五十嵐健三『匿名の彼女たち』

 『匿名の彼女たち』は、正直に言えばわりと楽しみにしているマンガの一つである。
 風俗が好きな33歳のさえない独身サラリーマン男性が、全国に出張するさいに、ほうぼうの風俗店に立ち寄り、そこであった出来事を淡々と、主人公の視点から言えばペーソスを交えて描いていく作品で、「全国風俗図鑑」の役目をはたしている。


 まず、なぜ既婚男性であるぼくが、この作品を「楽しんで」いるのか、その側面を書いてみる。
 本作についてネットでいろいろ見たところ、レビューもいくつかあり、ぼくが考えていたことをすでに述べてくれているので、それを手がかりにしてみる。

知らない人のための最強風俗教本「匿名の彼女たち・第2巻」 - 無駄話 知らない人のための最強風俗教本「匿名の彼女たち・第2巻」 - 無駄話

そもそも風俗情報を知りたければ、風俗情報誌を読めばいいんです。そうではなく、風俗に興味はあるけどよく知らない人が“パッと見で風俗漫画だと分からない表紙”の漫画を買うことに意義があると思うのです。ここには全てが詰まってます。

http://d.hatena.ne.jp/toldo13/20140505/p1

 まったくその通り。風俗を実際に利用するかどうか別にして、風俗に「興味」があるぼくのような御仁が、手を伸ばせる低いハードルの案内としてまさに本書は機能している。
 最新刊5巻の冒頭に、「日本全国色街マップ」がついているが、

男性の方。出張、観光のおともに。
女性の方。彼氏の行動チェックに!

とある。「女性の方」は単なるエクスキューズで、「出張、観光のおともに」するための「実用的」な本である(風俗雑誌を買えない人のための)。


 物語の形式は、本当に判で押したように決まっている。
 出張なり、営業なりの仕事で、地方に出かける主人公。だいたい情けない気持ちを抱えている。そして、その地方にある風俗店に入る。「嬢」が出てくる。見た目の品定め、性的サービスをメニューごとに一つひとつ評価を(心の中で)して、「行為」後のピロウトーク的なものに移る。そこでその嬢がここに来た背景や考えていることが語られ、主人公はそれに共感したり、反発したりして、やや哀感を持って終わる……おおよそこんな感じである。


匿名の彼女たち(1) (ヤングマガジンコミックス) このマンガは、ストレートなエロマンガとしては機能しにくい。
 このマンガを享楽的に読もうとする男性側からの批判は、アマゾンの低評価レビューが典型だろう。

表紙をみて結構絵が上手いかもと思って購入してみました
開けて見てみたら何で顔が書かれていなかったのかが解りました
絵が下手なんです、しかも女性が色っぽくない
せめて女性絵だけでも可愛い、妖艶であれば男としての用は足せるのですが
なんせ下手

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R345880O7MZ4E

キャラクターの絵は古臭いエロ雑誌みたいな感じでもし顔が表紙に載ってたら手にとってなかったと思います。
表紙デザインした人はやるな〜と感心しました

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R16S6059SDKKGY

だいたいここに言い尽くされている。


 つまり「おかず」としては機能していない。
 しかし、作品には絵柄が合っていることを、例えば次のレビューはこう述べている。

ヤングマガジン連載中の「匿名の彼女たち 第1巻〜第3巻」をレビューするよ - Aggressive Style 5 ヤングマガジン連載中の「匿名の彼女たち 第1巻〜第3巻」をレビューするよ - Aggressive Style 5

インターネット上で絵も下手って声もききますが、一ラブライブ!病患者としては丁度良い感じですね。下手に綺麗に書いちゃうと、夜の歓楽街の汚い雰囲気に合わなくなってしまうので。

http://ryuichixp.hatenablog.com/entry/2015/12/31/085025

 とは言っても、本当に「汚い雰囲気」を描いてしまうわけではない。
 中途半端に自然主義的リアルだけど、中途半端に妄想を託せる作り込みがある。
 風俗情報としてもおそらくそうなのだろう。その名も「中途半端」というタイトルのレビューがアマゾンに載っているが、

アダルト本としては、淡泊過ぎ。

風俗の紹介としても浅すぎ。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RQTC3FKWRPQMW

とある。風俗嬢の実態や問題提起でもない、と怒っているアマゾンのレビューもあったが、時々に嬢たちの生い立ちがやや悲哀を持って描かれるが、別に彼女たちの実態がルポとして詳細に載っているわけでもない。通りすがりに女を買った男の、ただの感傷なのである。
 そう、何もかも中途半端。
 そして、その革命的な中途半端さが本作の売りである。上記のレビュアーが

逆にそういうとこが、抵抗無く誰でも読めるのかも。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RQTC3FKWRPQMW

というのは、核心をついているだろう。


 ぼくのような、実際には風俗を利用しない男性が、半分は「風俗ってどうなっているんだろう」という純粋な興味、半分はスケベ心、つまり自分が風俗を利用していることを想像するために、本当に程よく温度調整がされている中途半端さなのである。

「風俗を楽しむマンガをお前は楽しめるのか?」

 さて。
 それは、ぼくがこの作品を「楽しんでいる」側面。
 同時に、この作品は、風俗を享楽として扱っている。
 そうすれば、当然それに対する公正を求める視点からの批判もある。


 全員がそうだということはないにしても、経済的事情や貧困、ひょっとしたら暴力(無知に基づく支配のようなものも含めて)のために、やむなく性的サービスをさせられている女性はいるだろう。
 そういうサービス、あるいはサービスをする女性について描かれたものを、お前は楽しめるのか? と。
 あのなあ。例えばだよ。お前、今着ているの、それユニクロだろ? ユニクロだってそもそもブラック企業って告発されているし、中国の下請けで過酷なことさせて作ってるじゃん、そういう製品をアンタは着てないんですか? ユニクロだけじゃねーよ。お前らが生活で使っている物の中で、過積載やバリバリ長時間労働させられているトラックで運ばれた商品はないのかよ。アマゾンで「安いわー」とか言っている商品がどんな輸送労働に支えられているのか、オマエは知ってんのか。そういう物にどっぷり浸かった生活しながら、性的サービスだけことさら取り出して「貧困や搾取を前提にしたサービスはけしからんざます」とかどの口が言うんだ。上の口か。
 ……とか、そんな開き直りはしない。


 うーん、うまく言語化できないけど、性的サービスの労働をするというのは、やっぱり大半は程度の差はあっても経済的な事情があってそうしているんじゃないかと思うから。どれだけカジュアルに「手っ取り早く稼げるからですよ!」って言ってみたところで立ち入ってみればそうでないような気がするから。
 自分がこれから借金のために風俗をやらなきゃいけなくなった女性が、街ですれ違う、口がニチャニチャした小汚いおっさんの、口の粘りが気になってしまう話が『闇金ウシジマくん』に出てくる。ぼくは、街でいろんなおっさんを見るたびに、「自分がもし風俗嬢になったら、こういうおっさんを相手にするのか」と想像することがある(本作の5巻では、神戸・福原の風俗店で口臭スプレーを客にかける話が出てくるが、不潔な口の客の相手をさせるということは風俗嬢にとってもやはり大きな壁なのだろうと思った)。マジで。いやだなあ。ホントにいやだなあ。それってやっぱりお金のために、やらざるを得ないってことじゃないのか、って思ってしまうのだ。
 いや、別にその辺りを本当に一人ひとりつぶさに調べたわけでもない。
 本当にそういう背景がなく、セックスとかふれあいが好きだという女性がいたとしたら、お金でそういう「癒し」を買うことはありえるのかもしれないが、今のところぼくには想像できない。
 だから、リアルに「女性を買う」ということは、倫理的にも感情的にもできない。まあ、あと、一夫一婦制の観念に基づく倫理観の縛りはあるけど。
 リアルには風俗に行かない。だから、フィクションを読む。
 そういうことである。

「女性を見下しているんじゃないか?」

 もう一つ、公正の立場からの批判がある。
 アマゾンのレビューにたくさんある、女性をバカにしているという角度からの批判である。

働く女の子たちを見下しているような描写、実際の女の子たちもいかにも頭が弱そうな描かれ方をしています。
またそれだけにとどまらず、女性全体に対する特に理由の明かされない嫌悪と罵りの言葉が何度も出てきて、男性とともに帰宅した近所の女性に対してはヤリマンとまで書かれてなんのフォローもありません。主人公の趣味は風俗で、行く先々で女性にサービスを受けたり性交渉を持っているにも関わらずです。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2OWZ0MX8MZ2FP

 まず、そんなに頭が弱そうには描かれていませんよね、と思う。そういう女性も描かれているが、総じてそこまでではない。
 次に、見下していないか、という問題ではどうか。
 主人公が出てきた風俗嬢をまず容姿で評価し、次に個々のサービスで評価する言葉が入るので、もしこれを一般の女性に対して行えば、確かに見下している感満載である。しかし、サービスという商品の購入者である場合はどうか。
 確かに、人格に深く食い込んだサービス商品への品定めは、人格への品定めをしている錯覚に陥る。厳密にいえば、内面ではなく容姿を評価し、個々のサービスの質を評価しているのだ。
 介護サービスと比較してみる。
 介護サービスでは、性的サービスほど容姿は問題にされない。しかし、柔らかい雰囲気とか、あたたかみのようなものはサービスの買い手から評価をされる。加えて、物腰や態度、服装などが値踏みされる。こうしたものと一体に身体への介護サービスの優劣も判断される。介護サービスもかなり人格に食い込んだ評価になりがちではないか。
 この点で主人公についていえば、具体的なサービスの場面での見下し感はあまりない。むしろ、かなりニュートラルな技術評価をしている印象さえある。
 ただし。
 この主人公には、このレビューの指摘通り、女性嫌悪がある。女性を嫌悪するがゆえに女性を買っているという極めてロジカルな構造が本作にはあり、根本的には女性を見下している、と言えるかもしれない。


 ということは、女性を見下しているという心術はこの作品に忍び込まされていると言っていい。しかし、それは抽象化されている上に、創作物だから、具体的女性は被害を受けていないので、男性として楽しむための障害にならない、といういつものメカニズムが作動する。
 むろん、「それは女性全体を貶めることの強化につながらないか?」という批判は、確かにそうかもしれない、と言うしかない。それはわかるが、楽しめないかといえば、楽しんでしまえるのだ。現時点では、気をつけます、というほどにしか答えられない。