「石破vs田中」は石破の負けでござる


 田中防衛大臣自民党の石破議員から質問をうけ、自衛隊の法的根拠を答えられなかったという。

 田中氏はこの日も、防衛相というより国会議員としての資質さえ疑わせる基礎知識のなさを露呈した。
 自衛隊の「合憲性」を憲法のどこで読み込むのか質(ただ)され、得意の棒読みで憲法9条をたどったのはよいが、「武力による威嚇と武力行使の放棄」をうたった第1項を読み上げただけで「国を守るために自衛隊がある」と結論づけた。
 石破氏が諭すように第2項の「芦田修正」により自衛戦力の保持を禁じられないようにしたことを教えると「先生の知見を拝聴しながら、よく理解したい」と頭を下げた。(産経新聞2012年2月2日配信)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120202/plc12020220340025-n1.htm


 別の報道では、「憲法9条で軍は持てないと書いてある。自衛隊とは何か」と石破に問われ、田中は「必要最小限の国を守る専守防衛の部隊だ」と答えたという(読売2月8日付)。

 ネットもマスコミも、“田中はアホだ、ゲル閣下はさすが軍事オタク、防衛関係のスペシャリスト、すばらしいざます”一色なのだが、結論からいうと、石破は大間違いで、田中が正しいということになる。

 7日に官房長官の記者会見があり(下記URLの会見動画9分32秒あたり)、
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg5784.html

政府としてはこれまで通り、「芦田修正」を根拠として自衛隊を合憲と解釈しているものではない。

と述べた通り、政府は「芦田修正」を政府解釈の根拠としていないからである。


 芦田修正というのは、憲法制定当時に、衆院の帝国憲法改正案小委員会の芦田均委員長が憲法9条2項の前段に「前項の目的を達するため」という文言を入れたことだ。
 簡単にいうと、憲法9条1項で「戦争はしません」といい、2項で「軍隊は持ちません」とうたっているけど、2項の前に「そのための軍隊は持ちません」というつながりの言葉をいれたことで、「戦争のための軍隊は持ちません」という意味になり、逆にいえば「戦争のためのものでなければ軍隊(戦力)は持てます」という意味になる。

 しかし、官房長官の言うとおり、これは政府の公式見解にはなっていない。
 もしこんなことを言い出したら、自衛軍が持てることになってしまう。

 政府は、自衛隊違憲でないとしているが、そのための解釈としては、次のようないくつかの解釈が考えられる。
 第一は、第九条第二項の「前項の目的を達するため」の文句を前に述べたように解釈することによつて、第九条は自衛のためであれば戦力を保持することを容認するものであるとし、自衛隊はこの自衛のための戦力であるから違憲ではない、とする解釈である。しかし、この解釈が正当でないことは、すでに述べた。政府も、この解釈はとつていない。(佐藤功日本国憲法概説 全訂第四版』p.90、学陽書房、1991、強調は引用者)

 これが芦田修正を根拠にする考え方だが、「政府も、この解釈はとつていない」とあるとおりだ。


 第二は、第九条は自衛のためといえども戦力の保持を認めないものであるとしながら、自衛隊はその「戦力」に当たらないが故に違憲ではない、とする解釈である。「戦力」とは「近代戦争遂行能力に達したもの」をいうとし、自衛隊はいまだこの「戦力」には至つていないとした、前に述べた政府解釈がこれである。しかし、この解釈が正当でないことは、すでに述べた。政府は当初(昭和三〇年ごろまで)、この第二の解釈をとつていたが、それ以後においては、次の第三の解釈に推移してきた。

 書いてあるように、これが最初の政府の解釈だ。これは、自衛隊は戦争するほど大きくないから戦力ではない、という考えである。ホラ、警察に毛が生えたみたいなもんですから! という解釈。いやー、「近代戦争遂行能力に達したもの」だろ、ということで無理が生じてくる。
 そこで、現在政府がとっているのは、次の考えだ。


 すなわち、第三の解釈は、第九条は自衛権を否定するものではないとし、自衛権が認められるべきであり、自衛隊はこの「自衛力」であるとする解釈である。そこでは「自衛力」と称しており「自衛戦力」とよんでいない点で第一の解釈とは異なる。しかし、この解釈における「自衛のための必要最小限度の実力」という観念は不明確であり、それと「自衛のための戦力」との区別が具体的には容易につけがたいことの結果として、また、科学兵器の発達と国際情勢の変化に対応して、「必要最小限度の自衛力」の限度も変化するとされる結果として、この第三の解釈は、自衛権が存する以上は自衛のための戦力の保持は認められるとする第一の解釈に極めて接近することとなる。そしてこのような解釈が正当でないことも、すでに前に述べたとおりである。(佐藤前掲書p.90-91)

 この考えは防衛省自衛隊のホームページで見ることができる。

 わが国が憲法上保持し得る自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。
 自衛のための必要最小限度の実力の具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有していますが、憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」に当たるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題です。自衛隊保有する個々の兵器については、これを保有することにより、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって、その保有の可否が決められます。
 しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊保有することは許されないと考えています。

http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html

 簡単にいえば、近代戦を戦うくらいの能力はあるけど(だから「警察に毛が生えたもの」とはとてもいえないのでございます)、ヨソと比べてそんなに大きくないし、自衛のためのものだからいいんだよ、というわけだ。社民党なんかが党の「理念」で自衛隊の現状を「明らかな違憲状態」というのは、この解釈の延長である。
 ここでいう「第三の解釈」というのは、「自衛力は戦力ではない」という考えであり、第一と第二の解釈のミックスみたいなものだ。
 というと語弊があるけどね。この第三の解釈は、「前項の目的を達するため」という文言を根拠にしていない。「戦争戦力はダメだが自衛戦力はいい」というふうには言わないのだ。「自衛は許されてるよね…」とまず言い出す。次に「じゃあ、よその国の軍隊が持ってるモノとくらべて大したことなければ持ってもいいよね。戦力じゃなくて自衛力っていうことでいいよね」と控え目に言う……。てな感じだ。

 田中が述べた「必要最小限の国を守る専守防衛の部隊だ」にはこのエッセンスが「必要最小限」入っている。
 というわけで、石破vs田中は実際のところ、石破vs防衛省事務方のメモだったんだろうが、結果的に防衛省側が正しく、田中はわけもわからず読み上げて、石破にドヤ顔で「諭されて」、自信のない田中は「なんか俺わかってないらしいなあ」と思って白旗あげて降参、「その点について私は理解していない。先生のご知見を拝聴しながらよく理解したい」と卑屈な答弁になった、というところではないのか。*1
 それとも、それ自体がゲルに地雷を踏ませる高度な「へりくだり戦略」だったとか……。*2

*1:質問の全文がないのでよくわからんところもあるが、石破が政府解釈ではなく自分の信念を述べたという可能性もあるが…。

*2:完全に考えすぎで「孔明の罠」状態。