原発に由来する放射線の影響を「小さく」感じさせる工夫は、昔からいろいろと考案されてきた。
自然放射線や医療被曝を引き立て役にもち出して他の被曝を「とるに足りない」と印象づける手法は、放射線の影響をできるだけ少なくしようという前向きの姿勢とは言い難いものです。私はこうした自己弁護的な姿勢を、「悪しき相対性理論」と呼んでいます。
(安斎育郎『原発 そこが知りたい 増補版』P.11)
最近よく聞かれるのは、自動車事故やがんの総数との比較だろうか。
国立がん研究センターがん対策情報センターの祖父江友孝がん情報・統計部長によると、100ミリシーベルトに短期間に被ばくした場合の発がんリスクはそうでない時の1・06倍。短期間に浴びると体内での遺伝子の修復が間に合わないが、同量を長期間かけて浴びた場合は修復機能が働き、リスクはさらに低くなるという。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110405ddm013040007000c.html
もちろん危険性がゼロではない以上、被ばく量はできるだけ少なくするのが望ましい。ただし、日本人の50%ががんになる時代であると考えれば、放射線によるリスクの増加率は極めて小さい。
この毎日新聞(2011年4月5日付)のがん総数との比較はひどすぎる。
原発事故に由来するがん死亡数を考えるとき、一体「がん死亡の総数」と比較することにどんな意味があるというのだろうか。*1
日本では年間に30〜40万人ががんで死ぬが、この記者は年間数万人という単位で原発事故でがん死が出ないと問題にしないつもりかもしれない。
つうかこの論法でいけば、「ほとんどの日本人は、『もっと生きたい』という意思を押しつぶされる形で、自分の意思に反する自然的・社会的な外的要因によって死亡する。その率は日本人の98%にも及ぶ。『不本意な死』が日本人の98%を占める時代であると考えれば、放射線によるリスクの増加率は極めて小さい」っていう論法が成り立つんじゃね?
がんの総数と比較する手法は、古典的なもので、チェルノブイリ事故について、1986年に発表されたソ連の報告書では、外部被曝によるがん死亡4750人、甲状腺がん1500人、セシウム摂取によるがん死亡が最大3万8000人以上と見積もっていたが(今後70年での死亡者予測)、同じ報告書で、同時期にがんで死ぬ人は950万人もいるというふうに比較している。*2
関西電力原子力企画部・広報部の「原子力Q&A」では、チェルノブイリ事故でのがん死亡者予測(2万8000人)を紹介したうえで、半世紀に北半球全体でのがんの自然発生数は6億人と推定し、2万8000人という増加数の上限値は0.00004ですよと述べている。*3
安斎育郎は、この論法を批判し、次のようにのべる。
この事故がなければ死ぬはずのなかった人が何万と命の危険にさらされているというのに、命の重みを数値で相対化して低く評価しようという姿勢は批判されるべきでしょう。(安斎前掲書p.21)
もしこういう論理でいけば、数千万人の貴い命が失われた第二次世界大戦級の事件さえ五〇年に一度ぐらい起きても大したことはなさそうにされそうですし、事実上「問題とすべき事故」などというものはなくなってしまいそうです。(同前)
自動車と原発を比較する意味
あとよくひきあいに出されるのは自動車事故ね。
典型的なのが池田信夫センセイだろう。
池田信夫 blog : 自動車や石油火力は原発より危険である - ライブドアブログ
こういう議論をさっそく使いたがるのが自民党のセンセイ方で、三原朝彦前衆議院議員は、八幡西区の福岡県議を応援して、こういう演説をされていた。*4
津波が来ちゃって……だからといって「原発ノー」とは言えない。車だって人間が考えたもので、事故を起こさないためには、車を動かさなければいい、というわけにはいかない。(2011年4月3日、九州共立大学自由ヶ丘会館)
自動車交通と原発の比較は、現時点での死者数はおそらくいろいろデータを修正しても(原発労働者の被曝、がんリスクなど)自動車事故ほどではないだろう。自動車事故で世界では年間120万人が死んでいる。*5
だから「自動車は原発よりも現時点で多数の死者を出している」ということはおそらく正しいし、ぼくとしてはまさに現状の自動車交通システムは、あまりに外部不経済がひどすぎるもので、大幅に改善しなければならないと思っている。野放しにされすぎているのだ。
問題は、三原前議員のように、「だから原発は稼働し続けても問題ない」というふうに飛躍することである。飛躍が問題である理由は簡単で、自動車の与える社会的便益と、原発の与える社会的便益は別のものだから。
一定の犠牲をおかしてまでそのシステムを採用するのは、理屈としては「他にいいシステムがないから」に他ならない。ぼくらが自動車交通を使うのは、物資や人員の輸送である。原発を使うのは主に電力の供給のためである。全然別のものだ。
物資や人員の輸送に、他に代替案があるのであれば、それを使えばよい。
電力の供給に、他の代替案があれば、それを使えばよい。
それだけのことである。
自動車交通は、きちんと社会的費用を折り込めば、おそらく使う局面はもっと減ることになるだろうが、なくすというところまではいかない。他に妙案がないからである。
原発は、再生可能エネルギーを使えばいい。ドイツのように現時点でエネルギーの16%、2050年までに80%を再生可能エネルギーにしていけばよいのである。まあちょっと妥協してかなり縮減するというのでもいい。
池田の使っている資料について
池田はそこで「いや、原発は他のエネルギーにくらべても死者が少ないのだ」と主張している。池田はこのデータをWHOと言い張っているのだが、実際にはWHOの資料をもとに、個人が自分のブログで試算し直したものである。
池田はコメント欄で、
美浜原発で死亡事故があったというコメントがあったが、削除しました。あれは配管の事故で放射能が原因ではない。そういう事故をカウントすると、火力のほうがはるかに危険。
などと書いているが、自分が引用している資料は、先進国の火力発電ではなく、 発展途上国が石炭ストーブなどで空気中に硫黄酸化物、窒素酸化物などを放出し、 それが大気汚染や酸性雨をうみだし、それに由来する喘息の死者などが含まれているのである。*6
自分に優しく他人に厳しい池田センセイの面目躍如だ。
池田のもちだした資料をまともに信じれば、石炭では30年で2億人死んでいる計算だ。
2億人。
どんなアウシュビッツ火力発電所ですか。
いや。
これは石炭火力発電所の話ではないのだ。センセイが勝手に途方もなく範囲を広げていって、死者の数を多く見せているだけなのである。センセイはこの資料を個人ブログから転載しているのだが、その個人は、どうも一次エネルギーをすべて電力に換算しているようなのだ。
おかしな話だ。ぼくらは代替電力の話をしているのではないだろうか?
他方で、原発労働による被曝の影響を加味したものが必要だというのは素人でもわかる反論で、原爆被害を除いても6000万人が死んでいるという試算さえある。*7もちろん、その数字がそのまま利用可能なものだとはいわないが、いずれにせよ、池田のもちだした資料は代替電力を考えるうえでは、相当にずさんなものだし、これを唯一の根拠として鬼の首をとったように「原発は安全」というのではいささかナイーブすぎる。
*1:修復うんぬんも気になるがここでは問題にしない。
*2:安斎前掲書p.21
*3:同前
*4:直接関係ないが、麻生太郎センセイはやはり同日同じ会場で「東北には縦貫道が1本あるだけ……(津波で)せっかく泥がウワーッと田んぼになって、それを元に戻すくらいだったら住宅地に、工場に」「復興をやってのけたら世界に誇れるいいチャンス」といつもの安定した暴言ぶりである。
*5:http://www.kotsujiko.com/news/796.html
*6:参考: http://www.digitalinfra.co.jp/20110401/ikeda.20110401.1.html
*7:参考:http://furukawayuki.blogspot.com/2011/03/blog-post.html