加納朋子『七人の敵がいる』

「ボランティア」という名の強制

七人の敵がいる 加納朋子の『七人の敵がいる』は、出版社でバリバリ仕事をこなすが、キツいモノ言いしかできない子育て中の母親が、PTA、自治会、学童、少年スポーツといった「ボランティア」の役員に引きずり込まれていく様子をコミカルに描いた小説である。
 冒頭で小学校に入学し、さいしょにPTAの係など断じて引き受けられないと主人公・陽子が宣戦布告するシーンがある。

「そうは言っても」別な保護者が発言した。「現実に一児童につき役員二度という決まりがあるわけじゃないですか。みんながあなたのようなことを言い出したら、PTAなんて成り立たないじゃないですか」
「成り立つ必要があるんですか?」ごく冷ややかに陽子は言った。「見たところ、いらない仕事もずいぶんあるみたいですけど? 整美委員の花壇の世話なんて、なんで保護者がこんなことする必要があるんです? 成人委員の保護者向けレクリエーションだって、平日の昼間から保護者が集まってお茶会? フラワーアート? そんなのに集まれる暇な方が役員をやればいいんじゃありません? 他にも、教室で使うカーテンの洗濯だとか、七夕の笹の運搬だとか、子どものためなら必要ないとは言いませんけど、余計な委員や行事を削って、その分の予算で専門業者に頼めばいいだけの話じゃないですか」
(加納『七人の敵がいる』集英社文庫、p.16-17)


 これは、「ボランティア」という名で無償労働の強制がおこなわれている現場である。


 地域活動における無償労働の強制の状況やそれが引き起こす感情についての描写が、破滅的なほどリアルである。


 この前、長子を小学校に入れている保育園の保護者仲間の人に、クラスでのPTAの係決めの様子を聞かせてもらった(ツイッターのDMで)。
 以下そのDMを一部改変してご紹介する。

  • うちの小学校では、広報係、成人教育係、地域活動係の3人と、クラス委員の1人をあわせた計4人を各クラスからPTAの役として選出します。クラスの総員は25人。
  • 19時半開始。進行はPTAの役員がやってきて行います。担任も出席。 クラスの3分の2以上の出席が無ければ流会となり、後日再招集がかかるというきまりです。
  • うちのクラスは16人以上集まらなければなりませんでしたが、定刻までに来ていたのが12人、遅れて来た人も合わせても15人でした。
  • 当然のように定員集まらずwww流会かと思いきや、どうしても今回の出席者の中から選出させたい進行役www出席者の多数決で「流会に汁!」というほうが多数だったのにも関わらず強引ですw再調整が面倒な気持ちは分かりますし、流会なら次回ばっくれようとしていたのを読まれてますね、はい。
  • 引き受けて下さる方?の問に全員俯くwww目があったら話しかけられるので絶対に顔を上げないここ重要w乳幼児連れの人はここぞとばかりに赤ん坊の世話開始。赤ん坊GJwww 埒があかないので、議長は委員の具体的な招集回数なども含む、活動内容について説明開始。
  • 私はテトリスwww
  • 沈黙合戦wwwワロスwwwwwwwww決まらねえwwwwみんなクズwww


 30分をこえて参加者は誰もしゃべらない。
 『七人の敵がいる』の出だしの描写を彷彿とさせる。


 教室には、息が苦しくなるような沈黙が、どんよりと濃密に漂っていた。
 山田陽子はちらりと腕時計の文字盤に視線を落とす。もう丸々三十分が、ただ無為に過ぎている。いや、三十一分、三十二分……。
 誰も何も言わない。顔を上げようとさえしない。
(同前p.9)


 ぼくの保育園友人のDMのつづき。

  • 議長と目が合ってしまったのでw 保育園の保護者会で2年任期の要職やることになっちゃって厳しいんですけど、と言い訳してみましたら、子ども会とかで役員やる人もいるでしょ?と。関係ないそうです。


 目が合う瞬間のイヤな感覚と、言い訳*1を封じる圧迫が、小説にも登場する。


 先生は曖昧に微笑み、それから保護者達の顔を順々に見ていった。その動きが、なぜか陽子のところでぴたりと止まる。低学年用の小さな机は、黒板に向かってコの字型に並べられ、個々人の前には厚紙を三角に折った簡易ネームプレートが置いてある。書いてあるのは児童の名前だ。その名字部分を読み上げるような感じで、先生は言った。
「――山田さん、いかがですか?」
 後から考えれば、これが年若い先生の致命的で大きな失敗だった。
(同前p.12)

「それに……」赤ん坊を抱いた保護者も言い出した。「今は働いてるお母さんが多いんですから、仕事してるっていうのは言い訳にならないですよ。専業主婦ばかりに押しつけられても困ります。うちみたいに下の子が小さかったり、介護されてる方もいらっしゃるんですよ」
(同前p.16)


 再び保育園友人のDMにもどる。

  • 沈黙に負けた勇者:そうこうしているうちに名乗りでて下さった方が出てきて何とか4名決まりました。
  • 決まればめでたく解散です。ここで「わたし見た目でやり手だと勘違いされる(略」などと選出されたksが饒舌に語り始めたのでさっさと帰りました。…ここの息子さんとうちの子が友達なので授業参観に行くたびに捕まり授業中ずっと話しかけられて困ってたのでした。小学校は…色々います…orz


ママ友のオキテ。 又野尚『ママ友のオキテ。』でもこの沈黙合戦は登場する。相当に普遍的な現象だということだ。『ママ友のオキテ。』についての、ぼくのエントリから再掲。

 小学校のPTA役員のなり手のなさ、それを逃れるための必死の攻防に、げんなりする。


 自分が勝手に役員に推薦されていて周囲を疑心暗鬼で見てしまうとか、くじで出ていった会合でいきなり「ここで会長を選ぶ」という集まりであると明かされ、前役員が泣き落とし、1時間あまりの沈黙、役を請けられない言い訳の嵐となったあと、耐えきれなくなった人が「私が…やります」と手をあげる修羅。

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20111028/1319730200

役員を決める知恵

 『七人の敵がいる』には自治会の話も出てくる。
 主人公の夫が、自治会の会議に出て、能天気に「自治会長」を引き受けてくるのだ。
 完全に俺である。
 しかも、総務(事務局長)まで引き受けてしまう。これは、総務に決まりそうだった若い子育て女性(小川)が頼りなさそうだったために、夫が勝手に了解したのである。主人公の陽子は次の会議で怒鳴り込まん剣幕でやってきて決定を覆そうとするが、現在の総務である女性(岬)にたしなめられる。


 この自治会編(第4章)のリアリティは、岬が「自治会の役のうまい流し方」の知恵を授けるところだ。
 新しく自治会の役員になった人間は誰もパソコンが使えないから、結局総務の役割は陽子の家がやるしかないのだ、という。小川には代わりの仕事をしてもらえばいいではないかと岬は提案する。

自治会連絡会議への出席です。地域の会長さんたちが集まるわけですけど……山田さんが行っても旦那さんが行っても、ちょっと困ったことになると思うんですよね。この辺の連絡会議は商店街の古参のお年寄り達が仕切ってて、最初の会合で色々お仕事を割り振ったりするわけですよ……お祭りとか、盆踊りとか、防災訓練とか、地域のパトロールとか夜回りとか、ほんと色々」
 学童保育所でも似たような会議があったわと思いつつ、陽子は呆然として言った。
「仕事……この上?」
「ええ。旦那さんくらいの年齢の男性が行ったら、もう餌食ですよ。元気な若い衆には色々やってもらうことがあるって」
 ぞっとした。地域のお年寄りに「あれやれ」「これやれ」と言われて、夫が無下に断れるとはとても思えない。
 そして自分なら、無下に断れるしそうするだろう……そうせざるをえないから。しかし結果、思い切り角が立つのは目に見えている。〔中略〕
「小川さん、適任でしょ?」陽子が事態を理解したのを見て取って、岬さんは微笑んだ。
「彼女なら、あらかじめ『受けてきた仕事はあなたがするのよ』と言い含めておけば、なんとかして断ってくれるわ。もともと会長全員分の仕事はないはずなのよ」
 陽子は、先ほどさめざめと泣いていた小川さんの姿を思い浮かべた。確かに彼女なら、そんなたいそうな会議に引っ張り出されたらおびえたウサギみたいになりそうだ。そして何を言われても、こう返すだろう。
 でもでも、だってだって、私無理です、できません……と。
(同前p.167〜168)


 これは本当にうまいと思った。
 自治会に多少協力はしてもいいが、「役」を正式に冠されるのはイヤだ、という人は多い。「役員になって」というとそれがどんな役なのかを聞く前から「いやいやいやもうあの私ものすごく忙しくてですね」と断りを入れてくることが多い。
 ここでは会長という職だけを自分(陽子)が引き受けて、事実上、会長としての渉外の役目は小川にやらせ、陽子は総務の役を担うということになっている。


 ぼくのいる団地の自治会でも、副会長の年配の男性は、どうしても会長職だけはやりたくないという姿勢である。だから、ぼくが会長を引き受けたのだが、住民の相談も、渉外も、面倒な役も実際には副会長の方が担ってくれている。ぼくは、それまで配布されていなかった自治会ニュースをつくって全戸に配るという「広報」でしかない。考えてみるとうちもこういう機能分担やってたんだなあと。

何が恐ろしいのか

 PTAと自治会の仕事のコアな部分は、すべて「公的に必要な仕事」である。……という建前だ。本来これはすべて学校や自治体が税金でやってもいい仕事である(こまかい話はおいておこう。いま大ざっぱな話をしている)。
 たとえばベルマーク運動は、本当は教育予算をつけて行政が備品を買うべきところを、一種の寄附、その寄附を集める親の無償労働に頼っているものである。
 あるいは子どもやお年寄りに対する見守りの活動も、自治会やPTAが無償の労働でおこなっている。


 カネやヒト(職員)がいないので、この「公的な仕事」は、住民の無償労働に丸投げされ、住民は強制に近い枠組みで働かされている。
 この公的な仕事を、誰がどう分担するのか、ということが問題の核心である。


……と言いたいところなんだが、この核心に行き着く前に、PTAと自治会のような無償労働の世界はムダな仕事だらけになっていて、その贅肉を削ぎ落とすことが問題のかなりの大きな比重をしめることになる。

 だから、『七人の敵がいる』で陽子が苦吟している問題は、整理すると、

  1. 前提:ムダな仕事をどうなくすか
  2. 核心:「公的に必要な仕事」をだれがやるか

という2点になる。

1. 無償労働のムダをなくす――批判派は全国団体をたちあげて改革を提言しろ

 まず1.の点だけど、自治会でムダな仕事をやめるのはなかなか勇気がいる。とくに、校区の自治会の連合体のような大きな枠組みができあがっていて、古老やベテランたちが蟠踞しているところでは、改革の提案はほとんど理由らしい理由、議論らしい議論さえなく否定される。


 たとえば、ぼくの校区の自治会の集まりではこれまでは、採決は拍手承認しかなかった。しかし最近、モメごとが多く、対立候補がでたり、原案否定レベルの反対意見がよく出る。そこで、「拍手承認はやめて挙手で賛否を確認してほしい」「信任選挙(推薦者の承認)は拍手じゃなくて、無記名投票にしてほしい」とくり返し提案するのだが、くり返し理由なしに否定されるのだ。ぼくの提案が憎いとかいうんじゃなくて、これまでやってきたことでないことは、想像もできない、といった感じ。議場の動議じゃなくて、どこか時間をとって、図表をくばってきちんと説明する手間暇が必要だなと感じた。


 PTA活動でのムダな仕事の削減について、加納は2012年4月14日付「朝日新聞」でインタビューで次のように答えている。

 仕事を減らそうとすると、「私たちの時はやったのに」という雰囲気になり、結局、苦労のバトンタッチ。「ずるい」「不公平」という言葉もよく聞きます。「子どものため」と言われると、すべての意見が封じられてしまいます。

 そもそも、自治会やPTAは、「これまでどおり積み重ねられてきた業務をこなす場」だから、細かいムダは担当者の裁量で多少省けても、大きな枠組みでのムダは提起しにくい。
 なので、企業や自治体では陳腐なやり方になってしまったのだが、お金をはらってでもいいから第三者機関をつくり、「抜本改革案」と「部分改良案」の2パターンでムダな仕事をなくす提言をしてもらったらどうか。ただ、これも現執行部がそれを選任すると結局どれも必要で無難な案しか出てこないんだが……。不満分子が全国単位で集まって具体的な改革の提言をする、というのが一番有力なんじゃないのか。



2. 無償労働ワークシェアリング

 さて、1.はすぐに達成されるかどうかわからない。
 いまある仕事量をある程度前提にして、2.を考えるしかない。
 2.とは「核心:『公的に必要な仕事』をだれがやるか」ということだ。


 自治体や国が予算をふやして、公的にやらせることが本筋である。行政が責任を持つ分野を明確にしておく必要がある。「自助・共助・公助」というスローガンは、一般的にはその通りだが、単に「公助」を減らす看板に使われていることが多く、行政が本来責任をもつべきものかどうかという議論がしっかりやられていないとヤバい。


 でも、行政予算はなかなか増えないし、そうはいっても限りがある。
 その間だれが仕事を担うのか。


 これをすべて住民の無償労働で埋めていた。
 この総労働量をお金で買うという選択肢もある。
 たとえば学校のカーテンを洗う、というのを親の無償労働ではなく、カネをはらって人を雇うか、専門業者に委託する、というものである。あるいは、カーテン洗いに出てこないかわりにお金を拠出するという方式もある。
 うちの近くの公営住宅では草取りや清掃の仕事を自治会(住民)がやるが、うちの近くの公団(UR)住宅では、草取りや清掃は業者がやっている。住居費にふくまれているのである。

 住民の無償労働は「みんなが平等にやっている」という建前は、それ自体が虚構だから、崩れやすい。「お金で代替する」というのを考えなしに持ち込むと、「じゃあ俺やらない」「不公平だ」というふうに、たちまち全体が崩壊しやすい。


 だからやらない、というのではなく、整理・ルール化して持ち込めばいいのである。
 たとえばカーテン洗いを専門業者に委託するように、お金で代替するときは、ある分野を丸ごと代替させるのが原則。「やらない人の穴をうめる」ためのお金の代替はヤバい。


 こうしたうえでも、「会長は忙しすぎる」というような役員の多忙労働の不公平問題が残る。
 そこで、『七人の敵がいる』に出てくる岬のワークシェアリングの考え方が生きてくる。とくに役員は、「会議労働」ともいうべき「出事(でごと)」が多い。
 このうち、渉外にかかわるもの(自分の単位組織ではない、加盟団体や外部団体との会合)は、代理の出席をさせてはどうか。「連続性が保てない…」とか、もうどうでもいいんだよ。出られないよりはいいだろ。月1回くらいお前らに回っていくからな、と初めから全体に約束させて役員を引き受けるのである。クジでも引かせていく日を決めたらいい。


 疲れた。
 このエントリを書こうと、問題の解決方法を考えているうちに20時間くらい費やしてしまった。これが一番アホだと思う。

*1:言い訳の種類は違うが