血まみれの夏祭りのこと


 団地の夏祭りが終わった。
 自治会長として年間最大の懸案が片付いてほっとした。
 午後9時頃おわって、後片付けをみんなでしていて、ぼくは電気のドラムコードなどをしまって戻ってきたら、みんなが遠巻きでみているその向こうで誰かが誰かを大声で怒鳴りつけ殴っているではないか。
 ケンカかと思い、すっとんでいくと、焼き鳥を手伝ってくれた17歳の少年がオッサンに殴られ、血まみれになっている。少年が因縁をつけられたのかと思って「ちょっと、もうやめてくださいよ」と止めると「なんじゃお前は!」とすごむ。「俺はこいつの父親じゃ!」と再び少年を殴る蹴る。
 父親かよ!


 「血まみれじゃないですか。やめてあげてくださいよ」と再度静止したが、「これがうちのやり方じゃ! なんじゃ文句あるんか、お前! 家に来るか!」とにらみながら少年をひきずっていく。
 「小言を言うのはけっこうですが、手はださないでくださいよ」とまたたしなめると、「はあん? 手を出さなきゃいいんだな? うらっ!」とすさまじく少年を蹴り始めた。「ちょちょちょちょ、暴力は止めて下さいよ」と言うものもまるで効果なし。やがて母親という女性が間に割って入って、「この子、ずっと家を出ていて、もどらないとこうなるって言っていたんですよ」とすまなさそうに弁解する。あっけにとられているうちに、向かいの別の団地に入っていってしまった。


 後片付けの面倒をみないといけないので、引き返して、後片付けを終え、みんなでご苦労さんをやってから帰宅。しかし、終わってからどうにも、もやもやする。


 少年は、まったくひょんなことで、団地の夏祭りを手伝い始めた子だった。うちの団地でたむろしていたのを、自治会の人間が声をかけてまきこんだのだ。3人ほどの少年・青年といっしょに。これまで彼らのような人たちには、団地でゴミが散らかっている、たむろしているのが怖いという苦情が多くて、叱ったりする権威主義的なアプローチのオトナばかりだったので、こういうのはいいなと思いながら手伝う様子もみていたし、準備が終わった後、お茶やお菓子をまじえて自治会の集会室で話していた。


 話を聞いていたかぎりでは、その少年は、少年院にも入り暴走族もやっていたという先輩格の人(この21歳の彼もまた好青年であった)に鳶職になるようすすめられていたが、今ひとつ気乗りがしない感じで、進路に悩むどちらかといえば気の優しそうな子であった。


 少年はたしかに家を何日も開けていたらしいが、非行のあげくに親がキレた、というより、家にいたくないので、家を出ていたという印象を受けた。あくまで印象だけど。
 拭いてもなかなか取れないほどあたりを鮮血で染めて家に引き戻された状況に、3時間たってから、「やっぱりこれはおかしいのではないか」と思い、警察に通報した。

警察と児童相談所の対応

 警察は、「近くの交番に連絡します」と言っていた。
 まあ、交番に情報を寄せておいたからといって、何がどうなるというものでもない。「今後、事件や通報があれば、これは大事な材料になるわけですから」。
 うーん、それでいいのかなと思い、福岡市の児童相談所にも連絡した。こちらは話はいろいろ聞いてくれたけど、こちらの住所さえも聞かなかった。警察から何か連絡があれば対応します、とのことだった。


 結局「くさるほどある親子ゲンカのひとつ」ということなのだろうか。


 コミュニティからの若者へのアプローチの問題といい、その後のトラブルへの対応といい、こうしたぼくの対応のなかに、何かのイメージを先につくり、そのイメージにあわせたストーリーや善悪を描こうとしているのではないかという批判がいかにもありそうだ。そして、なーんか行動したり逡巡したりするのは、自己満足みたいなもんじゃないのか、という思いもないわけではない。


家栽の人』を思い出す

家栽の人 (1) (小学館文庫) 毛利甚八魚戸おさむ家栽の人』には、少年法7条「家庭裁判所調査官は、家庭裁判所の審判に付すべき少年を発見したときは、これを裁判官に報告しなければならない」という規定が心にひっかかって、あぶなかしそうな少女を観察しつづけ、家裁の上司から“仕事でもないことに血道をあげている役立たず”と罵られる調査官のエピソードがある。
 結局、少女は調査官に心も開かなかったし、調査官は何とかしようとするのをやめてしまう。そして調査官は追跡をやめたことを上司に報告し、上司に皮肉を言われる。エピソードの終わりで、調査官は少女が立ち直りの姿勢をみせ、働き始めているのを知る。
 『家栽の人』には、このように、判事や調査官の仕事が(いい意味で)ムダになってしまうこと、あるいは判断が間違っていたことが満天下に知らされるのが怖くて判事や調査官が判断をあやまりそうになることにかんするエピソードがいくつかでてくる。


 結局「少年」が健やかであるなら、まわりの大人がどんな空振りをしようが、面子を失おうが、関係ないではないか、という強い姿勢がそこにはある。

 だから大人たちはそういう努力を惜しまないでね、何もしないことがいいのだというあらゆる小賢しい言い訳やささやきに耳を貸さないでね、というメッセージである。

裁判官が馬鹿だった それで良いじゃないですか


というセリフもある。


 自己満足ではないか。
 徒労ではないか。
 事情を知らないものが首をつっこんで少年を不利にするだけではないか。


 いろいろ言い訳はあるのだが、こういうことはあまりためらわないほうがよいと思った。最初にためらわずに110番通報するのがベストだったのかもしれない。