初心者が竹島問題を学ぶ2著

「我が国固有の領土」とは

 竹島尖閣諸島についての政府見解で「我が国固有の領土」って出てくるけど、あれってどういう意味だろう。
 「固有」がわかりにくいのな。固有って、領土問題では、その国だけのもの、って意味じゃねーの? 領土がどこかの国のものだなんて当たり前じゃん。
 「大辞泉」とかみると「1 本来持っていること」「2 そのものだけにあること。また、そのさま。特有」ってある。それでもよくわかんねーぞ、と思うわけだが、これを「固有の領土」という言い方の解説としてみてみると、(1)昔からその国の領土だということ、(2)その国にしか属したことがない、とかいう意味かなあ……とぼんやり。


 最初はネット上のサイトをみた。
 ここのサイトをみると、
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou4.htm

現在、政府の言う「固有の領土」とは「わが国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない」という意味です。

http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou4.htm


 ふむ、だいたい満たしてるよな。


 実は、政府の見解があるらしい。「固有の領土の定義如何」という鈴木宗男質問主意書にたいする答弁書(2005年11月4日)が出ているが、次のようになっている。

政府としては、一般的に、一度も他の国の領土となったことがない領土という意味で、「固有の領土」という表現を用いている。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b163039.htm


 「わが国民が父祖伝来の地として受け継いできたもの」という意味は必ずしも入ってないわけね。たしかに、竹島尖閣諸島、千島はこう議論すると「じゃあ平安時代からそうなの?」とかいうことになると、難しくなっちゃうもんなあ。
 竹島問題でよくモノを言っている、国会図書館出身の東海大学教授・塚本孝が話したことが「講演メモ」としてネット上にアップされている(「竹島領有権紛争の焦点――国際法の見地から」)。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf
 ここでは、「固有の領土」を次のように論じている。

固有の領土というのは、これまで一度も外国の領土であったことがない領土、他国との間でやりとりしたことのない領土という意味である。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf


 塚本は、北方領土にかかわって「固有の領土」をこう述べた。


本州、四国、九州などは、そこに日本という国家が生まれた本来の固有の領土であるが、例えば千島方面の諸島について、ウルップ以北のクリル諸島が1875年の樺太千島交換条約で日本に割譲されたのに対し、歯舞、色丹、国後、択捉の“四島”は、日露両国が1855年に最初の条約を結んだときに日本領土であることが確認されていることから固有の領土であるといわれる。この場合、“四島”が太古から本州、四国、九州と同じ程度に日本の領有権が確立していた地域であるという話ではなく外国から割譲を受けた土地でないという意味で固有の領土といっているのである。竹島も、この意味で固有の領土である。〔強調は引用者〕

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf

 日本側が、侵略ではなく平和裏に結ばれた千島樺太交換条約を根拠にして千島全島を自分の領土だと主張するのではなく、1855年日露和親条約を根拠にして南千島までの返還を要求するのは、「固有の領土」論にもとづいているからだとわかる。


史的検証 竹島・独島 竹島(独島)は韓国のものである、という結論に達した内藤正中・金柄烈『史的検証 竹島・独島』(岩波書店)は、「固有領土」論批判を展開している。そのなかに「固有領土論をめぐって」という章立てが出てくる。しかし、「固有領土」とは何か、という説明はそこにはない。この中で展開されているのは、前述の定義づけにかかわっていえば、「昔から日本のものであった」という議論の批判である。
 しかし、「近代になってからであっても、日本が領土にしてから一度も他国のものになったことはない」という日本の外務省がしている定義はここでは批判されていないことになるのである。


 このように「固有の領土である」という言い回し一つをとってみても、それが一体何を意味しているのかは、ぼくらのような一般国民にとっては必ずしも明らかなことではない。


領土問題を初心者が学ぶための2著

 領土問題で初心者が知りたいのは、そういう議論のもとになっているポイントだ。
 いまこの記事を書いている目の前でNHKテレビは「おはよう日本」が「週刊ニュース深読み竹島尖閣諸島 みなさんの疑問に答えます』」という特集を流しているが、近代以前の竹島と日本のつながり、領土編入の年表的紹介、サンフランシスコ条約、李承晩ラインを説明しているだけである。おたがいの言い分として紹介されたのは「うちの領土だ」「うちの領土だ」という情報量ゼロの話
 そして「サ条約に竹島のことを書いてあるのか」などと唐突にゲストに聞き出す。
 フリップが出されたが、突如「実効支配」という言葉も出てくる。


 初心者はたとえば「領土ってどうやってきまるの?」という原則の初歩が知りたいのだが、いきなり主張と経過、そして領土をめぐるホンネ(多くは日本以外の「どす黒い野望」)を乱暴にまとめて「わかりやすく」したつもりのものが多い。


 ぼくなんかが疑問に思うのは、竹島の話なんかでよく「江戸時代にこう使ってきたぜ!」とか「うちはもっと早く知ってたぜ!」とかそういう議論があるわけだけど、「知ってた」とか「使った」とかそういうのって領土の根拠になんの? そもそも領土みたいなカッチリ線を引くのは近代以降の話じゃないのか? だとしたら、近代以前にあんまりハッキリした基準もないのに領土とか決められるの? などということだ。

これならわかる日本の領土紛争―国際法と現実政治から学ぶ こういう初歩的なところから教えてくれる文献が、少なくともぼくはなかなか手に入らなかった。
 よかったものを2著作紹介しよう。
 一つは、以前にも紹介した松竹伸幸『これならわかる日本の領土紛争』(大月書店)である。

松竹伸幸『これならわかる日本の領土紛争 国際法と現実政治から学ぶ』 - 紙屋研究所 松竹伸幸『これならわかる日本の領土紛争 国際法と現実政治から学ぶ』 - 紙屋研究所

 もう一つはさっき挙げた塚本孝の講演メモ「竹島領有権紛争の焦点――国際法の見地から」である。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf

実効支配とは

 たとえば、松竹は、実効支配という考え方をおそろしく簡単に説明(「〔竹島は〕韓国が警備し、漁業を営むなど、支配権を及ぼしています。これを国際法の用語では、実効支配といいます」p.14)した後、

ある場所がどの国に属するかは、誰がどうやって決めるのでしょうか?(松竹p.16)

から話をおこしていく。住んでいるという基準だけなら瀬戸内海の無人島はどうなるのか、と続ける。

だからといって他の国がしゃしゃり出てくることはない。なぜかというと、夏休みには海水浴に使ったり、日常的には漁業の根拠地となったり、産業廃棄物の捨て場所となったりと、やはり日本人だけが使っているからです。すでに紹介した実効支配という考え方です。(松竹p.16-17)

 まずこういう簡便な基準をたてることで、近代以前の竹島ではその判断が難しいことを次のように書くのである。

一方、竹島には、ずっと長い間、人は住んできませんでした。岩でできた島で、水さえも十分になく、農業はおろか、持続的に生活することすら難しいからです。そういう点では、もともとどちらの国のものかということは、そう簡単には判別できない性格の島なのです。(松竹p.17)


 日韓双方に、近代以前この島にかかわりがあったものの、それが「実効支配」とよべる水準できちんと決められるか、という難しさを書いている。
 基準が明瞭であるがゆえに、判断の結論が不明瞭にならざるをえない――ここに、近代以前の竹島領有論争の難しさがあることを読者はきちんと押さえることができる。松竹のスタンスは、領土紛争というのは、どちらかの言い分が間違い100%ということはほとんどないので、その相手の論拠にいったん深々と身を沈めてみるというものである。そうすることで、「なぜ長年なかなか解決しないのか」――その複雑さを初心者なりに知ろうではないか、ということに腐心している。

国際法とは、領土取得とは、先占の要件とは……

 この点をさらに初心者むけにつきつめたのが、前述の塚本孝「竹島領有権紛争の焦点――国際法の見地から」である。
 この講演は、「歴史的にも国際法上も我が国の固有の領土である」という言葉に立ち入ってわかりやすく解説してくれている。タイトルにあるように、「国際法の見地から」が中心なのだが、それにかかわって歴史や「固有の領土」などについてもふれている。


 この論文では「国際法とは」からまず入る。そりゃそうだ。「国際法上も…」というのであれば、その国際法って何だということになるからだ。
 簡単にいえば、強制力に担保されていないという点で国内法とは違うが、慣習によって生み出され、国際社会=独立国家クラブにおいて、会員(国家)と会員(国家)の関係を律するルールとして、成り立っている。それを無視すると公言している国家はない。
 まさに、会員制クラブの自主ルールと同じで、守らないからといって警察につれていかれることはないが、それを守ることでクラブの一員たりえているわけである。
 だから国際法のうえで道理があれば、独立国家としては従わざるをえないものだということだ。


 次にシロウトたるぼくらが不思議に思うのは、どうしたら領土というのは自分の国のものだといえるのか、そのルールはどうなっているのか、ということである。塚本はここで、領土取得方法の5つの類型を紹介する。譲渡、征服、先占、添付、時効だ。
 そして、竹島において問題となる「先占」について4つの要件を紹介する。そのなかで近年、支配の実効性が重視されているということをのべ、

無人島については定期的に周囲を巡回するだけでも実効的な支配となりうる

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf


ことをなどを指摘している。土地に課税するとか、そこで生じた事件に裁判権を行使することなんかも含まれるよ、とも。実効支配というと、人がすんで、軍隊で囲って……ということを想像するぼくらからすると、「あ、そんなことでも実効支配っていうんだ」という認識を得ることになる。
 「え、そうすると、韓国が竹島を実効支配しているわけで、どんどん時間がたったらヤバいじゃない!?」と思うかもしれない。しかし、


国家権能の発現は「平穏な」ものであることを要し、他国の抗議を受けながら行うような場合は、平穏な発現とはいえない。


とちゃんと付け加えている。


 塚本論文は、さらにぼくの疑問に対し、痒いところに手が届くように気が利いている。
 さっきも言ったけど「国際法って、近代以降の話じゃないの? そういうところに国際法の道理とかってありうるの?」という疑問だ。
 塚本はこの点について、日本政府が韓国政府と竹島問題で論争した際の書簡を引用している。

開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土と考え、日本の領土として取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するに十分であったと認められる

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf


 こうして、国際法の問題ではなく、近代以前に日本や韓国(朝鮮)が竹島をどう扱ったかを歴史的事実の問題としてみていくのである。
 このように順序立てて説明されて、近代以前の歴史的事実をみるのが必要なのかが初めてわかる。

近代以前ははっきりと勝負がつかない

 ここはすごく乱暴にいってしまうと、韓国側の主張は、ものすごく古くから(6世紀くらい)から歴史書にそれっぽい記述が出てくるし、地図にも出てくるけど、それが本当に今の竹島のことを指しているのかどうか疑わしいなあ、というものである。
 日本側は江戸初期に竹木伐採、アワビ漁、アシカ猟で鬱陵島にいくさいに目印や中継点として利用した。だけど、幕府や関係藩が「鬱陵島はうちの領土じゃないし、竹島もちがうよ」と2回くらい言ってしまって、明治政府になってもそれを受け継いで最初はそういっちゃっているから、近代以前についてははっきりと日本のものだとはいえないよなあ、ということなのだ。


 こういう認識差になる自然的理由として、松竹は推測を書いている。
 韓国は鬱陵島で漁をすればよく、わざわざ何もない竹島まで命がけでいく必要はないので認識もいい加減だし、いつまでたってもきちんと利用する形跡がないけど、日本側は竹島を経て鬱陵島へ行く以上、竹島の認識がどうしても正確なものになるし、利用の必要性が出てくる、というわけである。

 
 竹島は日本のものだと結論づけている塚本さえも、この点は、

日本は、日本人が政府公認で漁猟を行い、実見に基づく絵図が作成されるなど、竹島に対し歴史的権原を有していた。ただし、領土としての認識、取り扱いは、それだけで日本の領土であるといえる程度に確実ではなく、将来、この歴史的な権原が近代国際法上の権原によって補強されるべきものであった

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima05/rennkeidanntaigyouji.data/tukamoto071017.pdf


とのべている。


 つまり、問題は近代にもちこまれることになる。


ギリギリ先占の要件を満たしているが…

 明治政府になって初めの頃は、“あれは我が国とは関係ないよ”という見解を出してしまうのだが、それは幕府の認識をうけついだものである。
 それで、よくいわれるように、20世紀になって竹島で漁をやりたいという中井なる日本人がその許可と竹島の日本領編入を政府にお願いし、1905年に編入した、ということになっている。
 問題の一つは、ここで韓国領土だったものを編入したのか、それとも無主地、つまりだれのものでもない土地を編入したのか、ということである。さっき述べた「先占」が妥当だったかどうかということなのである。
 塚本も松竹もこれを初心者むけに検証している。
 中井の届出の前に、韓国が勅令で「石島」を領土だと布告している。この布告については塚本と松竹では意見が分かれている。
 塚本は「石島=竹島」というのはおかしいと主張している。実は、“竹島は日本領だという決め付けから出発したくない”として日本政府の見解も韓国政府の見解も批判している池内敏もこの勅令で突然「石島=竹島」っていうのはどうなんだ、と疑問視しているほどである。*1


 松竹はこの勅令の言い分「石島=竹島」を認めている。
 しかし、塚本にも松竹にも共通しているのは、韓国側には先占の要件である実効支配がないということなのだ。「言っただけ」なのである。


 つまりこのプロセスだけをみるなら、ギリギリで無主地の先占として日本領、といえるのではないか、ということだ。

外交権剥奪にふれる初心者向け解説は実に少ない

 しかし、松竹はここで「最大の問題」として植民地支配の問題をあげる。
 非常に簡単にいってしまえば、竹島の日本領編入の1905年9月には、日韓議定書、第一次日韓協約が結ばれていて、韓国は外交権を剥奪されている。韓国への忠告権、日本が推せんする外交顧問の任命などが盛り込まれているもので、そういう状況のもとでは、韓国は何も抗議できんし、実効支配の手だてなどとれんではないか、ということである。
 この見地は塚本論文にはゼロである。
 そして、テレビ・新聞などのマスコミの初心者向けの解説でも、この観点(韓国の勅令と1905年時点での外交権剥奪)にふれているものは、ほとんどない。せいぜい“韓国側が植民地支配の問題として騒いでいる”程度の扱いなのだ。


 これなんかも典型的にそうだよな。

時論公論 「竹島 何が問題なのか」 | 時論公論 | 解説委員室ブログ:NHK 時論公論 「竹島 何が問題なのか」 | 時論公論 | 解説委員室ブログ:NHK


 日本が暴力で侵略した土地は返せ、というのが日本が従い、国際社会が求めた日本の戦後処理の原則である。
 韓国側で起きている主張は、この戦後原則にのっとって、朝鮮半島は日本の支配から解放されたのであり、竹島も植民地支配のために侵奪された領土なのだから、韓国に返還されて当然であるというものだ。
 松竹や塚本はほとんど紹介していないが、竹島編入は、日露戦争という朝鮮支配をめぐる帝国主義戦争の戦略的ポイントとして考えられており、日本軍はそこを渇望していた、という論点もある。ゆえに、植民地支配と切り離せない行為が「竹島の日本領編入」なのだというわけである。


 しかし、国際法上の形式だけをみれば、1905年の領土編入はギリギリのところで国際法にはのっとっていることになる。だから、韓国側がこれを植民地支配の嚆矢だとみてその編入を不当だというのは、仮にそういう意図があったにせよ、意図や状況だけから問題をみるのであれば、やや乱暴な議論になるといわざるをえない。

 別の言い方をしよう。
 「植民地支配の走りであり帝国主義的強奪としての竹島編入」という主張と、「編入は一応適法だったが、韓国がそれに異議をとなえて論争するうえですでに外交権が奪われていた」という主張とは、別のものだということである。後者の論点では、日本の竹島編入の適法性の問題に一応対応しているが、同時に帝国主義的簒奪が進行してたという論点にもきちんと応えているのである。


 見てきたように、1905年の編入は本当にギリッギリの、薄氷をふむような合法性のうえにあるだけで、当時韓国側が抗議できなかったためにその合法性自体が疑問視される、という言い分であればわからなくもないのである。領土だと宣言していたが実効支配はなかなかできなかった、それは外交権を奪われたうえに、国全体が滅ぶ危機が進行していたからだ、という主張には、確かに耳を傾けざるをえないものがあるし、手放しで「あれは日本領だ」ということを言っていればそれで済むというものでもないだろう。

サンフランシスコ条約

 このあと、サンフランシスコ条約竹島がどう扱われたかの叙述が続く。
 簡単に言えば、竹島の帰属が書かれた草案が二転三転するのだが、韓国と日本の綱引きのなかで、最終的には起案した米国が韓国の再三の要請を拒否する形で決着したということになる。ただし、「竹島は日本のものである」と書かれたわけではない。
 韓国側の書いた論文を読むと、たとえば許英蘭は、韓国の問題を決めるのは米国や第三国ではないはずだという主張をしている。サ条約が何を決めようが、それで韓国の運命がどうなるものでもないじゃん、という考えだ。*2
 しかし、国際法が国際社会の慣習である以上、独立国家の多くがどういうふうに考えたかは決して小さなことではないだろう。だから、こういう韓国側の反論はやや乱暴に映る。
 ただ、松竹が選択肢の一つとして書いている「帰属は明記されなかったという解釈も可能」というのはありうる結論だ。起案者や締結国が棚上げした、というふうにもとれるわけである。
 だから、松竹が苦しんでいるように、サ条約をもって決着がついたと明確に言い切れるほどではないようにぼくには思われる。


歴史認識の問題にふみこまないのは誤り

 松竹の次の指摘が重要だろう。

結局、この問題の大事なところは、「どちらのものだ」と断言したところで、問題が解決するわけではないということです。日本国民の多数が「日本のものだ」という認識をもったとしても、それで韓国が、じゃあ竹島周辺を共同で管理しましょうと譲歩してくれるわけではありません。ましてや返還してくれるわけではない。(松竹p.48)


 松竹は植民地支配への反省が核心であるとして、明白な態度を日本政府がとることで、韓国民の心を開かせるしかない、という主張をする。日本は韓国でよいことをやったとか、日露戦争はいい戦争だったとか、そういう類の主張が政権与党周辺で跋扈するような状況を変えることだ。何よりも、日本政府は植民地支配の不法性を認めていない。

韓国に対する植民地支配の無法性については、以上のような理由から、日本政府は明白な立場をとるべきだと考えます。そのうえで、竹島というのは、当時の韓国が実効支配しておらず、植民地支配とは相対的に区別されるものであることを、諄々と説得していくべきだと思います。(松竹p.55)

 共産党志位和夫が韓国を訪問した時、韓国の国会議員が日本共産党だから植民地支配には反対しているので竹島問題でもいい意見をいうだろうと期待していたら、「あれは日本領だ」と志位が言ったので、一気に険悪ムードになった話がある。
 しかし、植民地支配のきちんと認めた上で、韓国が外交権を剥奪されていた事情を考慮して冷静な検証を共同ですべきだと提案し、なごやかなムードに戻った、という話がある。

 四つ目に、日韓の間にあるどんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度をとること――侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。


 たとえば、日韓の間には、竹島――韓国では「独島(トクト)」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。九月五日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。九月七日におこなったハンナラ党の金炯旿(キム・ヒョンオ)院内代表との会談でも、「この問題についても理解してほしい」と要請されました。


 私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、一九七七年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党の金炯旿午院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。私は、「そうです」と答えるとともに、「わが党は同時に、竹島の日本への編入が、一九〇五年という韓国の植民地化の過程でおこなわれたこと、当時、韓国はすでに外交権を剥奪(はくだつ)されており異議をいえる立場になかったことを考慮し、韓国側の言い分も検討しなければならないと考えています。植民地支配への反省を土台において、まずこの島をめぐる歴史的な認識を共有するための両国の共同研究をおこなってはどうでしょうか」とのべました。そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位さんのほうから言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました


 竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました(拍手)。一九六五年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両国政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合――植民地支配を不法なものであったと認めていません。それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、韓国国民の側からは、この問題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台のうえで竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実にもとづく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-28/2006092817_01_0.html


 野田首相は「竹島の問題は、歴史認識の文脈で論じるべき問題ではありません」*3と執拗に強調している。
 これは逆効果である。
 日本政府のロジックとしては、歴史認識の問題にひきずりこまれると、「独島は日本が簒奪した土地」ということになってしまうので、絶対に近寄るまいと考えているのだろう。
 しかし、歴史認識の問題でぐぐっと深く入っていったうえで、それとは区別されるのだというロジックをとらないと、韓国民の世論に迫ることはできないだろう。
 

*1:子どもと教科書全国ネット21編著『竹島/独島問題の平和的な解決をめざして』p.21〜23参照。

*2:竹島/独島問題の平和的解決をめざして』p.39〜40

*3:2012年8月24日記者会見http://www.kantei.go.jp/jp/headline/takeshima.html