立ち読みはやっぱりいいんじゃないか

 本屋で立ち読みしていいでしょ、というか、俺は本なんか買わない、どうしても読みたい本は時間かけて立ち読みしちゃう、という人(J_ogawa)のことが話題になっている。

Togetter - 立ち読みって何が悪いの?
http://togetter.com/li/46420

 始まりから13:06あたりまでは、J_ogawaが攻めまくり。何が悪いの? 誰かに迷惑かけてるの? 的な何か。はてブのコメントで「アイコンが嫌」といわれている通り、このアイコンで畳み掛けられたら、反感買うわなあ。
 ところが13:07で、どうしてもウシジマくんを脳裏によぎらせてしまうアイコンのshin_1が参戦。

貴方の劇団の舞台、タダ見させてください。面白ければ金払いますよ(^o^)

http://twitter.com/shin_1/status/22677394341

で、流れが一変し、J_ogawaが急激に受け身に。「コンテンツをすべて味わい尽くした後、消費側が一方的に価格を決める」というビジネスモデルが理想かどうかという話になっていって、J_ogawaは防戦一方となった。
 しかし14:56で55kijineko(立ち読み批判派)が、

理想のビジネスモデルはどうでもいいとして、立ち読みが迷惑と言われてる件はどうなんですか?

http://twitter.com/55kijineko/status/22683422928

という問題の引き戻しをおこない、再びJ_ogawaが攻勢にまわった。だがshin_1も譲らず、

「長時間の立ち読みは非常識」YesかNoで。

http://twitter.com/shin_1/status/22686977693

と、国会質問みたいな迫り方。両派譲らず収束していった。

ものすごい非難の嵐

 びっくりしたのは、はてブのコメントでJ_ogawaを「情報窃盗」だといって非難する人の多いこと。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/46420

 いや、やってませんよ。ぼくは。本屋で全部読んで買わないとか。本屋から表彰されてもいい程度には買ってますし。

 ここに出てくる「立ち読み批判派」とでもいうべき人々は、「ちょっと立ち読みするくらいはいいけど、1冊丸ごと読んでしまう立ち読みだけはいけない」(仮に「立ち読禁止穏健派」と呼ぶ)のか、それとも「立ち読みはそもそもいけない」(仮に「立ち読み禁止原理主義」と呼ぶ)のかが判然としない。
 このTogetterにでてくるアクターの多くは禁止原理主義者。原理的につきつめて、立ち読みそのものを批判しているのだろう。「立ち読み自体はわずかなものでも、本という商品の劣化を招くので、不法行為。少なくともモラル違反。立ち読みが絶対的に排除されないのは単に本屋側の好意にすぎない」というような論理構成となるだろうか。

 他方「立ち読み肯定派」も「中身を少しあらためなければ本など買えない。多少立ち読みするのは折り込み済みのビジネスのはずだ」という立場(仮に「立ち読み容認派」と呼ぶ)もあれば、「原理的にすべて読めるようになっているのだから苦労して全部読んだって問題ない」という立場(仮に「立ち読み急進派」と呼ぶ)まであろう。
 J_ogawaは間違いなく立ち読み急進派である。


「立ち読みはどんなことがあってもダメ」を検討

 まず、本の商品劣化という本屋側の主張と、中身検分が必要という買い手側の主張は、どちらかに絶対的な道理があるわけではない。主張のぶつかりあいだ。労働力商品の販売者である労働者が「労働時間の支出はできるだけ少なく」と言うのと、その購買者である資本家が「できるだけ多く」というのが絶対的に対立し、それは同格の権利の衝突になるのと同じだ。

 本屋側は劣化防止を優先させたいなら、マンガのようにすべてにシュリンクを貼るかネット書店になればいい。それは商売の自由である。
 商品劣化云々をいうなら、本屋だけにかぎったことではなく、例えばおしゃれな小物を売っている雑貨屋だって、手にとって見てもらうあたりを優先させるか、「さわらないでください」という札をたててバリアをはるか、戦略上の自由であろう。ちなみに破壊と一般的劣化は整然と区別されている。小物をこわしたら弁償させられるように、本もやぶったりすれば弁償させられるはずである。

 だから、いかなる立ち読みもしてはならない、という「立ち読み禁止原理主義者」の主張には道理がない。「立ち読みは通路をふさぐから迷惑だ」とか言いがかりとしか思えない。そんなこと言いだしたら背表紙みて長時間考えている人だって迷惑って話になるだろ。店に来る前に完璧に商品を絞り込み、短時間で購買して去る人こそ常識的かつモラルのある人である! アホですかw

 最近紹介した高田明典『難解な本を読む技術』でも、本屋で目次や内容を眺めて本を選ぶことを推奨している。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20100808/1281277709

 個人的な感想をいわせてもらえれば、そこにこそ本屋をめぐる醍醐味がある。

 
 そうであるとすれば、「本屋とは、客が中身を検分するために立ち読みをすることを折り込んだビジネスである」ということができる。


 もうちょっと別の角度からいうと、「立ち読みはお断りします」という張り紙がしてある場合は、確かに「モラル違反」だということはできる。それを「その店のルール」にまで昇格させれば、本屋側には立ち読み客を追い出す権利もある。張り紙がしてあるけども追い出されはしないのであれば、黙認されている、とみることができる。
 つまり、本屋側には立ち読みを明示的にどう扱うかを決められる権利があり、客側にはそのルールを含めて店を選ぶ権利がある。商品の買い手と売り手として対等な権利を持っている、という商品社会の擬制がそのままここでは生かされているのだ。

 J_ogawaにからんでいる人は、「立ち読みが店に迷惑かどうか聞いてみろ」としつこく言っているが、前述のとおり、これは商品所有者同士の権利の衝突なんだから、たとえばお金の貸し手に「金利が高い方がいいと思うかどうか聞いてみろ」と同じような質問にしかならない。「高い方がいい」と答えるに決まっているのと同じように、本の場合も「迷惑」だという回答が多いのだろう。そして多かったからといってどうということはないのだ。
 まあ、まれに「金利を低くすれば客がよく来るのでその方がいい」と判断する貸し手もあるだろうけど(それは「立ち読みをしてくれた方がよく買っていく」と判断する書店主と同じである)。

「全部読むのはダメ」を検証する

 では「中身検分程度の立ち読みはいいが、全部読むのはだめ」という立ち読み禁止穏健派の主張はどうだろうか。しかし、「本屋とは、客が中身を検分するために立ち読みをすることを折り込んだビジネスである」以上、そういう人が発生するのは致し方ない。無論、本屋はそういう客を嫌がるだろうけど、それはモラルの問題ではなくて、ビジネスモデルに隙間があった、ということである。
 「客がそんな人ばかりになったらどうするんだ」と述べている人がいるけど、そんな客ばかりにならないのは、ものすごく労力がいるからだ。「みんながそんなふうにしたら困るだろ」というわけだろうが、ならないって。「みんながやったら困る」みたいな論立てが許されるなら、図書館という存在自体が許されなくなってしまう。ある程度時間がたてば無料で読めてしまうんだから。*1
 そして、万が一そうなったら、ビジネスの姿を変えるだけの話である。先ほども述べたように、シュリンクをかけたりネット書店化したり、そういう対応策をとればいい。


「劇のタダ見」の比喩を考える

 「立ち読みしてなにが悪いの」を主張しているJ_ogawaは劇団員なので、それにからんでいるshin_1は、「オマエの劇がタダ見されることを考えてみろよ」「観た後に後払いするシステムにしろ」と攻撃している。からんでいる人(shin_1)にとってはそれがこの問題での「たとえ話」なんだろうけど、それは比喩としてはあまりうまくない

 劇場でゆったりと観劇した後に、料金を支払うかどうか決めるというのは、本をいったん家に帰ってそれをポテチとかかじりながらだらだら読んで、線引きまくって、付箋貼りまくって、それでよかったならお金を振り込むシステムのようなもので、立ち読みで全部読むようなシステムとは似ても似つかぬものだ(あるいは、家でゆっくり読み、商品としての価値を維持する形で本屋に返本するか金を払って所有する、というモデルにしてもいい)。

 もし観劇料のシステムにたとえるなら、劇場の前で「こんな中身の劇ですよ」という宣伝のために、劇の一部を数分の動画でみせるようなものだ。あるいは「ほら、お兄さん。面白い芝居やってますよ。ちょっと見ます?」と言ってチラ見させるようなもの。映画の宣伝と同じ。比喩を徹底させるなら、立ち読みで全部読んでしまうというのは、この数分動画やチラ見を、日がな根気よく見続ければ劇の一部始終がわかってしまう、というような状況に似ている。

 そこまでやる人はおそらくほんどいないだろうし、そういう人を折り込み済みでその動画宣伝orチラ見システムをつくったってまったく問題ないはずである。

 今ある芝居というのは、チラ見させるシステムをもっていないので、こうした比喩が成り立たないのである。J_ogawaはカンパ制公演とかをあわてて約束する必要は全然なかったw*2

 というわけで、ぼくの主張はまとめてみると、「今の本屋は、『全部読み』ふくめて立ち読みが想定されているビジネスであり、立ち読みはモラル違反ではない。いやなら費用対効果を検討したうえで、それを防ぐ手だてをとる自由がある」ということになる。
 つまり、紙屋研究所というのは主張的にはJ_ogawaと同じく「立ち読み急進派」ということになるな


罪悪感の源流をさぐる(適当に)

 でもまあ、立ち読みにある種の罪悪感を覚える、というのは何か刷り込まれているよね。ぼくもそうだし。たぶん、小さい頃、おばあちゃんとかがやっているような街の小さい本屋でハタキで追われたり、「買わないなら帰っとくれ!」と怒鳴られた原罪意識があるのではないか。「これは貨幣保持者と商品保持者の対等なルールのもとでの行為です」と言えなかった少年時代に、一方的に大人という権威に追い払われた記憶がもとになっているのでは。知らないけど。

アイコンで損をする

 ところで、J_ogawaは、間違いなくアイコンで損をしている
 はてブのコメントには、アイコンに嫌悪感を抱いた人が多い。お前はJ_ogawaをどう思ったのかと問われればですね、いやだなあと思いましたよ。正直言って。


 このアイコンと主張のアグレッシブさがセットになったときに、ぼくらに伝わってくるものは、「自省せずに自分の無謬を疑わないナイーブさ&頑迷さ」というものを想像してしまうから。リアルでこの顔に似た人、すいません。あくまでセットになったときですから、

 たとえば、アイコンを空海とかにしてみたら、嫌悪感はぐっと減ると思うんだけど。


 ほらほら。嫌悪感が30%くらいoffになったよ!
 あと、証明写真みたいなのだったらよかったかもしれません。
 なんか、最後、モロに「空気嫁」みたいなエントリになってますが。気のせいですんで。

 はてブブコメにあるように、「えがちゃん」とかもそういう類だと思う。
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/

 なんでかな。落書きとかして卑下してある記号がついてるのにねえ。*3
 けんすうのアイコンとか好感もてるよね。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/

 そうだ! 口が「3」になってりゃいいんだ!

*1:図書館を有料化せよ、という主張はあって、確かにそこまで言うなら主張の一貫性はあるけども、多くの人はそれを主張すまい。また、このTogetterのまとめにおいて、立ち読み批判派がブックオフでの立ち読みについてまごついているのも興味深いことだ。

*2:関係ないけど、劇団のチラシって、なんで中身を書いてないものが多いんだろう。劇の様子のひとコマとか、あらすじ的な説明さえない場合が少なくない。どうしてそれでインセンティブになるのかわからんのだが。

*3:ぼくのアイコンもひとのことはいえないが。