宮田紘次『犬神姫にくちづけ』


ナナとカオル 1 (ジェッツコミックス) SMと聞けば、ムチやローソク……というイメージをもつ人は、まあ、まだ一般的に多いよね。甘詰留太ナナとカオル』を読んでも、こうした「道具」が最初は前面に出てくるから、そういう印象をはじめに持っちゃう人はけっこう多い。


 もともと「攻め」と「受け」がSM用語からの転用だという主張もあるように、逆にいえば、現在、性における能動・受動の関係を広く表す「攻め・受け」の関係を極端にしたものがSとMだということもできる。
 異様なまでに高感覚な女性のみなさん=腐女子どもだけが明示的にハアハア言っているだけなんだけど、本当は、多くの人が「攻め」「受け」のような性をめぐる関係性に、何らかの形で萌えているはずだ。根拠はないけど。つまり、腐女子っていうのは、この関係性におけるものすごくハイセンスなニュータイプだというわけで、いわば「攻め・受け」関係性の炭鉱カナリアみたいなもの。本当はそこに微量な「攻め・受け」関係があって、凡人は知らずにその関係性に萌えたり毒されたりしているんだけども気づかない。そこに腐女子を投入すると、たちどころにそこにある「攻め・受け」がわかるのである。いや、知らないけど。


 SとMはそうした関係を固定化・単純化して、極端なまでに押し進めたものである。だから、「攻め・受け」的な人間関係が一般人にもわかりやすく表示された形だといえる。


 同時にSMにはもう一つの大事な要素がある。
 それは肉体を虐めたり、限界にさらしたり、過剰に意識させるところに追い込んだりすることで、自分の中にある性的な感覚や性的な肉体部分が研ぎすまされていくことだ。
 『ナナとカオル』はそのことがロジカルに説明されている。

一体ぼくは何を見たがっているのか?

犬神姫にくちづけ 2巻 (ビームコミックス) 宮田紘次『犬神姫(わんこ)にくちづけ』は一見してわかるとおり、SM的な関係が軸になっている。
 「ラッキー清掃」という清掃会社が舞台で、掃除は掃除でも、除霊を特殊任務とする会社である。入社して除霊のチームに入ったのは栗生(くりゅう)かずらという女性で、課長の犬養影之にキスをされると退魔の戦闘能力を持った猛犬に変身する。しかし、その霊的能力は処女=未通女であるがゆえの特殊能力であって、もしセックスをしてしまうと、その能力は消えてしまうのである。
 この作品、少なくとも2巻まで、どのエピソードを見ても、物語の展開としてはそんなにヒネりがあるというわけではない。妖怪のような霊が毎回登場してそれを除霊するという、ごく単純な構成だ。描かれているかずらと犬養の関係にも、とりたてて深みがあるような描写はない。


 それでも、ぼくは、この作品、1巻も2巻も繰り返し読んでしまう。
 一体ぼくは何を見たがっているんだろうか、と考えてみる。


 そこで思い当たったことは、やっぱりぼくが一番見たかったのは、「クールな男性上司が、M気質満載の女性部下を手玉にとって使いこなし、女性部下は男性上司の忠実な犬のように、つうか文字通り犬となって能力をフルに発揮している」というシチュエーションだったということだった。
コバちゃん開発日誌 (バーズコミックス) たとえば、部下と上司のSM的な関係を描いているものは、手近なものを一つ例にあげるとすると、きづきあきら+サトウナンキ『コバちゃん開発日誌』があるけども、こちらはあまりぼくの心に響かない。
 それは作品の優劣じゃなくて、単に好み(現時点での性的嗜好)の問題ということになるだろうが、『コバちゃん開発日誌』には、男性上司が女性部下を完全にその手のひらの上で転がしているという設定がない。そして、『コバちゃん開発日誌』では部下は気持ちが揺れ動き続けているのだが、『犬神姫(わんこ)にくちづけ』では、上司が好きという点ではブレがない。まさに忠犬。
 1巻では、主人と奴僕ではなく、パートナーなんだとそれぞれが言う場面があるけども、いや……やっぱり違うだろ。「犬は人間の大切なパートナーです」などという建前のように鼻白んでしまう。


犬神姫にくちづけ 1巻 (ビームコミックス) もともとこの作品を手にとったのも、かずらがいかにも抗い難い顔で犬養を見つめ、犬養の言いなりになってしまう、その関係性が、一見して表紙から読み取れたからだった。うわあ、美味しそう、てな具合に。
 かずらが自分に宿る犬神を降ろすと、臆病で非力な女性が、獰猛で果敢な獣に変わる。強敵を喰いちぎる、風のような速さの行動には、まったく迷いがない。仕事をするかずら=犬神は、見違えるように有能なのだ。
 女性は性的に男によって抵抗不能なまでに完全に支配され、骨の髄から男性に奉仕して、男性に愛情を注がれることで、強くなり、能力を発揮している。女が男によって生かされている、という古い演歌を、こんなにまで垂涎しながら待ち望んでいるぼくがいるのだ。
 
 犬養の造形も、ぼくのツボにハマった。犬養は汗一つかかない、冷徹な機械である。クールさを崩す人間くささがまったくない。その安定した感覚が、むしろこの構図を安心して読ませるものになっている。
 作者・宮田の意図は、上々の成功を収めたわけである。ぼくにとっては、ね。

犬養課長のモデルは、バナナマンの設楽統さんです。見た目が、っていうわけではなくて、雰囲気──バナナマンの「SがMを気持ちよく転がしてる感じ」──を参考にしました。設楽さん単体ではなくて、Mのかずらを含めた状態で、その「関係性」のモデルにしています。

そこを意識していく中で、課長は「冷や汗をかかない」「照れて頬を赤らめない」という人になりました。1話目では例外的にそういう場面があるんですけど、それ以降は気をつけてます。とにかく何が起きても余裕たっぷりで、どんな危機的状況でもふざけてる、というイメージです。キャラクターがすでにそうなっているので、キザなセリフを言わせても、描いてる自分が恥ずかしくならないのが気に入っています。

http://natalie.mu/comic/pp/miyatakoji


 そして、何よりも、忠犬として犬養になつく、かずらの奴僕的な表情、霊的能力を発揮するときの断固たる表情がとてもいい。

 ぼくは性的な絵本として、本書を愛で続けるだろう。