きのしたきのこ『東京ルームシェア生活 女3人、一緒ぐらしコミックエッセイ』

大家族復活?

 橘玲が、経済成長が望めなくなり、社会保障が弱体化するのにあわせて「大家族」が復活するかもしれない、という予見を書いている。橘の記事より前に、別のブログでも似たような記事が注目を集めていた。

日本は大家族制に戻っていく? 週刊プレイボーイ連載(33) | 橘玲 公式サイト 日本は大家族制に戻っていく? 週刊プレイボーイ連載(33) | 橘玲 公式サイト

2020年、日本で大家族が復活する日 - mizuiro_ahiruの日記 2020年、日本で大家族が復活する日 - mizuiro_ahiruの日記


 大家族にした場合、共同生活によるトータルのコストダウンというメリットが一番大きいだろう。主に家賃・住宅費ね。


 逆に介護と保育は、大家族になると、一見家庭でそれをまかなうのでいいように(節約できるように)思えるが、保育の場合は、専門の保育や大規模な集団生活を経験しないことによって、正直なところかなりの質的低下をまねくような気がする。介護については、もっとひどくて、家族介護が当然になると誰かが(たいていは女性だろう)職を辞めねばならなくなるおそれがある。専業主婦(主夫)の存在や、時間の使い方に裁量がある職業(自営や農業など)でなければ介護は機能しないだろう。
 家事は微妙なところで、もし専業で家事をやれる人間がいればかなりのコストダウンと効率化が見込めるが、そうでない場合はむしろトラブルが起こりやすい。いま外食とか調理配達とか掃除の外注とか、家事労働を貨幣購買によって社会化するのが普通になっているから、あまり無理をしなくてもよいと思う。


大家族復活の前に「独身者のルームシェア

 是非はともかく、大家族が復活するには、プライバシー保護とトラブル解決についての方策を確立すること、介護と保育については家族をあまり期待せず「緊急時(子どもの病気など)の補助者」くらいに考えておくことが必要になるだろう。


 橘が例に出しているが、「パラサイトシングル」すなわち独身者の実家暮らしは経済的に見ると合理的だとされている。


 大家族復活によって人生のすべてのステージにわたる「共同」を創りだすのはどう考えても早すぎる気がするが、とりあえず関係の解消が容易な、独身者が集まって共同世帯を構成すること、早い話がルームシェアをやってみることは現実にもっとおこなわれて然るべきものだろうと思う。



劇的ではないが読み物として読みやすい

東京ルームシェア生活 女3人、一緒ぐらしコミックエッセイ 本書は独身者のルームシェアについて描かれた漫画だ。題名のとおり、東京で女性3人がルームシェアしたさいのルポというかエッセイコミックである。
 「第18回コミックエッセイプチ大賞・C賞受賞」というのが、スゴいんだかショボいんだかよくわからないんだが、描いてあることは特別面白い事件が起きるわけでもなく、まさにルームシェアをするときに起きるであろうトラブルや喜びが淡々とレポートされているのである。いや、だからこそ気軽に読めたし、友だちや夫婦で「話題」にしながらおしゃべりするような使い方がちょうどいいかもしれない。まあ、劇的なイベントがないのに、結構面白いってことなんだわさ、この本。


理解のない大家の多さ

 7つの章に分かれている。
 第1章は「行き当たりばったりの引っ越し」。ちょっとびっくりするのは、不動産屋ではまだまだシェアにたいする理解度が低く、断られ続けるというくだり。にもかかわらず、美大出身のこだわりが強そうな3人が集まって、1つか2つくらいの「気になる条件」のために次々と物件を捨てていくのである(このあたりはAmazonのページの「なか見検索」で読める)。
 3人はまず「論外」の条件のものを捨てる。「部屋の大きさがバラバラ」「収納が均等じゃない」などである。次に各人が出した条件に合わないものを捨てる。「フローリング」「天井が固い」などだ。
 そうやって絞りに絞り込んだ物件を観に行くのだが、ハウスダストでダメとか、フローリングがシートだとか、やはり何らかの形でマイナスの検索をかけるのである。読んでいる方としては「こりゃあ決まらないよ」などと思ってしまう。
 しかし、いい物件に出会う時は、一瞬でそれに惚れ込んでしまうようで、外見がボロすぎると忌避していた物件を観に行って「広い…!!」と感動するのである。


 そして、契約の段階でのトラブルを紹介する。
 今回の契約ではないのだが、これまでは大家側は「一人抜けたら家賃が払えないのでは?」という心配から、3人合計ではなく1人につき家賃の3倍の収入が必要などという条件をつけられたというのである。
 ところが今回は、これまで家賃の滞納がなかったという条件だけでクリアできた。
 読んでいて「運がよかったな」と感じた。逆にいえば、ここでも大家のルームシェアへの理解のなさは浮き彫りになっている。


ルームシェアにおける食事

 ルームシェアの場合、食事はどうしているのだろう? と素朴に思う。
 これが第2章「美味しくて新しい! 一緒ごはん」。
 どうも生活リズムがバラバラなので食事は別々というのが基本らしいのだが、リズムがたまたま合ったときは一緒に食事をするという。同居人の一人に料理が得意な人間がいて、しばしば「美味しい思い」ができるというのと、余り物が効率的に処理できるということがメリットらしい。

最大の問題=トラブルへの対処

 つれあいに、「子育て世帯5世帯くらいで同居するなったらどうする?」と聞いてみたが、最大の問題は衛生基準・清掃基準などがくいちがった場合の調整がかなりストレスになるのではないか、とのべ、
「流しにご飯粒が落ちていたりするのを後で私が拭いたりとかね」
などと、今朝のぼくの台所仕事の粗さへのイヤミかます憎まれ口をたたきながら、ルームシェアという試みの脆さへの危惧を答えた。


 本書の後半はこの問題にあてられているといってもよい。
 「違いを非難しない」という節がある。エアコンが効きすぎるとか、味付けが濃すぎるということを、まずは受け入れて、「非難」として応酬しないという奥義である。
 まあ、まさに「異文化衝突」の解決策の基本だろう。
 「こまめなフォローも忘れずに」の節では、小さなストレス発言をいちいち悪意にとらないことや、一人になりたいときに部屋にこもってさりげなくサインを出せるようにしておく、ということが紹介されている。


 オレ的な最大の関心事はセックス。
 シェアしているときに、恋人とかどうやって呼ぶの!? ということなんだが、本書では3人とも彼氏がおらず、取り決めをしていない。そこで一般論として描かれていることは、イチャつくなら部屋に行ってとか、セックスはしないとか、いや静かにするならいいよとか。
 つれあいに聞いてみたところ、「そんなことはあなたが心配することではない」と憤然とした顔に。ぼくが保育園とかでの他の世帯との同居(=セックスライフ)を想像したと思ったらしく、「いや一般的な思考実験だから」と取りなすハメになった。

ルームシェアでのメリットを多くは期待しないこと

 はじめの話題に戻ると、ルームシェアでのメリットを多くは期待しないこと、もっといえば、家賃という経済コストの削減のみに絞り込み、割りきって考えることが必要だろう。
 そして、プライバシー重視だった個人主義は、ルームシェアを前にして変更・修正、場合によっては解体を余儀なくされることになる。トラブルをおさめ、共生する技術が社会のなかに染み渡りはじめたとき、大家族、という道も見えてくるかもしれない。


 本書のエピローグには、3人がテレビで「新しい生活スタイル特集」をみて「これだ!!」と叫ぶシーンが収められている。「これだ!!」と声をあげた生活スタイルとは、

老後、友人10名位で一人身、夫婦ごちゃ混ぜのシェアハウスを作った


というものだった。
 大家族において懸念されることは、血縁であるがゆえに、容易にユニットが解消できないことだ。しかし、「友人」であれば、うまくいかなかったときに解消しやすい。その場合、ローンを共同で組んでしまうといったリスクは避けるべきで、簡単に解消できるようにしておくほどハードルは低くなる。だから、「シェアハウス」を借りるのはいいけども、「作る」のは愚策ではないかと思う。


ぼくの学生時代もほとんどルームシェア生活だったなあ

 ぼくも学生時代はほとんど「ルームシェア」だった。
 といっても、もう20年も前の、バブル末期の話だが。
 ぜんぶサヨク活動家仲間とのルームシェアで、最初のは各部屋に炊事設備がない、共同炊事場・共同トイレ・銭湯という形式で、いわばトキワ荘と同じである。厳密に言えばルームシェアとはいえないが、夜になると先輩左翼が部屋に酒をもちこんで来て、マルクスの話をしたり、仮面ライダーの話をしたりしていき、朝はビラまきのために叩き起こされるので、このコミックエッセイ以上に「共同生活」っぽい容喙ぶりである。
 次の部屋は古い一軒家を借りて、二階は先輩、一階は自分が自由に使うというものだった。これはプライバシーは思ったよりも守られる。ただ、家賃が安いのに広かったので、活動家仲間がたまり場にしたのは勘弁してほしかったが……。
 最後は、まさにルームシェアで、台所のほかに2室あるアパートを借りて後輩と住んだ。自分の部屋をまたがないと後輩の部屋にはいけないしくみになっていた。これも思ったほどプライバシーは侵害されなかったが、フロに入浴剤を入れてそのままにして後輩におこられたり、遠方から彼女(現つれあい)を呼んだときは後輩に別に家に泊まらせたりと、このときは完全に後輩の共産主義者に迷惑かけっぱなしのひどい先輩であった。


 この3つとも食事は日常的にはつくらなかった。
 学生食堂で食べたり、外食することがほとんど。あと、掃除の分担などもほとんどなかった。このように家事労働の共同性がまったくないことによって、トラブルはむしろ減る。純粋に家賃のコストのことだけを考えた実験ともいえた。


 子育てをするようになって、さすがに食事や掃除を考えないわけにはいかない。もし子育て世代でルームシェアした場合、賃金と材料費を払って共同の食事を作ってもらうというようなしくみを加味したほうがいいかもしれない。
 ぼくの知りあいで現在失職中の子育て世帯が、近所のぼくの友人の家の食事を対価を払ってつくっていたが、友人はたいへん重宝し、「毎日お願いしたいわ〜」「紙屋さんもやろうよ〜」と言っていた。便利に違いない。