「楽待」の自治会問題記事にコメントが載りました

 不動産投資新聞「楽待」で2024年5月25日付、編集部執筆の「謎の組織『自治会』、加入強制が退去の原因に…大家vs自治会のトラブル勃発 加入は義務じゃない、それでも「自治会」トラブルが減らない理由は」という記事で、取材を受けて、ぼくのコメントが載っています。

www.rakumachi.jp

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 ぼくが自治会長を引き受けた経緯、それがどんなに大変になっていって最後にどうなったかなどが書かれるとともに、自治会って本当のところ必要なのかどうか、今後どう付き合うべきか、みたいなことにもコメントをしています。

池辺葵『ブランチライン』6巻

 共産党志位和夫は、社会主義——生産手段の社会化によって労働(賃労働)の性格は変わるという話をマルクスを引いて語っている

 労働の性格も大きく変わるでしょう。マルクスは、1864年に、労働者の国際団体――国際労働者協会(インタナショナル)を創立したさいに執筆した宣言のなかで、こう言っています。

 「賃労働は……やがては、自発的な手、いそいそとした精神、喜びに満ちた心で勤労に従う結合的労働に席をゆずって消滅すべき運命にある」

 他人の生産手段のもとで、他人のもうけのために、他人の指揮のもとで働く労働では、非人間的な労働苦は避けられません。それにかわって、各人の自由な意思でつくった連合体がもつ生産手段のもとで働くようになれば、未来社会での労働は、本来の人間的性格を回復するだろう。これが私たちの展望です。

 うん、まあ、そうかもしれないんだけどさ。

 「自発的な手、いそいそとした精神、喜びに満ちた心で勤労に従う結合的労働」って生産手段を社会化したら急に生まれるものなのかなとも思う。

 それって、資本主義の中でも育ってくるんじゃないの? と。

 マルクスが生きていた時代に、マルクスが『資本論』で紹介していたような工場労働を見ていると、そこに「自発的な手、いそいそとした精神、喜びに満ちた心で勤労に従う結合的労働」は片鱗もないように思える。

 だけど、労働運動が進み、労働時間の短縮があり、社会保障が発達する中で、資本主義の賃労働のもとでも「働きがい」とか「やりがい」というものは生まれ、それは一定の規模で大きくなっていく。

 自分たちのこだわりを持った労働が生み出した商品が、必要とされる人たちにちゃんと届いて喜んでもらえる。そのことの楽しさや素晴らしさを丁寧に描いているのが、池辺葵『ブランチライン』の6巻に出てくる、独立した小さな服のブランドTAKETOの物語である。

 Ondeというやはりこだわりのある服をつくるブランドにいた武人(たけと)は、Ondeでさえ他のスタッフがコストや効率で割り切ろうとする瞬間にその論理にあらがい、自分から見てこれしかないと思える形にこだわろうとした。実際に、その通りに作られた服は飛ぶように売れていく。

 武人はOnde社長の藤崎から独立を勧められ、TAKETOという別ブランドを立ち上げて独立するのだった。

 服を販売する会社の山田は、武人の苦情に対応するために武人のもとを訪れる。

 意見を直接に聞くためだ。

武人「何を言ったって妥協点を探すことになるんでしょうね 君たちのように大きいショップは合理性を求めるからね」

山田「いえ そんなつもりでうかがったんではありません まずはお会いして具体的なご意見を聞きたくて 精度を高めるにはより感度の高い視点が必要ですから」

 武人は少し意外なような顔をする。

 山田が単に「なだめ」に来たわけでもなく、武人の言うように妥協点を探るためでもなく、しかし経済的な合理性と整合性のある説明をして、武人を納得させたからであろう。

 

 そして、陳列されているシルクの商品に山田の目がいく。

 「すごく気持ちがいい」服なのに、売れていないからである。武人は高値のせいであまり人気がないのだと説明する。

 しかし生地を触り、見ながら、

すずしくて あたたかい

シルクはまさに文明の奇跡の布だよ

と愛おしそうにつぶやく。山田はその表情を見ながら自分たちの会社に出品しないかと持ちかける。武人は君らの会社とは価格帯が違うからというのだが、今はもっと価格帯が広がっていると説明しながら

特集を組んでシルクの魅力が伝わるようにして…

ここに眠らせておくのはもったいないです

そんなたくさん作れないんだから作った分は完売を目指しましょう

と武人に提案するのだ。

 ここには経済的な合理性や効率、営業における販売の成功=「命がけの飛躍」という、多くの生産と販売の現場で起きていることが語られている。しかし、製品の魅力を特別に抽出して必要な人たちに届けるということが、現実よりも見事に美しく切り出されて提示されている。

 

 資本主義の下での激烈な競争、巨大な資本の圧倒的な力の前に、こうした努力は往々にして吹き飛んでしまう。吹き飛んでしまうけど、それはゼロになるわけではないだろう。こうした努力は社会のそこかしこで生まれ、ある程度成功し、生産する者にとっても、それを販売する者にとっても、やりがいや生きがいを生み出し続けている。

 

 生産手段が社会化されるというのは、ある日を境に一挙に行われるものではない。

 市場経済をベースにして生まれた資本による利潤第一主義という社会の原理が、ある時は法律で、ある時は補助金で、ある時は職場の運動で、一つ一つ乗り越えられていくプロセスなのだと思う。

 コストや経済合理性とのせめぎ合いは、急に終わったりはしないものだ。資本主義のもとで苦労して生産物の良さを生み出して本当に需要をしている人たちに届ける喜びが日々開拓されており、それがそのまま地続きで新しい社会につながっていくものではないのか。

 武人や山田のような努力がもっとやりやすくなり、買い手の側ももう少しゆとりを持ってそれを買えるようになる、そんな社会なのではないか。いきなり全面的に変わったりするようなものではないだろう。

 『ブランチライン』6巻を読みながらそんなことを考えた。

 

「世界は思ってるより善意で満ちている」と思えるか

 武人が

君たちを見ていると

世界は思ってるより善意に満ちているって思えてくるね

としみじみ述べるシーンがある。

 自分の服を必要な人に届けるために、丁寧に動いてくれる人たちの存在を感じられるからであろう。

 そんなふうに思える瞬間があるのは実に素敵なことではないか。

 実はぼくもそうなのである。

 最初はぼくの苦境に対して、「水に落ちた犬を叩く」という人はそんなにはいるまいと思っていたら、そういう人が多くてびっくりし、「世界は実は悪意に満ちていた」と失望したものだった。信頼していた人まで棒で叩き始めたりして。

 しかし、やがて、そういう苦境に手を差し伸べてくれる人が意外にもたくさんいることもわかった。溺れている犬が棒で叩かれるのを見て恐怖で黙らされている人は仕方ないけど、そんな中で勇気を持って、ぼくに声をかけてくれる人は、本当にありがたいことだった。

 世界は思ってるより善意に満ちているって思えてくるね。

 

頼清徳の演説の評価

 台湾の新総統・頼清徳の就任演説。

 長くはないので全文を読んでしまった。

www.yomiuri.co.jp

 日本の新聞はどう評価しているのかなと思っていたが、

(1)「現状維持」

(2)中国との対立を意識してかなり踏み込んだ表現をした

という二手の解釈に分かれたように思う。

 中国側の反応は強い非難のニュアンスを感じる。

digital.asahi.com

 (1)だと中国がなぜそんな反応になるのかがわからなくなるが、「台湾側はことをあらだてるつもりはないのに、中国が一方的にイキッている」というニュアンスが出るのだろうか。

 (2)の報道だと、中国側の反応はわかりやすくなる。

 例えば朝日は次のように報じた。

digital.asahi.com

アイデンティティーや経済の面で中国と近づくということはなく、「明確に川を渡った」という印象を受けました(松田康博・東大教授)

 相当な踏み込みようだ。

 松田は共同通信西日本新聞21日付)にも次のように語っている。

頼清徳新総統の演説は中国と意義のあるコミュニケーションを取った痕跡がない。中国が強い圧力をかける中、妥協しても何も得られないという教訓を基に、抵抗姿勢を明確に打ち出した。台湾と中国は別の国だと位置付けており、中国にとっては取り付く島がない。

 つまり、中国側が体裁を保って行動に出られるようなフックが何もなく、頼もそのようなきっかけを作るつもりもないということである。もちろん先ほど述べたように「現状維持」「中国に武力による脅しをやめるよう求めたい」という訴えは行なっているのではあるが。

 時事通信もなかなか厳しめの評を出している。

www.jiji.com

頼氏は、蔡英文前総統と同様に「現状を維持する」と述べる一方で、中国が掲げる「一つの中国」原則の完全否定とも受け取れる表現を多用。中国が強く反発しているだけでなく、台湾内でも「事実上の独立宣言だ」という見方が出ている。

 表面上の言質を取られないように言い回しは工夫したが、内実で「独立」のニュアンスを強めた、という感じだろうか。東浩紀的な「訂正する力」とでも言おうか。

 ぼくとしても(2)的なニュアンスを感じた。まずいなあ。

 だからと言って、中国側が武力対応を強化することには何の合理性・正当性もないのであるが。

 

 明らかに対話が遠のいてしまい、日本は台湾有事に巻き込まれる時計の針をまた一つ進められたように感じた。特効薬があるわけでもないので、ぼくとしても「こうすればいい」というような明確な解決策の方向性は何も見出していない。ただ、ぼんやりと不安になるだけだ。

 

 しかし、日本の新聞各紙が社説で問題の平和解決と中台の対話を要求したように、愚直にそれを追求するしかないだろう。日本政府にもそれを要求する。

 そして、日本としては米軍の戦争に加担する形で緊張を高める「備え」を強化していく循環に入らないことである。*1

 

 

*1:もちろん20日に呉江浩駐日中国大使が行った、「日本が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」というような挑発発言は許し難いものである。

運動の習慣をつけるには

 たまたま目についたこの話題(すでに4月のエントリだが)。

blog.hatenablog.com

 自重の筋トレを初めて7年目になる。

 効果があるかどうかは別にして、続けていることは間違いないから「なぜ続いているか」について少しくらい書いてもいいだろう。

 といっても、実は1年目でもうドヤ顔して書いていた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 同じことを書いてもアレなので、今回はそれとは違うことを少し。(といってもスモールステップの変奏なのだが)

 

 

 ぼくのマインドセットとして、例えばある日の筋トレの総量、

  • プッシュアップ(腕立て伏せ)15回×4セット
  • クリンチ(腹筋)15回×4セット

を思い浮かべると気が重くなる。

 しかし、「まず5回だけ」とやってみる。

 やっている最中に5回を超えたら、次は10回のことをイメージしてみる。

 5回目と10回目の間に8回目が入って来るが、8回目も「ようし、半分を超えた」という節になる。8回から10回はすぐだ。そして10回になると2ケタの到達感が味わえて、15回はすぐそばにある感覚になる。

 すると15回は終わっている。

 1分インターバルの時も2セット目の最初の5回のことしか考えない。

 同じようにして10回、15回で2セット目が終了。

 これを4セット目まで繰り返す。

 

 総量をイメージするな。

 目の前の小さな目標のことだけに没頭しろ。

 そうすると苦痛が明らかに減るのである!

 

 

 …うん。書いていて、落語の「愛宕山」に出てくる太鼓持ちの一八(いっぱち)のようだなと思わざるをえなかった。

 一八は旦那に“愛宕山に登ることなんか全然きつくない”とうそぶいて、でたらめな「コツ」を周りにしゃべるのである。

こんなものは「これから一生懸命、山に登るんだ!」なんて気負っちゃいけませんよ。ねえ。で、上みちゃいけないよ。上みちゃ。ね。こうね、ずっと目(ま)の当たりを見てなさい。ねえ。そうすると地べたがどんどんどんどん下へ流れていくだろ。ねえ。地べたが消えたところ、なくなったところがてっぺんだ。それが理屈だ。ねえ。どってことはない。こんなものは。ねえ。

 (なお、こう豪語している一八は、登山早々、音を上げてしまう。)

 ぼくの話を読んでアホみたいな自己啓発のように思ったかもしれない。まあ、おおむねアホみたいな、一八みたいな話なのだ。しかしあえて言わせてもらえば、これはおそらくぼくの思考のクセなのだ。例えばある地域にビラを配る時も配布部数が多いとうんざりするので、とりあえず目の前の小さな区画に配ることしか考えない。目先のセットをやって、そうして次のセットにいく。気がつけば終わっている。

 これは娘もそうなのだが、その日にやらなければならない勉強量の総量を思い描いて、憂鬱になっていることが多い。全体のことを考えちゃダメだ。やる気が失せる。目の前の小さなことに没頭しろ。

 同じような思考のクセを持つ人がいたら、多少は効くかもしれない…。

 

 

 そういえば、もう随分前のことであるが、ある団体が膨大な量の販売拡大目標をどうやって達成するかを指南する指導文書に、こういう「小目標への分解」という話が真顔で書いてあって、ぼくはそのとき「愛宕山」を思い出し、“それは物事の一つの側面や、現場での心の持ちようのティップスのようなものであって、そんなことを組織方針で書いたらダメだろ”とびっくりしたことがある。

 

「台湾住民の民意尊重」と「一つの中国」原則

5月20日に台湾新総統の就任演説への注目

 5月20日に台湾の新総統(頼清徳)の就任演説がある。

 そこで何が語られるかが注目されている。

 中台関係の緊張が高まるかもしれないからだ。

頼氏の当選阻止を狙い、「トラブルメーカー」などと名指しし、警戒してきた中国の圧力強化は今後避けられそうにない。中国は台湾統一を歴史的任務とし、その対極に、過去何度も「台湾独立」を公言してきた頼氏が座る。中国の習近平(シー・ジンピン)指導部にとっては、頼氏の総統就任は最も避けたいシナリオだった。

頼次期政権との対話が不可能と判断すれば今後、武力統一の可能性をちらつかせて威嚇を強めるシナリオも排除できない。(日経1月14日付)

 緊張の高まりは、現状では日本や福岡市にも大いに関係する問題になってしまう。

 台湾有事は、日本本土への侵攻ではないにも関わらず、米軍に事実上従属している日本が「参戦」し、もしくは「味方」することで否応なく巻き込まれる問題だ。「台湾有事は日本有事」という人がいるが、確かに「台湾有事は(そのような米中紛争への軍事的な従属・加担のもとでは)日本有事」ということになる。逆に言えば、そうした従属をやめるという政治選択によって、「巻き込まれる問題」としての性格は解消する。

 

 ただ、日経記事でも

総統選では、頼氏は独立志向を完全に「封印」して安全運転に徹した。1月9日には「『中華民国台湾』はすでに主権のある独立国家だ。改めて独立を宣言する必要はない」と語った。中国が最も嫌がる「独立」の文言には今後も触れないと説明した。

とあるように、就任演説で「独立」の話が出てくる可能性が低いと見るのが一般的な見方になっている。

 

「台湾独立」について

 「しんぶん赤旗」の本日(5月6日付)には、中国の大陸側のシンクタンク・上海国際問題研究院・台湾研究所の童立群副所長の「両岸関係 楽観視できない」と題するインタビューが載っていた。

 童によれば、中台で「一つの中国」原則を確認した1992年合意、そして民進党の「台湾独立」の党綱領の「放棄・凍結」を中国政府側は期待し、実行されれば対話・交流に障害はなくなるが「頼氏がこの二つを実行する可能性はない」とする。

  頼氏はもともと「台湾独立」を主張していました。中国大陸側は頼氏への不信感が強いです。今後4年間は、両岸関係は非常に危険な状態になるでしょう。〔…〕

 この非常に危険な上来がコントロール不能となり、台湾海峡のさらなる危機や戦争に陥る可能性は否定できません。

 童がポイントとして見ているのは、二つの問題のうちの前者だろう。

台湾政府が「92年合意」に戻らなければ、両岸の公的な対話の回復は難しいです。

 後者(党綱領の凍結・放棄)がなくとも、92年合意=「一つの中国」原則の確認=台湾独立の凍結が事実上勝ち取れるからだ。

 

台湾の民意が「台湾独立」になったらどうなるか?

 ところで、日本において台湾有事を考える際に、「台湾の民意を尊重すべき」論がある。

 例えば日本共産党志位和夫の講演で次のように述べている(4月17日)。

台湾海峡の平和と安定は、地域と世界の平和と安定にかかわる重要な問題です。この問題がどういう過程をたどるにせよ、日本共産党は、平和的解決を強く求めます。そのさい、台湾住民の自由に表明された民意を尊重すべきであります。

 「台湾住民の自由に表明された民意を尊重すべき」。

 日本共産党はこれまで「一つの中国」原則を「日中関係の五原則」として支持…というか非常に重要な立場として堅持してきた。事あるごとに強調してきたのである。

私どもは、中国と台湾の問題に関しては、日本は「一つの中国」という国際法の枠組みを守らなくてはいけないと、確信しています。

 「一つの中国」というのは、国連でもその立場で中国の代表権を台湾の政権から今の中国の政権に交代させたのだし、日本と中国の間でも、アメリカと中国の間でも、「中国は一つ」という原則が確認されています。破るわけにはゆかない国際的原則です。(不破哲三の講演より)

 しかし、もし台湾住民が「台湾独立」という民意を表明したらどうするのだろう?

 「一つの中国」原則と「台湾住民の民意の尊重」という原則の間には矛盾があるのではないか。

 台湾の世論状況は、

台湾の民間シンクタンク・台湾民意基金会が1日発表した世論調査で、「台湾独立」を支持すると回答した人が今年2月の前回調査から4.9ポイント増え48.9%に上った。

とある(2023年9月5日記事)。

 ただし、今すぐ独立すべきかどうかについて言えば、状況が一変する。

台湾世論において「台湾独立」は主流でなく、「現状維持」が主流であることを意識したためとみられる。台湾の政治大学選挙研究センターによれば、現時点、あるいは永遠に両岸関係の「現状維持」を望む見方が6割を占める。これに対し、「台湾独立」という意見は5%にも満たない(鎌田晃輔「台湾総統選挙は与党が政権維持」/みずほリサーチ&テクノロジーズ/2024年1月18日)

 どちらにせよ、現在の世論状況とは別に台湾住民の多くが「独立」を表明した場合に、日本共産党は「一つの中国」論を貫くのか、それとも「民意尊重」を貫くのか。同党は志位提言を使った対話に取り組んでいる。対話では様々な意見も出ることだろう。このあたりも聞いてみたいところである。

 

 

台湾有事は「起こりえない」のか?

 ところで、他の左翼と話していると「台湾有事を煽るな」ということを言う人がいる。

 それは正しい。

 だけど、「アメリカが台湾有事をはじめとして中国との戦争を念頭において、日本での戦争準備が行われている」という告発*1をしても「それも台湾有事を煽るものだ」と批判する左翼の人がいるのにはどうにも閉口する(あくまで一部の人だけど)。

 そういう人たちからすると、台湾有事など影も形もない現実性であって、台湾有事というフレームで問題を口にすること自体がタブーであり、戦争を煽るものだというわけである。どうかすると平和・安全保障問題の学習会で「台湾有事など現実的にはありえないと思いますが、考えをお聞かせください」と講師に質問する左翼の人もいる。

 いやあ、いくらなんでもそれはおかしいだろう。

 「台湾有事は日本有事」というのは明らかにごまかしのレトリックであるが、それを否定するために「台湾有事など起こりえない」というロジックに踏み込んだら間違いだろう。

 共産党赤嶺政賢が台湾有事をめぐる論戦を国会でよくやっているけど、「台湾有事など起こりえない」という立場には立っていない。「台湾有事は起こりえない非現実性だから計画するな」という告発をしてはおらず、対米従属下で米中の戦争に巻き込まれる危険性を告発している。それが正しいとぼくも思う。

www.jcp.or.jp

www.jcp.or.jp

 

*1:日本は事実上アメリカの軍事的従属下にあるので、アメリカの戦争計画、とりわけ先制攻撃戦略に無批判に付き従って戦争準備態勢を整えてしまい、とんでもない目に遭う危険性が高いわけだが、それは台湾をめぐって起きる紛争がアメリカよって始められるということだけを意味するのではなく、中国側が先に台湾へ武力侵攻して「内政問題だ」と言い張る可能性もある(現実的にはむしろその可能性の方が高い)。

伊集院静『海峡』

 原爆の写真を子どもに見せるべきかどうかについての話題。

digital.asahi.com

ジョージア駐日大使のティムラズ・レジャバさん(36)は2月末、家族で広島平和記念資料館広島市)を訪れました。原爆で黒く焼け焦げた弁当箱を見つめる長女(当時4)の写真を、X(旧ツイッター)に投稿したところ、Xでは「子供にはまだ早いのでは。可哀想」とのコメントが寄せられました。子どもが平和や戦争について学ぶとき、残酷な事実は見せない方がいいのでしょうか?(前掲朝日)

 

“恐れ本”

 先日リモート読書会で読んだ伊集院静の自伝的長編『海峡』に「恐れ本」の話が出てきていた。

 

 

 一学期の終業式の日、真ちゃんが、

「英ちゃん、“恐れ本”があるぞ」

と休み時間に言って来た。

「恐れ本?」

「ああ、恐れ本じゃ。図書館にあるんじゃ」

「何それ?」

「ピカで死んだ者の本じゃ」

英雄は真ちゃんを見た。

「昼休みに見に行こう」

 英雄は窓辺に頬杖をついているツネオを見た。ツネオはあの日以来、元気がなかった。

 “恐れ本”は図書館の奥の棚の、それも最上段にあった。

 高い書棚に囲まれた場所は、外からの陽差しが届かずひんやりとしていた。踏み台を運んで来た真ちゃんが、一番上に乗って、一冊の分厚い本を指先でようやく取り出すと、飛び降りた。

 『広島原爆の記録』と背表紙に記された茶褐色の本だった。(伊集院静『海峡【海峡 幼年編】』新潮文庫、p.385-386)

 広島の隣県である山口県で、まだ戦争が終わってからそれほど経っていない時期に、被爆者差別とすぐ隣り合わせになる形で被爆の実態を伝える写真が「怖い本」という扱いを受けていた。

 ただ、「被爆者や被爆の実相を写した写真集が恐ろしい」という感覚は、伊集院の世代よりも20年ほど後に生まれたぼくにとっても同じだった。ぼくはたぶん『少年朝日年鑑』だったと思うのだが、一度開いて見入ってしまい、その後、その本に近づきたくない、開きたくない、見たくないという感覚が強かった。身近に被爆者がいたという認識がないので、それがストレートな差別感情にはつながらなかったけども、「被爆の写真を見るのは怖い」という感覚は小学生の間は抜けなかった。

 本自体に恐ろしさがあるというか、忌避感があって、伊集院の世代でそれを「恐れ本」と呼んでいたと知った時に、その感覚が蘇り、言い得て妙だと思った。もちろん、それは被爆者差別につながる表現でもあったのだろうが。

 

伝書鳩

 『海峡』(幼年編)を読んだ時、ただちに五木寛之青春の門』を思い出した。しかし、『海峡』の場合、主人公はまだ主人公が子どもであり、覚醒していないせいもあるのだろうが、主人公本人というよりも、その周りで起きている事件や登場人物に強い色彩があり、しかも彼らをめぐる事情はまるで子どもの心象風景のように、ぼんやりとしている。

 鮮やかに描き出されるいくつかの事件の事実性だけが、読む者にも迫ってくる。

 主人公が伝書鳩をうらやましく見に行く場面がある。

 ぼくは、小学生の時、飯森広一『レース鳩0777』を読んでいて、どうしてもレース鳩が欲しくなり、遠くにいる父親の仕事先の知り合いから譲ってもらって飼っていたことがある。

 

 結構まめに、かわいがって世話をしていたのだが、家族はおろか近くにレース鳩を飼っている人もおらず、ネットもない時代でどうやって鳩を訓練するのかわからず、一度家の近くで放したらそれっきり戻ってこなくなった。

 間抜けなエピソードで、子供心に自分のやったことの愚かさを嘆き、大いに傷ついた。親にもあまり真相が言えずに逃げてしまったということにした。

 

隣の校区に行ってそこの子どもたちに追いかけられる

 また、主人公が、バッタを捕まえるために岬の方に友達と出かけ、そこでその土地の子どもたちに取り囲まれるシーンがある。

「この木から先が岬になるぞ」

 樫の木の下で真ちゃんが声をひそめて言った。二人とも岬の領分に入ることの怖さを年長者から聞いて知っていた。

 そこはただの原っぱだが、その先をずっと行くと岬口と呼ばれるちいさな漁港になっていた。岬口の漁師は荒っぽいことで有名だった。…荒っぽいことは岬口の子どもたちも同じで、街の子供も岬口へ行くことは危険だと知っていた。この夏も古町の時計屋の兄弟が、岬口へ鰻を突きに出かけて、頭に大怪我をして戻って来たことがあった。(p.144)

 ああ…ぼくも隣の校区に行って、そこの子どもたちに自転車で追い回されてめちゃくちゃ怖い目に遭ったことがあるなあ…と思い出した。自分たちの町内に戻って来たのに、「どこへ行った!」みたいに探されて…。

 その時、うちの町内の、さらに年長の子どもたちがいて、その人たちに言いつけると今度は逆に隣の校区の子どもたちがシメられていた(暴力を振るわれたわけではない)。

 

 そんなことをいろいろ思い出すエピソードが多い…と感想を言ったら、参加者の一人(Aさん)からびっくりされた。

「この小説を読み始めた時、最初は戦前が舞台なのかと思った。というのは、全然戦後民主主義の匂いがせず、時代設定や原爆の話を読んでようやく『え、これ戦後の話なの?』とわかったからだ」

とAさんは言った。

 Aさんの親は教員で活動家だったし、都会であったこともあるのだろう。

 逆に、ぼくなどは、周りにそうした知識人的な人間や左翼っぽい人がおらず、父親や母親から戦後民主主義的なものを感じたことはほとんどなかった。彼らはそうした理念ではなく、何事もリアルな感情で動いた。

 本作で、在日コリアンたちが祖国から逃れて密航してくるのを主人公の父親たちが手引きするシーンがあるが、そういう感覚も何か運動やイデオロギーではなく、同胞的な感情とか同情心とかあるいは金銭とか、そういう要素で動いている感覚が伝わって来て、それはぼくが生まれた環境とよく似ているなと感じた。

 

初・伊集院

 伊集院静の本はこれまで1冊も読んだことはなかった。

 その1冊目がこれであった。初・伊集院。

 28日付の読売には読者にとっての「思い出の伊集院」を語る特集まで組まれていて、「『人は悲しみを抱えて生きていくものだ』と教えてくれた」とか「哀切さの中に、凛とした生き方があったのではないでしょうか」とか「伊集院さんの言葉は、つらい時や迷いのある時の指南書」だの想像もできないような賛辞が並んでいた。

 ピンとこないのである。だって1冊しか読んでないんだもの。

 そもそも作詞家であったことさえよく知らなかった。どんだけ知らないんだよ。

 「『ギンギラギンにさりげなく』は伊集院の作詞ですよ。最初に買ったシングルが『ブルージーンズメモリー』で映画まで観に行ったマッチファンの紙屋さんこそ伊集院に大きな影響を受けているんじゃないですか」

とAさんが宣う。

 いや…「ギンギラギンにさりげなく」を処世にしたことはないし、むしろ「ギンギラギンにさりげなく」でニセ・マッチを演じた鶴太郎が出た「ひょうきん族」の回の方が、心に刻まれてるんだけど…。

ケアの社会化

 記事は、斎藤真緒(立命館大学教授)のオンライン講座の概要を伝えるものだ。『福祉のひろば』(総合社会福祉研究所編集)2023年7月号に掲載されていた。

sosyaken.jp

 「ケアラー支援」と聞けば「あ、ヤングケアラーへの支援の話ですね?」と思ってしまう人もいるだろうけど、そうではない。

 そうではないけども、ヤングケアラー問題を考えると、ケア全体につながる問題が見えてくることも確かなのだ。

 そこでまず、この講座ではヤングケアラーの問題を入り口にしている。

 ちなみにヤングケアラーとは何かについては、以下の記事を見てほしい。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 ヤングケアラーの話を聞くと、「小さい子どもにありえないケアの仕事をさせている」というイメージがまずやってくるので、そこから「虐待」「育児放棄」というイメージに飛びやすい(そういう場合もある)。

 しかし、斎藤はそこを「安直」につなげるとケアラーの望まない支援につながってしまう危険性を指摘する。相談した少女がお前の家庭はネグレクトかもなと言われたことについて次のように書いている。

事実、彼女はその言葉を聞いて、「二度と学校の先生には相談しないと思った」と話しました。彼女は、お母さんを責めたくて相談したのではなく、お母さんも自分もふくめて支えてほしかったし、生き抜く方法を知りたかったわけです。(p.32)

 これは後で斎藤が主張する「家族まるごと支援」という視点につながっていく。

 ヤングケアラーの発見とは、むしろ困難の起点になっている大人を見つけ、その家族全体の抱えている困難を社会が支えていくことへと発展させることが一番大事なことなのだろう。

 精神疾患や障害で苦しんでいるシングルの親がいたとしよう。そこの家庭に家事をしたりする人間を派遣したとしてもそれは子どものケアラーをヘルプすることにはなるだろうが(そしてそれで十分なケースもないとは言えないだろう)、根本的な解決にはならないのではなかろうか。

 

 また、ケアを「家事」「介護」などに分解したとき、その一部を子どもが担うことは、ふつうによくある話である。「お手伝い」だ。

 その線引きについて、斎藤は少しだけ触れている。

その点では、親・保護者の見守りがあるかどうか、ほかの活動を圧迫しない範囲内にコントロールできているか、今日はやりたくないということが選択肢として保障されているか、ということが見極めのポイントだろうと思います。(p.33)

 これは行政における支援の問題を考える際に直接は必要な線引き議論だろうが、後で触れるように「社会としてケアを支える」という視点へと発展させる場合にもその支えをどの程度にするか考えるポイントとなる。

 さらに、家族によるケアが一番だという言説が、知らず知らずのうちに入り込むことがあることを斎藤は批判的に見る。「家族思いのいい子ね」「すごいね」「えらいね」などの声掛けだ。

 ただ、これは「ヤングケアラー」という角度で問題を見ている人には、なかなか出てこないだろう。むしろ「虐待」「問題家庭」としての視点の方がおきやすい。

 しかし、先ほど述べたように、ケアラー支援を、ケアラー個人への支援に終わらせてしまうような場合に、無意識に「家族がケアするもの」という視点が入り込んでいる可能性はある。社会が家族まるごと支えるという観点にまで及ばないというわけである。

 

 そして、ヤングケアラーは支援されるべきだが、大人のケアラーは支援されなくていいか? という問題へ入っていく。大人のケアラーは自己責任でどうぞ、という発想。

 

いま国は、ヤングケアラーは支援するといっていますが、ケアラー支援については明確に言及していません。しかし、介護職やダブルケアラーの問題など、いまの日本の社会では、すべての世代にとってケアと自分自身の人生を両立させることが非常にむずかしいということに目をむける必要があります。(p.34)

 例えば、自治体で「ヤングケアラー支援条例を作ろう」というのは合意できても、「ケアラー支援条例をつくろう」が果たして合意できるかどうかということだ。

 ヤングケアラー支援条例を作っている自治体はある。

www.city.warabi.saitama.jp

www1.g-reiki.net

 他方で「ケアラー支援条例」を作っている自治体もある。

www.asahi.com

www.city.kamakura.kanagawa.jp

 

 大人のケアラーについても支援すべきだという視点は、しかし、では主に家族が担っているケアラー個人を支えればそれでいいのか、という問題にもつながる。

 大切なのは、ケアを必要としている人も、その隣にいるケアをになっている人も、いまは具体的にケアを担っているわけではないけれどケアがつねに身近にある人も、すべてのケアにかかわる人たちを、社会全体で支えていく、問題解決の単位を家族にとどめることなく社会に広げていく、ということではないでしょうか。

 これは、ケアが必要な本人への社会的支援を補うものとしてケアラー支援があるのではない、ということにもつながります。これまでの介護者の支援は、負担軽減やレスパイトなど、どうしても要介護者を媒介とした、家族がケアを継続するための支援として語られることが多かったと思います。

 そうではなく、ケアラー個人の生活や人生に焦点をあてたケアラー支援が、要介護者本人のへの支援も徹底させたうえで、車の両輪として必要だということです。家族によるケアから、家族まるごと支援へ。これがケアラー支援の大きな狙いであるし、ポイントだと思います。(p.34-35)

 

 ケアは誰でもするものだ。定義めいたものはあるけども、まずわかりやすくイメージしてもらうために、「家事・育児・介護・看護」のようなものをケアと考えてもらうといいだろう。そのほか、このカテゴリーに一見入らないようなこと(たとえ高齢女性の話を聞くとか、中年男性の肩を揉むとか)もあるので「誰かのお世話をすること」くらいにまずは考えてもらっていいのではないだろうか。

ケアは、私たちが生まれてから死ぬまで必要不可欠なかけがえのない営みですが、いまの日本の社会では、そのほとんどを家族が担っています。ケアラーになることは、自分のからだ、時間、感情をだれかのために差し出すことであり、ケアラー自身の活動や人生に大きな影響をおよぼします。(p.30)

 つまり、家事・育児・介護・看護のようなものを支援すること。

 育児の一部は、保育園や学校が社会として担っている。介護は介護保険の形で社会が担っている。看護も医療機関がその一部を担っている。

 家事はどうだろうか。

 例えば食事は、貨幣購入を媒介にして外食・中食で社会的に一部が担われている。

 しかし、多くは家庭の無償労働によって担われている。

 もし、公営食堂のようなものがあれば、あるいは、10世帯くらいの家族で共同で食事を作って、お金を払う仕組みのようなものがあれば、どうだろうか、と思う。

 ケアの支援ははじめは「困難事例」への対処として現れる。ヤングケアラーはその一例である。

 しかし、そもそもケアは社会全体で担っていくようにすべきだ、という視点を持った人たちが持続的にそれを改良することができていけば、ケアの社会化は次第に発展していくことになるだろう。

 

 ちなみに「ケア=負担だけではない」という視点も本誌で斎藤が語っている。

 ケアはどうしても負担軽減という話だけがされるけども、ケアはそれだけではない、という主張です。

 というのも、私自身、二人の子どもを育てる母であり、長男にはダウン症があります。自分自身をふりかえって、長男が障害をもって生まれてきたことでたいへんなことももちろんありますが、それ以上に、彼らは生まれてきてくれて、私自身の人生がすごくゆたかになりました。人が平等に生きるとはどういうことかということを、つねに考えなければいけない立場になって、そのことで学ぶこともとても多いです。(p.35)

 「そんなことはないだろう。負け惜しみだろう」と思う人もいるかもしれない。ぼく自身は、障害をもった子どもがいたことはないので、斎藤の言っていることの深いところは確かにわからないかもしれない。

 ただ、子どもがいるということは、確かに負担である一方で、子どもを育てる過程でぼく自身が大きく変化し成長させられたということは間違いなくあるので、斎藤が言っていることは、そのレベルでよくわかるのである。障害をもった子であれば、ケアについても負担が軽くないだろうが、反作用として自分が教えられたり成長することも大きく深いだろうということが。

ケアというものが、私たちの社会にかならず必要で大切な活動であることを、もっと正当に評価して、ケアを真ん中において、もっとケアを大切にする社会に向かうべきではないかと、自分の実体験から強く思うことがあります。(p.35)