井上純一『中国嫁日記』

 週刊「プレイボーイ」の2011年9月19日号の「この漫画がパネェ!!」のコーナーで井上純一中国嫁日記』のレビューを書いた。


中国嫁日記 一 『中国嫁日記』は、40代のオタク男・井上が20代の美人(と思われる)中国人女性・月(ゆえ)と結婚し、その結婚生活を4コマ漫画にしたものである。ブログで人気を博したので書籍化されたものだ。


 なんでウケてるのかってことなんだけど、結婚という異文化衝突・交流があってだな……という要素はもちろんある。特に国際結婚だから、その異文化衝突という側面が極端なまでに強調されている。
 味噌汁に香菜を入れてものすごく生臭くなるけど、月は当然という顔をしているとか、肉じゃがセットを「炒め物」と勘違いして炒めたがものすごくうまかったとかそういうやつ。
 しかし、実際、上のように書いてみてもわかるとおり、その異文化衝突の事実自体はそんな「大人気ブログ」になるような中身でもない。むしろ「はあ……」とでもつぶやくしかないような程度の代物だ。


 やっぱりこれは、20代の若くてカワイイ女性が、カワイクやっているところに意味があるんだろう。もし日本人同士の「年の差婚」だとしても年齢ギャップは面白いんだろうけど、それが民族文化のギャップと重なっているがゆえにいっそう強調されることになる。

40のキモオタが何故26の中国美人と結婚できたのか

 だけどさらにいえば、40のキモオタが何故26の中国美人と結婚できたのか、という点がやっぱり読者の下心を全力で支えているんだろう。
 井上は本書で月との初対面の場面を描いており、これがブログ連載にはない本書の魅力である。井上は、月に合うなり、「…かっ!! かわいい」「こんなに若くてカワイイ女の子が…」と心の中で絶叫している。
 オタク男が美女と……というのは『電車男』のストーリーであるが、ぼくはかつて『電車男』を評したとき、それは逆シンデレラストーリーの側面ではなく、ネットを媒介にするという新しい形でみんなが電車男を支えるという「人間共同」のありようがウケたのだろうと言ったことがある。つまり、オタクが美女に選ばれる、ということ自体にはそれほどのリアリティはない、むしろそれは「奇跡」であって、現実に起こりうることではないものとみなされていた。

 だいたい、『電車男』以後、「リア充爆発しろ」とか「スイーツ(笑)」みたいな文化が栄えたことからもわかるように、日本のオタクはもはや自嘲・自虐気味に自分からスイーツ系女子を切り捨てているのであるが、日本人の美女がキモオタと結婚することは、社会的地位があればともかく、まずない。「リア充爆発しろ」とか「スイーツ(笑)」とかオタク側から吐き捨てる態度は、一般的には日本人美女との結婚がリアリティに乏しい事象であることの倒錯した表現である。キモオタのぼくがいうのだから絶対に間違いない。

 だが、見たまえ。
 本書では、井上は日本人女性から立て続けに4件、見合い後、スピード拒絶されているのだ。しかし、中国人は違う(と本書では書かれている)。中国人との国際結婚を強烈にすすめる友人は、井上こそ中国人との結婚がふさわしいとして、次のように主張する。

まず年齢については――
中国は男がすごく年上はあたり前なのでOK
(男40代で女20代なんかもめずらしくもない)


次に太っている件については
(この時100kg近く)
中国では太ってることは
美徳だって思われてるからOK


あとはドオタクな件ですが――
それこそが井上サンが中国人と結婚できる理由なのです!!
つまり
誠実さ!!


中国の女性が夫に一番求めるのは誠実さです
嘘をつかない
浮気をしない
誠実さこそが最重要


その点井上サンは大丈夫!!
なぜならば
モテないから浮気のしようがない!!
(しかも女性に免疫がないから話しかけることすらできない!!)

 うぉぉぉぉ……おどろくべき価値の逆転である。
 オタク的女性恐怖症が「誠実」!?
 しかも年齢差と肥満が、異文化ゆえに許容・美化されている、という都合のよすぎる展開。


 だいたい「月は痩せ形なのに胸がとても大きいので」(p.70)とか、「朝起きても(腹の脂肪を)揉む」(p.75)とか、うぉぉぉ旅館の個室温泉にいっしょに入ってるよぉぉぉ(p.62)とか、「リアル嫁」とかいって描かれている月の姿の美人っぷり(p.24〜25、および本書の「描き下ろし長編」)をみれば、こんな若くてカワイクて胸の大きな美人と、毎日ベッドやフロをともにして、朝はお腹の脂肪塊を愛くるしく揉んでくれるんだーと狂い死にしそうなキモオタ同志だって少なくないだろ。

 そういう下心のリアリズムを強力に駆動させているのが、本書の人気の秘密に違いない。リアル『電車男』とでもいおうか。



いわゆる「差別性」問題

 そういうわけで、この『中国嫁日記』にたいして、国家間経済格差を利用した差別性の漫画だと批判がネットでちょっとばかし話題になっていたわけだが、ぼくは「中国」という設定は侮蔑的なものとしてはほとんど感じず、むしろキモオタ許容のための日常からの「飛躍」を準備する設定としてとらえた。

Togetter - 「「中国嫁日記」の差別性が自覚できない奴は差別主義者!…(゚Д゚)ハァ?」 Togetter - 「「中国嫁日記」の差別性が自覚できない奴は差別主義者!…(゚Д゚)ハァ?」



 「差別性」あるいは「抑圧」というなら、「女は若くて巨乳で痩せ形で(顔が)カワイイほうがいい」という価値観がここに潜んでいることは間違いないわけで、その価値観にのっかって本書を楽しんでいるのはまぎれもなくこのぼく自身である。

 
 リアルな女性とつきあうこと・結婚することをめざしたとき、ぼく自身が20代の女性をいまさら考えるのか、といえば、やっぱり考えない。「20代の若くてカワイイ巨乳の女がいいな」というぼくの快楽の感覚に分け入ったとき、その「20代女性」は、まっすぐに「セックスする相手」「いちゃつく相手」としてのみとらえられ、「生活するパートナー」という側面はざっくり捨象されている。今さら20代の女性と一緒に生活するとかリアルで考えたらむっちゃ大変そう
 だから、ここでぼくが欲望して楽しんでいる「月」とは、そのような妄想の中での「月」でしかないし、リアルな人格をともなった人間ではないのだ。ファンタジーとしての「月」。

 矛盾した言い回しだが、そのファンタジーこそがリアルを支えている。にじみでるような欲望の充足、快楽を味わわせてくれるのである。

 もちろん虚構だから免罪されるものではなく、結局「女は若くてカワイイほうがいい」という価値観の強化や補強に加担しているではないかという非難は甘んじて受けなければいけないだろう。
 性的欲望をドライブにしている作品では、多かれ少なかれそうした歪みが入り込み、その歪みこそが、楽しみの中核になっている、ということは、楽しむ側がわきまえておかねばならないものだ。「知るかヴァカ」と切り捨てることはできない。
 ただそれは本書のみが特別にかかえている問題ではない。