小泉真理『ジンクホワイト』

 最初に小泉真理をみたのは、「フィール・ヤング」誌上で短編を読んだときだった。
 友人の紹介で交際をはじめることになった、革命的にぼんやりした2人が、「会えばヤる」というだけの生活をしているうちに妊娠してしまい、結婚することになった。が、どうも勘違いだったと結納の場でわかるのだが「めんどくさいからな!」といって男がそのまま結婚してしまう――という話。

 

 

 

 

 わずか数ページの短編(『CUT×OUT』所収)なのだが、男のあまりのいい加減さがひどく印象に残った。無頼を気どるでもなく、無理な放慢さを描くでもなく、正しく「いい加減」だった。

 そのあとで、「本に呼ばれる」ように、まったく偶然に平積みされたものを手にとったのがこの『ジンクホワイト』だったのだ。

 美大をめざす高校生の話。主人公のマキは転校してきた高校の美術科に入りたいのだが、入れてもらえず、泣く泣く美大予備校に通いながら、普通科に通う。せめて美術部に入ろうとするのだが、雰囲気になじめず、また、絵があまりにうまいためにイビり出されてしまう。その美術部でしりあった和田というオトコに妙になつかれてキスなんぞされたりする。という話。

 小泉真理のふだんのペンネームは「こいずみまり」だが、この作品は下ネタではないという意味をこめて「小泉真理」と名乗っているように、小泉真理にしては異色の作品。

 そしてイイ。

 小泉がノッて描いているんじゃないかと思える箇所は、予備校のシーン。読んでいてここが一番面白い。
 色をつけたり、描きこんだりするのはマキは得意なのだが、デッサンだけはダメ。ヘロヘロになるまで描いてもちっとも時間までに出来上がらない。
 が、突如「描ける」瞬間がやってくる。
 「か……描けた……」
というセリフとともに、大写しになるブルータス石膏像のデッサン。
 描けたとたんに、講評が待ち遠しくなり、酷評されても嬉しくて仕方がない。思わず授業終了後に予備校の講師のところに走りよって、自分が「わかった!」ということをもどかしいコトバで必死に表現する。


「つながったの! なんかねー… わかったの!! あのねーあのねー今日ねっ ブルータスのアゴの下描いててわかったの!!  あの…アゴの下のカゲの色の濃さってさー 胸板のてりかえしがあるからあれくらいのカゲの色で―― でもてりかえしは胸板だけじゃなくて床とか壁とかも影響してて―― そこにあるものは、イキナリそこにあるんじゃないんだよね 全てのものは干渉しあってそこに在るの みーんなね つながってるの!! 」
 イイねえ。
 美術という分野に限らず、モノをきわめていこうとする者に共通の喜びというものを、作者はたぶん力をこめて描いているのだ。
 マキという主人公は、一貫して無気力でドライな印象をうけるけど、絵を描いている瞬間、そしてこんなふうな発見の瞬間は人がかわったように生き生きとする。キャラがくずれている、というのではなくて、逆にこの瞬間にこそマキの本領があるということを、作者は十全にわかっているのだ。しかも意図せずそれを描きこんでいる。そりゃそうだ、マキは作者の分身だもんなあ。

 小泉の描く女性の主人公は、ダルげな人物が多いけど、それはごく単純に作者の投影だからだろう。
 それだけに、作者がハマったりノッたりしたものになると、その無気力さから急激に飛翔する。
 ぼくはこの無気力ぶりも絵柄の稀代のいい加減さとマッチしていて好きなのだが、やっぱりこのノッた瞬間というものはそれ以上にそそられる。この無気力と飛翔のあいだの遠大な距離感が妙にリアルだ。

 同じ「マキ」と「和田」が登場する『健全恋愛ライフ』のほうも、ずるずる同棲の話を描いているうちはさほどのことはないが、話が広告業界の製作現場の話になるや、奇妙な暴走がはじまる。クライアントの無理無理な注文で超無理な日程でつくり直すことになる話とか、プレゼンでウケだけをねらってライバル会社とやりあう話とか、こちらのほうが、ぼくとしては断然面白い。

 小泉はもっと「生活と労働」を、下ネタを離れてどんどん描くべきだ。

 いっしょに予備校に行っている「宮田ちん」(女)が、ふだんはしょうもない下ネタを連発するのだが(これはこれで笑える)、絵を描き始めたとたんに眼がすわり一言も発しなくなる。しかも、実は、友人が自分より劣っている際には機嫌がよくなり、優れているとわかるととたんに不機嫌になる。
 このあたりも、ほかの「こいずみ」作品にはない。

 

 さっき絵柄にふれたけど、ぜんぜんうまくない。美大出とは思えん。
 しかし、妙な色気やなまなましさのある絵で、ツボにはまってしまう人はけっこういるだろうと思う。
 わたしもその一人。