らかにしました。
ぼくも目からウロコでした。
というわけで、「町内会はこんなに不要なものをいっぱい抱えていて、それはリストラできますよ。こうすればできますよ。でも、町内会は必要なんです。みんなが納得して、後継者もでき、長く続けられる町内会はどうしたらつくれるのか、示します」という実に奇妙な本が出来上がりました。