矢口高雄『野生伝説 羆風』

 『釣りキチ三平』でおなじみの矢口高雄が、動物文学の巨匠の原作をマンガ化。

 

 

 いま20代後半から30代くらいの世代の男性なら、いちどは、釣り、および『釣りキチ三平』に夢中になったことがあるだろう。ぼくはどちらにも夢中になり、実家は田舎だったので、フナや雷魚ナマズなどの釣りに熱中した。その熱中をささえたのが、『釣りキチ三平』で、じぶんも三平になったような気分で釣りをしていた。

 この『野性伝説』は全5巻あるが、後半の3巻を「羆風」という作品がしめているが、これが圧巻。
 ぼくはどうも、杉浦日向子の『吉良供養』(赤穂浪士の吉良邸での大量殺戮)とか山岸凉子『負の暗示』(津山三十人殺し)などに関心をしめしてしまうのだが、この「羆風」もじっさいに大正初期に北海道でおきたヒグマによる村民大虐殺事件の話なのである。

 北海道の開拓民村である六線沢に、「袈裟掛け」とよばれるヒグマが出没し、いったん人肉の味をおぼえ、つぎつぎと村民を襲う。
 一軒一軒がどのように襲われ、どのように殺害され、またはどのように助かったのかを克明に描いている。家族が食べられているときの情景や心理を何コマにもわたって描写するものだから、たえられない人にはたえられないだろうと思う(画像としてスプラッタなものは出てこないが)。

 武器がないために、妻が、まるで氷砂糖を噛み砕くようにその骨を噛み砕かれる音を、夫や村びとはただだまって聞いているのである。

 吉野朔実のときも書いたけど、こういうとき、行政の死亡記録のような、ひどく事務的な死亡記事こそ、その事実が圧倒的な現実であることをいやおうなくわれわれに押しつけてくる。この作品にもそういうものがおりまぜてある。

 もちろん矢口はいたずらに残酷シーンを描きたいのではなく、自然の猛威というものがどれほど恐ろしいのかということをテーマにしたがっているのである。「袈裟掛け」の側からすれば、じぶんの領域を人間に荒らされていることへの怒りなのだ。

 矢口には、あまり「虚構」の土台のうえで勝負する力はないんじゃないかと思う。『釣りキチ三平』にしても、やはり面白いのはその釣りや魚の描写であって、そこから離れたストーリーにあまり魅力はない。
 デビュー作、「赤とんぼの里」でも田舎の因習にまつわるドキュメンタリータッチな作風がつよく、やはり矢口の勝負どころは、こうした事実に立脚したノンフィクションである。