瀧波ユカリ『わたしたちは無痛恋愛がしたい』4

 瀧波ユカリ『わたしたちは無痛恋愛がしたい』はサブタイトルが「鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん」であるように、鍵垢で自分のホンネをつぶやく女性の主人公(鍵垢女子)、その主人公を都合のいいときにヤレる相手としてのみ見て、見栄えや体裁だけを気にするキラキラしたクズ(星屑男子)、女性を決して雑に扱わない態度が徹底している中高年男性(フェミおじさん)などが織りなす物語である。

 4巻は、主人公みなみの友人である女性・うずらに焦点をあてている。

 

 

 うずらは、スタートアップ企業の社長をしている夫(清隆)からの「モラハラ」に悩まされ、心身を病みかけている。そのことを兄のパートナーであるのりこに相談すると、のりこは、うずらが受けているのは「モラハラ」ではなくDVだと指摘。

 否定しかけるうずらに対して、のりこがDVとは何かということをレッスンしていく。そして兄、のりこ、みなみ、みなみの友人、そして清隆をまじえて「話し合い」を開くのである。

 正直、このレッスンから、清隆をめぐる話し合いまでを「フェミニズムの解説っぽい」「説教くさい」と思うかもしれない。

 たぶん、少し前くらいまではぼくもそう思ったかもしれない。

 だが…。

 いま自分も、自分の尊厳に対する厳しい抑圧を受けている現状の中でこれを読むと、そのようには感ぜず、むしろ滲み透るように一つひとつを受け入れていく自分がいた。

 例えば、自分が受けている扱いをはじめは「モラハラ一歩手前」というややおとなし目の、柔らかそうな言葉でうずらは自己認識しているのだが、それをのりこが

私 それは…モラハラ一歩手前とかじゃなくって…DVだと思う

と明瞭に、規定するのである。

 そして、レッスンにおいてのりこは、DVの定義や構成要件を明らかにし、「自分がDVを受けている」ということを認めたくないうずらを解きほぐしていく。

 ぼくは自分が受けている抑圧についても、同じような体験をした。

 最近福岡の文学フリマで話し込んだブースの人が、同僚が受けているパワハラ被害の支援が半ばうまくいき、半ば失敗したという趣旨のことを言っていた。「自分はパワハラなど受けていない」と被害者は思い、接触を遠ざけられてしまったというのだ。

 例えばパワハラひとつをとってみても、パワハラというのは怒鳴られたり、物を投げられたり、ということだけにイメージが絞られてしまっている観がある。また、逆にイヤなことを言われること一般が「パワハラ」だという広く取り過ぎてしまう傾向もある。

 そういう中で、パワハラとはどのような定義がされているのか、パワハラの類型はどれほど多様なのか、ということを知るだけでも全く違う印象を受け取る。そうした学びがあって初めて「自分の受けていることがパワハラだ」とはっきり認識できるだろう。

 さらに、「被害に遭っている弱い自分」や「被害に遭っていると自己認識することで生活が大きく変わってしまう恐怖」などを受け入れられないこともある。

 のりこのレッスンはそこを解きほぐそうとしているのだ。

 さらに、「被害に遭った自分」を認めた後でも「逃げ出せばいい」というところにとどまらず、「加害した相手こそ追放されるべき」という認識の逆転を行う。

あなたはどこにも行かない

人を痛めつける奴が

出て行けばいいんだよ!!

 これはモードが、「逃避」から「戦闘(闘争)」に変わったことを意味するのだろう。そして、独りではなく、仲間(兄、のりこ、みなみ、みなみの友人)がいることでそのモードで相手に立ち向かえる基盤が実装される。

 

 このような描写が「説教・解説くさい」外的なものとしてではなく、「滲み透る」ように受け入れられたぼくは、おそらく強い当事者性を獲得したのだろう。

 マットを棒で叩くことで「粗怒りを取る」作業をしている描写も、なんだかよくわかってしまう。

 ぼくは抑圧から受けるプレッシャーで自分を追い込む(例えば自殺する)のではなく、相手への怒りにしていっていることを自覚する。そういうものが暴発(例えば相手に暴力を振るう)しないように、コントロールするイメージが、実はぼくにとっても不可欠なのだ。

 

 当事者性がない人にはわからないかもしれない。

 「だからもっと他の人も共感できるような普遍性を」と賢しらに説得するのではなく、当事者にしかわからない怒りや切実さのまま作品のエッジを効かせておくことの方がはるかに大事だ。

 

 市川沙央が「しんぶん赤旗」(2023年10月30日付)のインタビュー(文書回答)に答えた中身が思い起こされた。

「読書バリアフリーに関して私が当事者性をもってアピールするのは、権利侵害の問題としての緊急性の高さも意識しています。『この物語は特別な人の話ではなく普遍的な物語である』というマジョリティの共感と利得を重視する戦略は、マイノリティ固有の被差別的状況に蓋をしてしまいます。マジョリティがマイノリティの物語を消費するだけに終わらせないためには、当事者作家や当事者俳優の起用等がメディアの世界で必要です。『ハンチバック』*1は障害者運動と障害学およびクィア批評の歴史を踏まえて書いた小説なので、この小説に関して話す場で私は『普遍的な〜』とか『障害者ではなく一人の人間として〜』などとは口が裂けても言いません」

 

*1:市川の小説。

磯前順一『石母田正 暗黒のなかで眼をみひらき』

 石母田正を知らない人のために、言っておけば、有名なマルクス主義歴史学者である。

 以前に小熊英二の本の感想の中で彼について触れたことがある。 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 しかし、本書についてはどうにもぼくが石母田正について前提となる知識や読書体験がほとんどないせいであろうが、本書をうまく読めなかった。

 ただ、本書で自分なりに思うことがあった箇所はあるので、メモがわりに抜き書きと感想を記しておきたい。

 見逃してならないのは、この論文の題名〔歴史科学と唯物論〕にあるように石母田は歴史学を「歴史科学」と呼んでいることである。石母田は歴史科学という言葉を掲げることで、「動かすことのできない客観的真理であるところの歴史的事実のうえに構築されている」のが、客観的な科学としての歴史学だと主張した。こうした世俗主義的な合理主義は、マルクス主義無神論的な立場に依拠する。

 科学としての歴史学は、主体の立場に応じて多様な解釈の生じえる精神科学とは異なって、どのような立場をとる主体であれ、客観的な手続きを徹底化させるならば、同じ事実の認識のもとに合致しうる。そうした普遍主義的な実体としての真理を、彼は議論の根底に措定していた。この客観性のもとに、実証主義マルクス主義的な唯物論が重なり合って「歴史科学」を支えるべきであると考えていた。

歴史学におけるいわゆる実証主義……と呼ばれるものは、歴史的事実の探求によってのみ真実があきらかにされるという立場であると、大づかみにいってよいとおもう。これは端的にいえば、歴史学における唯物論的な立場である。認識するものの意識や主観から独立に存在する客観的世界を認め、その真実を認識し得るものとすることは、唯物論にほかならないからである。(「歴史科学と唯物論」)〉

 実証主義とは「史料……の発見・読解と断片的な事実の連結との技術」(黒田俊雄)にほかならぬがゆえに、それは一方では石母田が言うように「個々の歴史的事実の相互の連関、その発展を全体的に認識する点、いいかえれば対象の法則=本質を認識する点などにおいて不十分」にならざるをえない。それをもって、実証主義を「不徹底な唯物論」であると石母田は呼んだ。(p.214-215) 

 唯物史観実証主義はどのようにマルクス主義歴史学者たちの間で整理をつけるのだろうか、と思っていたのだが、まあこういうことだろうとぼくも思った。

 しかし、そこには一つの落とし穴もある。

 こうみたとき、石母田の論文「歴史科学と唯物論」は、黒田俊雄の指摘するように、社会主義運動が衰退した一九五〇年代後半以降の、戦後歴史学一般の動向を示すものとなっている。マルクス主義が主体の主観性の問題を放逐する一方で、実証主義と手を携える事で新たな科学的客観主義を唱える。そして、歴史学が表立って社会運動や自己変革の問題を学問と連動させて扱うことはなくなっていく。

 日本のマルクス主義歴史学は、「肝要な問題は、世界を変革することである」というマルクスのテーゼを放棄する。それと引き換えに、社会構成体の分析手段に落ちつくことで、文献の批判的読解の技術である実証主義と結びつくことが可能となる。それで客観主義的な装いのもと、戦後歴史学のなかに独自の立場を確保していく。さらに、石母田の『日本の古代国家』以降は、石母田自身に当てはまらないにせよ、「階級支配論」をも脱落させた、「国制史」という国家論をもたない制度史へと頽落していく。それは、「実証主義も客観主義も、不徹底な唯物論であり、あるいは半身だけの唯物論である」とする石母田の意図に反して、実証主義によってマルクス主義が換骨奪胎されたことを示す事態にほかならなかった。(p.217-218) 

 客観的…というか、傍観者的というか。

 「歴史学が表立って社会運動や自己変革の問題を学問と連動させて扱うことはなくなっていく」というのは、当たり前じゃん、と今の人たちなら思うだろうか。そんな学問のあり方は不正常であり、偏っておるのだ、と。しかし、著者・磯前のいうように「実証主義によってマルクス主義が換骨奪胎された」ということにはならないだろうか、という思いがぼくにはある。

 

 そして、こういう客観主義の姿をまとった歴史学は、別の方面から批判を受ける。データの集積のようになった無味乾燥さから、そこには人間が描かれないのだ、と。「転向」した元マルキストである亀井勝一郎は次のような批判をしているのだと、磯前は紹介している。

 亀井〔勝一郎〕は、遠山茂樹らによって唯物史観の立場から書かれた『昭和史』(一九五五年一一月刊)にたいして、「型にはまつた砂をかむやうな無味乾燥な史書」であり、「人間」不在の歴史であると文学者の立場から厳しく批判した。遠山は、言うまでもなく石母田の東大国史の同級生であり、古くから同じマルクス主義の立場に立つ研究仲間である。実際の歴史に見出されるのは「動揺した国民層のすがた」であり、「『階級闘争』といふ抽象観念による類型化」された「国民の総意」とはおおよそ懸け離れたものだと亀井は主張する。

 そして、「歴史に入りこむことは、様々な人間や事件と翻弄の関係に入ることである」以上、「歴史家は『断言』と『懐疑』とのあひだの迷ひや苦痛を味つてゐる筈」であり、「彼自身の内的葛藤、その不安定こそ歴史家の主体性といふもの」になる。亀井にとって、歴史家とは「史上の人物の自分にのしかゝつてくる重量感」を身をもって体験するがゆえに、主体と主体がぶつかり合うさいに生ずる不安や葛藤に向かい合わざるをえない存在なのである(亀井「現代歴史家への疑問」・「歴史家の主体性について」・「日本近代化の悲劇」)。(p.227-228) 

 

 学問の客観性についての磯前の総括。

 学問の客観性とは、自らの歴史性、主観的制約を引き受けたときに、その対象化の過程で確保されるものであろう。自らの主観や感情を排除したところで唱えられるような客観性は、研究者自身の身体性を含めた日常の生活世界の外部に自分が立っているかのような幻想のうえに成り立っているものにすぎない。書き手は自らの身体性や主観性を引き受けることで、はじめて歴史家あるいは知識人として生活世界を対象化して語りうる資格をもちえるのである。(p.232)

 ぼくの中で全然なにがしかの結論を得ていない。まさにメモとしてここに放置しておく。 

首都圏青年ユニオン「ニュースレター」2023年9月号の感想

 首都圏青年ユニオンのニュースレター2023年9月号の(vol.271)の感想です。

 いつも面白く読んでいることは、このブログでもたびたび書いてきましたが、

皆さんのニュースレターへの感想やご意見をお待ちしています

と終わりのページに書いてあったのに気づき、封筒にも書いてあったから、では思ったことを書いておこうか、と思った次第です。

 こういう一文をつけておくことは無駄ではありません。ぼくのような人間もいるからです。

 2つの記事にしぼります。

 一番面白かったのは、「焼肉店アルバイトの大学2年生の初団交」という記事でした。

 何が面白いかって、成果をいろいろ勝ち取っているからです。

 具体的には

  • 1分単位の給与計算を行わせ、過去の分もさかのぼって支払う。
  • 有給について周知する。
  • 制服を組合員・希望者にはかかった費用を払う。
  • 着替え時間にかかる賃金を、平均を算出し支払う。

このように、賃上げについてはなかなかその場で押し通すことはできませんでしたが、その他の要求については、ほとんどが前向きな回答に持っていくことができました。

 えっ! すごくないですか?

 ぼくはすごいなと思いました。

 団交に出てきたのは、社労士事務所の営業の人2人という「謎のメンツ」だったそうですが、この成果はすごいと思います。

 他方で、これと対比する形でのスターバックスの団交。

 賃上げに全く応ぜず、最低賃金レベルの賃金を「非常に低いとは思っていない」と回答したのはさもありなんとは思いましたが、

  • 服務規程の見直し
  • イスの設置

などについても「変える必要はない」という塩対応だったと言います。

労働者の働く環境を少しでも良くしたいという姿勢がまるで感じられませんでした。

という感想はその通りだなと感じました。

 これは、前述の焼肉店との姿勢の違いで浮き彫りになります。

 焼肉店は、いわゆる中小企業でしょう。そこが賃上げは渋い顔をしても、他の要求についてはこれだけ見直しをしているのに、イスの設置すら見直さないというのは、本当に君たちスターバックスは「グローバル人権宣言」をしているカフェ業界最大手企業なのか? と思いたくなります。

スターバックスは、すべての人そのものの尊厳を尊重し、個々のパートナーの有する才能や経験、視点などを柔軟に受け入れ、また尊重することによって、パートナーが最高の力を発揮できるよう努めています。スターバックスは、すべての人そのものの尊厳を尊重し、個々のパートナーの有する才能や経験、視点などを柔軟に受け入れ、また尊重することによって、パートナーが最高の力を発揮できるよう努めています。(スターバックスジャパンの「グローバル人権宣言」より)



松井暁『ここにある社会主義:今日から始めるコミュニズム入門』

社会主義は遠い将来の話なのか

 左翼の集まりで社会主義共産主義の話をすると「自分たちが死んだ後の遠い将来のこと」という目をされる。

 日本共産党は最近の綱領改定で、高度な生産力、経済の社会的規制・管理のしくみ、国民の生活と権利を守るルールなど、社会主義共産主義に引き継がれる「5つの要素」をあげて、資本主義の今のたたかいと将来の社会主義が「地続き」であることを示した。

 

www.jcp.or.jp

 共産党の人々であっても、果たしてそういう解明がされていても、例えば地方議員が自分の今の活動——一例をあげれば子どもの医療費助成を充実させる運動が、一体社会主義のどこにつながっているのか、などということは、考えたこともない、という場合もあるのだ。

 

 そもそも、マルクスエンゲルスが確立した科学的社会主義は、「理性によって人間の頭の中に発明される設計図としての社会主義社会」ではなく、古い社会の中から次第に生まれてくる新たな萌芽・要素があり、それが次第に社会の趨勢となっていき、新しい社会にとってかわるという、法則的な発展として社会をつかむものだ。その社会の発展法則を研究して知り、働きかけるところに「科学」を名乗るゆえんがある。

 つまりである。

 今の社会の中に現実に萌芽として存在しているものが大きくなるのでなければ、新しい社会などできようはずがないではないか。

 その社会にガイド役たる政党が存在していようがいまいが、古い社会は紆余曲折を経ながら新しい社会に変わっていくのである。それこそが史的唯物論の確信のはずだ。「ガイド役の政党」はあくまでその発展を合法則的に促進する役割しかない。その政党が小さいからがっかりするとか、これじゃあ社会主義にはならねえなあと思ってしまうとか、そういうトンチンカンな思い込みはどこからやってくるのだろうか。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 もっとも、社会が苦痛の少ない形で、合理的に次の新しい社会を迎えることは、その社会一人ひとりの運命にとっては決して小さな話ではない。日本は封建的な遅れを残した戦前の社会から、資本主義のベースになるような戦後の民主主義社会へと発展・移行した。これ自体は歴史の必然であっただろう。しかし、そのために日本人は310万人の戦争犠牲者と国土の荒廃、そしてアジアの人々に計り知れない苦痛を与えて「民主社会」への移行を果たすという、多大な犠牲を払ってしまった。もっと苦痛が少ない、合理的な形で社会発展を促進できなかったのか、という厳しい問題がそこには残っている。「歴史は必然的に新しい社会に移行するから、私はそうした歴史をつくる作業には参加せず、寝ていてもいいんだ」というわけにはいかんのである。

 

社会主義の萌芽は資本主義の中で生まれている

 おっと、おしゃべりが過ぎてしまった。

 言いたいことは、今の資本主義の中に、次の社会——社会主義社会の要素が確実に生まれているし、その萌芽は大きくなっているということだ。そのような社会発展認識をもつことが、社会主義者にとってはめちゃくちゃ重要だと思うんだけど、それがなかなか育ってこなかった。

 なぜだろうかと思うのだが、日本の左翼の最有力者である日本共産党は、民主主義革命と社会主義的変革という二つの段階をきっぱりと分けてきた影響があるんじゃなかろうかと考える。

 例えば、志位和夫こう語っている

社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道をすすむ場合でも、いつどこまですすむかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定されることであります。このこともわが党の綱領に「国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進」をはかると明記していることであります。「いったん日本共産党と政権をともにしたら、エスカレーターのように先ざきの社会まで連れていかれるのでは」と心配する声もあるかもしれません。しかし、私たちの立場は、「エスカレーター式」ではありません。社会の進歩は、階段の一歩一歩を、選挙で示された国民多数の意思にもとづいてのぼる。これが私たちの立場であります。「エスカレーター」でなく、「階段」ですから、どうか安心していただきたい。(笑い、拍手)

 エスカレーターではなく階段なのだ、と。

私たちは、共産党ですから、人類は、資本主義という利潤第一主義の体制をのりこえて、未来社会(社会主義共産主義社会)に発展するという展望をもっています。同時に、この変革は一足とびにできるものではありません。社会は、国民多数の合意にもとづいて、一歩一歩、階段をのぼるように段階的に発展するというのが、私たちの立場です。

 社会主義に進む際には「今から社会主義に行きますよ」という社会合意をつくる…というわけである。これは共産党綱領でも

社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。/その出発点となるのは、社会主義共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる

と記されている。

 資本主義の枠内で行われる民主主義革命と、その所有にまで手をつけることになる社会主義的変革とを厳密に区別したくなるのは、理解できる。国民に恐怖心を持ってもらいたくはないのだろう。

 だが…。

 資本主義(体制)と社会主義(体制)を截然と分ける、というのは古い社会主義観じゃないかな、と思う。

 戦後の日本の革命運動の中でこの問題は何度も論争になったし、例えばヨーロッパでもフランス共産党の「先進的民主主義」(シャンピニ宣言)は資本主義内での民主主義的改革を社会主義の突破口として位置づけるもので、社会党と組んだ連合政権を分裂させる一因となってしまったとも言われる。

 だけどこういう社会主義観というのは、“国有化や協同組合が一定の比率に達したら社会主義”とか、“所有の根本原理を転換する立法を行えば社会主義”のような発想が根底にあるように思われる。その日を境に、その社会は「社会主義」になるというのだ。

 

 そうではない。

 資本主義とは「資本」、すなわちG-G'、利潤追求がその経済の基本原理となっている経済体制であり、その目的のために生産手段が所有され、使われる。

 これに対して、社会主義とは、社会の必要のために生産が行われることを基本原理とする社会であり、その目的のために生産手段は社会が所有・管理・運営に関与する。

 完全な利潤第一主義である資本主義から、修正資本主義や福祉国家などをへて、社会の必要のために経済を使う社会主義に至るまで、ゆるやかなグラデーションでつながっていることだろう。

 利潤第一主義をおさえ、社会が経済をコントロールし、経済を社会の用に供するようになるために、資本主義の中にさまざまなしくみが生まれ、それを使う人間が育ち、それを運営する技術や思想が発展していく。資本主義の中に生まれてくる「しくみ」「人間」「技術」「思想」は次の社会を準備するパーツである。

 こうした社会発展観にたてば、次の社会——社会主義の萌芽というものは、今ぼくらが暮らす資本主義のあちこちにあることが確認できるだろう。

 そして、経済の原理が、利潤追求を目的としたものから社会の必要を満たすことに変わったときこそ、その社会は「社会主義」に変わった(到達した)と言える。

 そのパーツの一つひとつが生まれ、育っていくさいには、なるほど確かに社会の合意、具体的には選挙を通じた議会(国会)での多数の形成と法律の通過を必要とすることになるだろう。

 例えば、住宅に対する権利はベーシック・サービスであり、持ち家であるか借家であるかに関わらず、すべての国民に対して「住宅基本手当」を月3万円支給するという制度を作るとしよう。それは社会主義そのものではないが、社会主義の一つのパーツを構成するものだ。そのような「住宅基本手当法」を政党が公約し、多数をとり、法律として国会を通す手続きを通じて、「しくみ」や「技術」「思想」、そしてそれを運営する「人間」が育っていくことになる。

 これが一歩一歩階段をのぼるように社会をすすませる、その階段の中身ではないのか。「明日から社会主義にします」というような階段ののぼらせ方はおそらくありえないだろう。

 「住宅基本手当」だけに限らない。

 「子どもの医療費無料化」だって、医療費の無料化、すなわちベーシックなサービスを提供していく社会主義のパーツである。小学校・中学校の完全無償化だってそうだろう。労働時間を短縮させるための法律もその一つだ。いや、NPOを支援して里山を保存する事業に予算をつけることだって、資本の利潤第一から環境を守る「しくみ」の一つであり、社会主義のパーツと言えるだろう。

 そんなふうに考えれば、社会主義は、というか社会主義のパーツは、「ここにある」のだ。

 

本書における整理のための5つの視点は重要

 そこまで書いていよいよ本書である。

 本書の第1章は「ここにある社会主義」。そして最初の節は「社会主義はどこにでもある」だ。この把握はまったくぼくの実感に近い。というか、今こそこの感覚をコミュニストは誰もが持つべきであろう。

 自分のやっている事業は未来のパーツを作っているのだ、と。

 

 本書第2章で行なっている5つの整理は、その点で大変重要である。

 社会主義についてはこれまでも思想・運動・体制という3つの観点で整理されてきたが、そこに「制度」「方向」を加えたのである。

ここでいう制度とは、体制を構成する部分です。たとえば社会保障制度は、それだけでは社会体制とはいえませんが、社会体制を形づくる重要な構成部分です。

 制度は運動と体制の中間に位置します。運動によって最低賃金が引き上げられれば、新たな最低賃金が制度となります。そのような社会主義的制度が積み重ねられることによって、社会主義体制へと接近していきます。(p.20)

 従来の「思想・運動・体制」という3区分では、このような「資本主義の中で育つ次の社会の萌芽」という視点がうまく汲み取れなかった。それを「制度」という整理を加えることで、そこが可視化されるのである。

 著者の松井暁は、この「制度」という区分を重視している。

「ここにある社会主義」という本書の観点からすれば、制度としての社会主義特に重要です。(p.20、強調は引用者)

 なぜ重要なのか。少し長くなるが、ポイントとなる点なので、引用しておこう。

福祉国家といわれる現在の資本主義は、その中に社会保障制度や義務教育制度など、社会主義的な制度を多く取り込んでいます。特にスウェーデンのような北欧福祉国家では、労働者の経営参加や社会保障の面で、高度に社会主義的な制度が定着しています。民主的社会主義者を自称するアメリカのバーニー・サンダースは、民主的社会主義とは何かという問いに、北欧福祉国家を見ればよいと答えています。

 これに対して資本主義派は、こうした福祉国家も資本主義的市場経済に基礎をおいているのだからサンダースの理解は間違っていると批判します。確かに北欧諸国は先進資本主義国の一員であって、社会体制としては社会主義には分類されません。しかし北欧諸国では社会主義的な制度が広範に確立していることは事実であって、この点でこれらの諸国が「社会主義的である」と判定することは間違っていません。

 ですから、体制より分析対象を小さくして、制度に分け入ってみれば、その体制が資本主義か社会主義かという二分法から、社会主義的制度をどの程度に採用しているかという、より正確な問題設定に置き換えることができます。

 後述のように、本書はソ連・中国のようなソ連型社会体制を社会主義とは認めません。この理解を前提にすれば、北欧諸国は今日の世界で最も社会主義に接近していると評価できます。このように、制度としての社会主義という視点は、現時点での社会主義の広がりを理解するうえで大いに有効なのです。(p.20-21)

 これは非常に正しい。すばらしい解明と言える。

 同時に、松井は「方向としての社会主義」という整理も加えている。

 これは一言で言えば、革命と改良の関係を整理するものだろう。

 松井はベーシック・インカムを例に出しているが、それがすべての人の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する橋頭堡になるのか、それとも新自由主義的に大企業や富裕層が自由勝手に活動していくための「雀の涙としての手切れ金」として渡されるのかでは、全然意味合いが違ってくる。

 資本主義を永続させるためのものか、それとも次の社会のパーツとして第一歩を育てるかで、生まれた制度の評価、またそれを生まれさせようとする政治勢力の評価も変わってくるだろう。

 もちろん、実際に生まれてくる制度は、そんな単純な思惑で生まれてくるものではない。安倍政権は「大学の無償化」を看板にして給付制奨学金を導入した。ぼくらからすればそれは国民の運動に押されてやむをえず作り出した、日本資本主義を永続させるための譲歩策でしかないように思えるが、そうやって生まれた制度が大きく育って、本当に総合的な高等教育の無償化につながっていくことだって十分にあるからだ。

 

 ぼくの元々の問題意識からすれば上記の整理は「我が意を得たり」というところなのだが、本書の特徴はさらにそれを思想にまで及ぼしているということだ。

 松井はもともと『自由主義社会主義の規範理論』や『Socialism as the Development of Liberalism(自由主義の発展としての社会主義)』などを書いている(ぼくは未読)ように、自由主義の価値を批判的に継承したのが社会主義であるという主張をしている。

 このエッセンスというか概説を、本書の第3章「自由主義社会主義」以降の章で述べていて、これはぼくにとって勉強になった。自由主義は自由・所有・正義・功利・平等を価値としてうたうのだが、それが資本主義のもとでは不徹底もしくは逆に抑圧される事態を生み出すために、社会主義がそれを批判し、本当の意味で徹底させるというものだ。エンゲルスの『空想から科学へ』の第1章の展開に似ている。

 この中で、社会主義といえば「平等」のように思われているが、平等原理は、社会主義の中では下位の価値であって、社会主義は共同と本質(自己実現)を最も高い価値としており、平等がそれに背く場合は遠慮なくそれを後回しにすることなどを解明している。

 

思想史から見た社会主義

 第4章から6章まではこうした思想史からみて社会主義の原理を明らかにしようとしている。ここは、多くの人にとってどれくらい興味が持てるのかはちょっと疑問のあるところだが、ぼくは長年疑問だったことが整理されたところでもある。

 つまり「自己労働に基づく所有」——自分が労働してつくった富は自分のものとなる、というロックが明らかにした原理は、資本主義のどこで生かされ、どこで消えてしまい、どこで復活するのかということだ。

 もちろん、おぼろげに『資本論』第1部の「いわゆる本源的蓄積」で「個人所有の再建」として取り上げられ、『空想から科学へ』でもその解明が生かされていることはぼんやりとは知っていたし、日本共産党はそれを綱領で生かしていることもなんとなくわかっていた。

 だが、ロックからの流れで見ると、その途中で理屈が合わないところもあって、そのあたりがうまく整理できていなかったのである。しかし本書を読んで、生産手段説と労働説を対比させることで整理された。

 とりわけ、マルクスの『ゴータ綱領批判』の2段階論(共産主義の低次の段階、高次の段階)をこう読むのか、というあたりは、非常に参考になった。

 ただ、繰り返すが、社会主義オタクであればいざ知らず、社会主義に興味を持っているだけのもっと広い層にとってはこのあたりの解明は必要なのかなあと思ってしまう。ま、それは読んだ人が判断してくれればいいと思うけど。

 

シェアリング・エコノミーと社会主義

 第11章「社会主義の予兆」は、「制度」が「体制」へと発展しかける萌芽を読み取ろうとするものだろう。その中で、「シェアリング・エコノミー」を挙げていることは卓見である。

 シェアリング・エコノミーはライドシェアやエアビーアンドビーのような資本主義的サービスを想定してくれたらいい。

 これを聞いて仰天する人もいるだろう。

 「ライドシェア!? 資本主義的規制緩和の権化みたいな話じゃないか」「エアビーアンドビーだって? 民泊がどれだけ地域経済に害を広げているのか知らないのか?」というかもしれない。どちらもぼくが今いる福岡市では現市長・高島宗一郎が推進している、大企業の利潤追求を後押しする規制緩和の代表格のような話だからだ。

 ただ、ぼくはレイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース の『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略 』をもう10年以上にも前に読んだ時、「こういう共有の思想って、新しい社会の予兆ではないのか?」と思い、社会主義社会のパーツとして数え上げたものだった。

 松井も同じだったのである。

 松井は、シェアリング・エコノミーの現場での利潤第一主義としての問題点を挙げつつも、次のように記す。

 こうした問題の反面、シェアリング・エコノミーは、資本主義から離れて社会主義に接近する要素ももっています。シェアリング・エコノミーの実践は、貸主・利用者いずれにとっても、私的所有を相対化する経験をもたらします。財にしてもサービスにしても、重要なのは所有ではなくて利用することであるという感覚を醸成します。

 また、シェアリング・エコノミーにおける貸主の動機は、利潤追求よりも、自分のもっている資産を有効活用したい、さらには社会のために役立てたいという社会性にあります。

 シェアリング・エコノミーにおいて、媒介的役割を果たすのはプラットフォーム事業者です。プラットフォームを私的に所有して独占しているのがプラットフォーム巨大企業ですが、プラットフォーム自体は共有しやすい性質を有します。(p.209-210)

 他にも企業の社会的責任、社会的企業自治体主義(ミニシュパリズム)を取り上げており、これらを次の社会への「予兆」としてとらえることはぼくも重要だと考える。

 

本書に対する4つの批判

 その上で、本書に対する批判点を最後に書いておく。

 第一に、生産手段の「社会的所有」という概念が狭いことである。これは前にも書いたことがあるが、「社会化」の方がぼくがいいと思っているのは、生産手段に対する社会の関与の仕方はかなり幅広くとらえられるもので、「所有」としてしまうことで非常に狭いイメージが生まれるからである。

 「とりあげられる」という誤解さえ生まれると思う。 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 民法では「所有権」は「自由に使用、収益、処分をなすことのできる権利」と定義されています。日本の憲法では、「財産権は、これを侵してはならない」(29条)と定めています(財産権は所有権を含むさらに広いものです)が、実際には社会権を実現するためにいろんな制限をかけています。「侵してはならない」などと大見得を切りながら、「絶対的に自由に使用・収益・処分してやるぜ!」ってことはできないわけです。
 よくある例では、労働者保護のための規制、私的独占の排除、公害防止、文化財の保護……なんかがあげられますよね。「俺の財産をどう使おうが自由だろ?」と言って、工場つくって有害な煙をもくもく吐き出したらマズいわけです。


 つまり、それは、現代の資本主義日本であっても所有(権)が実際には社会によって侵され、制限をかけられ、コントロールをされていることになります。
 しかし、かんたんにいえば、その度合いはとても小さいものです。
 いち企業の所有に対する制限・コントロールの度合いも弱いし、仮にある企業やある部門への所有に干渉して、かなりの制限・コントロールが効くようになってきたとしても、社会全体としては「もうけ最優先」「利潤ファースト」とも呼べる原理をくつがえすところまではいっていない。「社会的理性」が「祭り」の「前」から働くようにはなっていないわけです。


 所有への干渉はいま現在すでにおきているわけで、それを見てもわかるように、所有への干渉の深め方、つまり生産手段の社会化のありようは、一律ではないはずです。
 なるほど、会社が民主化されて、協同組合のようになることもあるでしょう。
 しかし、そうではなくて、株式会社のままであったとしても、外から法令でコントロールすることもできます。
 あるいは、政府や自治体が金融や財政(融資とか補助金など)で誘導することもできるでしょう。
 強弱や範囲の大小はあっても、いま日本でも普通に行われているような、政府や自治体による「計画」によって企業行動を変えることもできるでしょう。
 株主は株券を握りしめたまま、しかし、社会はすでにその企業の所有に、実際にはかなりのコントロールを効かせる、すなわち所有に大胆に干渉し、実質的には奪っている、というようなことができるのではないでしょうか。
 このような多様なチャンネルあるいはハンドルあるいはスイッチによって、社会が合理的に経済を「運転」(管理・運営)できるようになって、「利潤ファースト」の社会のありようを覆すなら、すでにそれは社会主義社会だと言えます(マルクスが工場立法のようなものを「新しい社会の形成要素」と呼んだこともここにつながります)。「修正資本主義」ではありません。

 第二に、社会主義の生産体のあり方が狭いことだ。協同組合のようなものしか想定されていないように思える。そうではなくて、今ある企業が民主化されていくルートも十分あり得るわけで、松井の場合、完全に自由な生産者の結合でなければいけないという固定イメージが強すぎる。

 

 第三に、そのことにも関わるが、個々の生産体や事業体がいくら「民主化」されても、それだけでは、社会が経済を運用することにはならない。国会・国家が経済をコントロールし、自治体が関与し、生産・事業体が努力し、世論が動いて、そうして初めて社会としての意思が合力として貫徹されるだろう。そういう多様なチャンネルによって初めて社会的理性が発揮されるのではないか。

 

 第四に、市場経済について否定的すぎる。松井は、市場は放っておけば市場から資本主義が成長してしまうし、「市場社会主義」というのは本来的にはありえないというほどまでに否定的に見ている。

 しかし、市場経済と資本主義を明確に区別することこそ必要な整理だ。市場経済で起きる弊害については個々に対応すべきものであって、原理として否定的に見るほどではない。

 

 以上がぼくが読んだ時に感じた問題点である。

 しかしその批判点を補って余りある長所が本書にはある。「今ここにある社会主義」という感覚をすべてのコミュニストが持つべきなのだ。

 

 

  

Fukuoka Higashi? それとも Fukuoka East?

 前から小さく気になっていたことであるが、例えば「樋井川」という河川を英語で表現するさいには「Hii-River」なのか「Hiigawa-River」なのか。

 当然「Hii-River」だろうと思っていたが、標示板を見るとそうでもない。

 ぼくが日常的に見て気になっていたのは、交差点の英語表記である。

 「福岡東交差点」を表すとき「Fukuoka Higashi INTERSECTION」とするのか「Fukuoka East INTERSECTION」にするのか。もっと言えば「Fukuokahigashi INTERSECTION」という表記もありうる。

 「福岡東」という地名はない。一般的には「福岡の東部分」という意味になる。しかし、交差点になってしまうと、「福岡東交差点」という固有名詞としての交差点名はありうる。

 福岡市の中で注意深く見てみると、どういう法則なのかよくわからないのである。

 例えば福岡市中央区のこちらの交差点。

 これは東西に走る道路に設置された標示である。

 ところが同じ交差点の南北に走る道路に設置された標示はどうか。

 このように同じ交差点でも、「Tojinmachinishi」と「Tjinmachi Nishi」という表記の違いがある。東西の道路には「INTERSECTION」がないので、設置時期が違うのだろう。

 

 福岡市西区北原にある交差点は、「北原西交差点」の場合「Kitabarunishi」である。

最初「Kitahara」と表記してしまったらしく「Kitabaru」に修正されている。

 ところが、「北原東交差点」は「Kitabaru East」なのである。

 

 「北原西」と「北原東」の交差点は500mくらい離れているだけだ。どうしてこういう違いが出ているのかはわからない。ぼくが見た限りでは、「北原東」の方が標識としては少しだけ新しい気がする。これもやはり設置時期が違うのだろう。

 

 福岡市西区にあるマリナタウンの近くの交差点は「Marina Town South INTERSECTION」であった。まさか「Marinataunminami」のような状況ではないとは思ったが…。

 そして、同じく福岡市西区にある「さいとぴあ」という公共施設の近くの交差点はやはり「SAITOPIA East INTERSECTION」だった。

 うーむ、たぶん施設名が英語っぽい感じのものは「Higashi」にせず「East」にするんだろう、もともとの地名の後には「East」ではなく「Higashi」にする——こういう法則ではないのか、と予測をしてみた。

 すると…

 伊藤野枝が生まれ育ったあたりの福岡市西区の海岸近く。ここは「Ikinobatsubara East INTERSECTION」なのだ。予想が外れた。

 この標示は全国統一だから全国的な基準があるんじゃないかと思ったのだが、福岡市のホームページをみると、福岡市の努力で表記を変えているようだった。例えば以下は福岡市中央の表記変更である。「koen」を「Park」にしている。

 

  福岡市だけではないのだが、「観光立国」政策の一環として、標示板などの外国語表記をどうするかは、自治体ごとにマニュアルが作られている。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/2341/1/shinnfukuokasigaikokugohyoukitebiki2.pdf?20230911094511

 福岡市のマニュアルでは4ページ目にその原則を載せている。

 固有名詞の場合、原則はローマ字表記だけど、外国語由来のものは英語表記にしている。

 例えば「福岡」は「Fukuoka」だけど、「リンカーン」は「Loncoln」だ。

 普通名詞は逆に原則英語表記となる。例えば「本」は「book」となる。

 ところが、固有名詞+普通名詞の場合はどうか。例えば「福岡タワー」などである。その場合は「原則として固有名詞部分をローマ字により表音表記し、普通名詞部分を英語で表記」するという。つまり「Fukuoka Tower」である。「福岡市」も「Fukuoka City」となる。

 「楽水園」は「Rakusuien Garden」となる。

通名詞部分を切り離してしまうと、それ以外の部分だけでは意味をなさない場合や、普通名詞部分を含めた全体が、不可分の固有名詞として広く認識されている場合には、全体のローマ字表記の後に普通名詞部分を英語で表記します。

ということのようである。

 

 さて、交差点はと言えば…あった! 10ページである。

交差点名に含まれる東、西、南、北、中央は、地名として捉えるとき「-」でつないでローマ字表記し、方向を示すときは英語「East、West、South、North、Central」で表記します。

 例示がある。

  • 渡辺通北交差点 Watanabe-dori-kita Intersection  
  • 天神南駅交差点 Tenjin-minami Sta. Intersection  
  • きらめき通り中央 Kirameki-dori Central Intersection  
  • 福岡市役所西 Fukuoka City Hall West Intersection  

 なるほど! 地名と方向の違いか! …といったものの、だからといって「生の松原東」が地名ではなく、「生の松原に対して東」という方向なんですかという疑問は消えない。全然違うはずだ。

 たぶんあの標示はこの原則から外れているんだ、と思うしかない。

 

 ちなみに河川もある。(11ページ)

 普通は「御笠川 Mikasa River」のように表記するらしい。

 しかし、

地名(住所、駅名等)と同じ名称であるものや、慣用上、固有名詞部分と普通名詞部分を切り離せないと判断できるもの等は、普通名詞部分を含めて、ローマ字で表記し、「River」をつけます。

薬院新川 Yakuin Shinkawa River

ということらしい。

 しかし、「薬院新—川」とは確かに切り離せないだろうけど、「樋井川」は明らかにこの原則と違う。それは、まあ、たぶん県がかなり昔に作った標示なので、この原則と違うんだろうなと思うしかなかった。

 そして「Tojinmachinishi」と「Tjinmachi Nishi」、そして「Kitabarunishi」と「Kitabaru East」問題は全く解明されていない。

ジェイソン・ヒッケル『資本主義の次に来る世界』

 タイトルに惹かれて手にしたのが本書である。原題は「LESS IS MORE(少ない方が豊か)」だから粋だとは思うけど、それではぼくのようなコミュニストは手に取らなかっただろうな。

「脱成長」概念の整理は重要

 しかし、一定の経済成長が必要であるというぼくのような左翼からすれば、本書をめくってたちまち目につくのは「脱成長」という概念である。

 斎藤幸平も「脱成長」を掲げており、この概念にどう向き合うべきか、整理しておかねば、対応を間違える。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 本書の立場をぼくなりに要約しておけば、

  1. 現在の成長主義はGDPという数値全体を引き上げることが自己目的になっており、その場合、社会にとって何が必要かという視点が失われ、とにかくなんでもいいからGDPをあげればいいということになってしまい、そうなると貧困などの解決に役立たないだけでなく、地球環境を破壊し限界に追い込んでしまう。
  2. ゆえに、GDP引き上げを自己目的にする成長主義を脱却すること=脱成長をはかり、地球環境を守りながら、貧困の解決、社会保障の充実など社会にとって必要な分野を特定してその原資を作り、増やすことを経済の目的にすべきだ。

というものではないか。

 これは「価値の自己増殖」「利潤追求を自己目的とする経済」である資本主義からの脱却をめざし、社会の必要のための経済に変えるという(ぼくなりの)コミュニズムの理解と整合的である。具体的にどう実践するかはおいておくとしても、原理的には問題が整理されている

 使用価値が忘れ去られ、価値を増殖させることだけに熱心な資本主義は、価値の担い手としての使用価値にしか関心がない。使用価値=人々の必要を経済の中心に据えるところに経済を変えなければならない。*1ぼくは自分なりのコミュニズムそのようにスケッチしてきたが、本書は大きく言えばその立場である。

人間の幸福に関して言えば、重要なのは収入そのものではない。その収入で何が買えるか、より良く生きるために必要なものにアクセスできるかが重要なのだ。(p.191)

経済成長を追い求め、それが魔法のように人々の生活を向上することに期待するのではなく、まず人々の生活の向上を目標にしなければならない。そのために成長が必要とされるか、必然的に成長を伴うのであれば、それはそれでよい。経済は人間と生態系の要求を中心に組み立てるべきであり、その逆ではないのだ。(p.194)

脱成長とは、経済の物質・エネルギー消費を削減して生物界とのバランスを取り戻す一方で、所得と資源をより公平に分配し、人々を不必要な労働から解放して繁栄させるために必要な公共財への投資を行うことだ。(p.210)

 上記が原理的な視点である。

 そのような原理を示しつつも、もう少し具体的・実践的な態度としてはどうなるのか。著者ジェイソン・ヒッケルは、大ざっぱな見通しを示す。

富裕国は国民の生活を向上させるために成長を必要としない。(p.193)

 富裕国の経済は、地球環境の破滅を引き起こさない限度(プラネタリー・バウンダリー)を超えているとともに、すでに人間開発指数(平均寿命・教育・識字・所得などの複合統計指数)や重要な社会指標を満たすのに必要な一人あたりのGDP1万ドルを超えている(世界平均は1万7600ドル)。つまり基本的に、経済全体の成長はこれ以上必要ではなく、分配(もしくは成長分野の改革)により解決せよ、ということになる。

しかし、貧しい国についてはどうだろうか。フィリピンを例にとってみよう。西太平洋にあるこの島国は、平均寿命、公衆衛生、栄養摂取、所得といった多くの重要な指数が望ましいレベルに達していない。けれども、土地、水、エネルギー、物的資源の消費の点では、安全なプラネタリー・バウンダリー内にある。したがってフィリピンは、国民のニーズを満たすのに必要な範囲内で、それらの消費を増やしてもよいはずだ。(p.193)

 このようなスケッチが果たして現実的かどうかはわからない。

 また、ヒッケルが示すさらに具体的な方策(「大量消費を止める5つの非常ブレーキ」など)が果たして脱成長を現実に実行するのに十分な方策かどうかは、まったく心もとない。

 加えて、原理的には確かにヒッケルの示すような整理となるだろうが、現実はそんなに截然としてはいない。やはり経済成長をめざす熱狂や無駄の中に生活改善や次の社会のヒントが生まれるかもしれず、経済成長至上主義そのものが一気にきれいに消えることはないだろうとも思う(つまりある程度は必要とさえ言える)。他方で、プラネタリー・バウンダリーの現状はそのような逡巡や漸次的変革を待っていてはくれないようにも思われるし、そこは相変わらず、ぼくとしては優柔不断なままなのである。

 だが、それにもかかわらず、問題を整理する上では、本書の原理的な主張は貴重ではないかと言える。斎藤幸平にはなかった(弱かった)踏み込みではないだろうか。

 

 本書の最も原理的な主張=脱成長をめぐる感想は以上にして、本書を読んでぼくが注目した点をいくつか挙げておく。

 

資本主義創世記はマルクス主義の豊富化に役立つパッケージでは

 一つ目。第1章の資本主義批判は、マルクス主義が今日的に刷新される上で、多くの材料を提供しているということ。「材料を提供」というのは、素材そのものではなく、理論的なパッケージとしてすでに使いやすいように「売り出し」をされ、店頭に並べられているということだ。

 例えば

資本主義イコール市場ではない。(p.47)

は非常に重要な視点である。

 資本主義を市場(経済)と混同し(あるいは意図的に混同させ)、理論的混迷に陥るか、「やはり資本主義しかない」という結論に誤導していく議論が巷ではあふれている。そこをきちんと峻別している。

 同様に資本主義を「強欲な人間の本性」と規定する粗雑な議論を批判し、資本主義が歴史的にどう登場し、どのように特殊な社会体制であるかを明らかにする。

資本主義は人間の本質とは何の関係もない。(p.48)

は、ある歴史段階の特殊な人間のあり方にどっぷり浸かって、賢しらに「人間とはこういうもの」と言いがちな考えを批判した、マルクスフォイエルバッハ第6テーゼ*2を思い起こさせる。

 そして、ヒッケルはマルクス資本論』第1部第24章「いわゆる本源的蓄積」にあたる、資本主義がどのように生まれたかを描き出す。

 ここは、マルクスの成果を生かしながらも、感染症(ペスト)の影響を織り込み、さらに農民たちが封建支配から抜け出して共有地(コモンズ)を利用しながら自給自足・平等制・民主的管理へと踏み出していく様を生き生きと描く。それが森林などの生態系に肯定的な影響を与えたとも記している。しかしそれがやがて囲い込み(エンクロージャー)に代表される暴力的な動きによって頓挫させられ、資本主義が生成していくことを描く。

 このようなヨーロッパで起きたことの、比較にならないほどの大規模な再現が植民地化によって世界的に引き起こされたとする。

 こうした描き方の重要性は、かつてマルクスが「本源的蓄積」論で描いた資本主義生成の歴史をさらに豊富化させ、人間と生態系への収奪を一体のものとして描き、ヨーロッパと植民地の問題をやはり一体に描き、さらに感染症の影響や民衆の力強さなどを織り込んだ「一つの絵図」を描き出しているということである。

 そのようにマルクス主義の近代史解説を豊富化して一つのモデルにして示す上で、本書の叙述パッケージは参考になるのではないかと思う。

 

二元論を乗り越えるという枠組みもマルクス主義哲学の豊富化のパッケージとして役立つのでは

 二つ目は、哲学についてである。

 マルクス主義哲学を、政治団体などで学ぶ場合、依然として「唯物論と観念論」という「根本問題」を扱う。

 ヒッケルはさらに、近代の二元論(自然と精神への分裂)が人間という主体を特別視し、人間が自然を支配しようとするイデオロギーを完成させたのだと批判している。そして生態系の視点を持っていたアニミズムを壊したことを非難している。

 ヒッケルはアニミズムの現代的な復活を主張する。その結論にそのまま飛びつくかどうかは別にしよう。

 ヒッケルは

精神と物質に根本的な違いはなく、精神は他のあらゆるものと同じく、物質の集合であることが認められた。(p.270)

として、二元論ではなく、一元論——事実上の唯物論を主張している。そして、自然全体の連関が自分の身体に及び、さらに意識に及ぶという立場を述べ、生態系の問題を織り込んだ連関と発展のアニミズム、まあ弁証法唯物論だと言ってもいいんじゃないかと思うけど、それを展開するのだ。

 ここには、マルクス主義哲学の根本問題を今日的に考えてもらう理論パッケージが用意されている、少なくとも討論材料が用意されていると見ることができるのではないだろうか。

 

計画的陳腐化と都市開発

 三つ目は「計画的陳腐化を終わらせる」という話で思い至ったことがある。

 計画的陳腐化とは「売上を伸ばしたくてたまらない企業は、比較的短期間で故障して買い替えが必要になる製品を作ろうとする」(p.212)という意味に著者は使っている。その例として家電やハイテク機器をあげる。

 この話はかなり昔から資本主義の問題点としてあげられている。

 ぼくは、「都市開発」もそうではないかと思う。

 福岡市の髙島市政は、「天神ビッグバン」といって規制緩和と税金投入によるオフィスビルの大量更新を行い都市を新しくしようとしている。こうした都市開発は都市の競争力や価値を高めるというのが現在の福岡市政がとっている経済政策であるが、都市開発による「新しい感じ」の創出は、しかしながら、創出された瞬間に陳腐化が始まる。一定の年数が経てば古臭いものとなって、再び大規模な投資を呼び起こさざるを得ない。まさに計画的な陳腐化である。

「天神ビッグバン」で生み出された大名小跡地のカフェと公開スペース。(福岡市)

 それに見合う効果が果たして生み出され、しかもそれは、貧困層を富を切実に必要としている人たちに届いているのか? という疑問を絶えず生み出し続けるのだ。

 計画的陳腐化としての都市開発は見直されるべきであり、「人が住める、住みやすい都市」という必要から発想されるべきだろう。

*1:そうなれば利潤第一主義である資本主義だけでなく、長期的に市場経済のあり方——価値・使用価値といった商品生産の枠組みそのものも大きな変革を被るだろう。

*2:人間的本質は、個々人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。

『ブハーリン裁判』『共産主義とは何か』

 『夫ブハーリンの想い出』のブログ記事のところで述べたことを、もう少し詳しく書いておきたい。

 無実の罪によって銃殺されるブハーリンは、さぞや自分の裁判で、自分は冤罪であることを力説しているであろう、と思って、その裁判記録である『ブハーリン裁判』を読むのだが、いきなりブハーリン自身が自分の有罪を認めてしまうので、読んでいるぼくとしては本当にたまげてしまう。

 これはブハーリンの妻であったラーリナがブハーリンの裁判記録を読んだときに感じた衝撃とたぶん似ているのであろう。

 『ブハーリン裁判』では、ブハーリンに対してスターリニスト中のスターリニストである検事ヴィシンスキーが訊問を行なっている。例えばそのやりとりの冒頭の一部分は、次の通りなのだ。

ヴィシンスキー 許しを頂いて被告ブハーリンへの訊問を始める。あなたが有罪であると弁論するものが正確に何に対してであるのか、簡潔にそして系統立てて説明しなさい。

ブハーリン 第一に、反革命的『右翼的=トロツキー派連合」に属していたことに対してです。

ヴィシンスキー 何年からですか。

ブハーリン その連合が結成された時からです。いやもっと以前でさえ、私は「右翼派」の反革命組織に所属していた、そのことによって有罪なのです。

ヴィシンスキー 何年からなのですか。

ブハーリン 一九二八年頃からです。私はこの「右翼派=トロツキー派連合」の中心的な指導者の一人であったことにより有罪です。従って私はこの事実から直接に結果する全てのことに関して、この反革命的組織が犯した総体に対し、る特定の行動について私が知っていたかどうかに関係なく、また私が直接それに関与したかどうかにも関係なく、有罪であることを認めます。何故なら私はこの反革命的組織の歯車の一つとしてではなく、指導者の一人として責任があるのですから。(同書p.11-12)

 この通りなのである。

 

ブハーリンの独特の裁判戦術

 しかし、これはブハーリンの独特の裁判戦術だった。

 その解説を不破哲三が『スターリン秘史』1の中で行なっているので紹介しよう。スターリン秘史』は言うまでもなく、日本共産党志位和夫委員長が先ごろ(2023年9月15日)の党創立101周年記念講演で、その功績を高く評価した文献だ

しかし、この裁判でブハーリンの供述は、それまでの他の被告のように、与えられた筋書き通りのものではなく、独特の構成を持ったものでした。彼は、反革命的な「右翼=トロツキー派連合」の存在を認め、その中心的な指導者の一人であった自分が、この「連合」が犯した犯罪の総体にたいして「有罪」であることを認めます。しかし、彼は、自分が認めるのは、「ある特定の行動について私が知っていたかどうかに関係なく、また私が直接それに関与したかどうかにも関係なく」、指導者としての責任という意味での「罪」だとの説明を、最初から最後まで押し通しました。共同の被告たちは、各種の犯罪行為にブハーリンが直接関与したという証言を彼の目の前で繰りかえしおこないましたが、ブハーリンは、最後までその立場を貫いたのです。最終陳述では、とくにキーロフなどの暗殺、諸外国の諜報機関との通謀、一九一八年のブレスト講和の時期におけるレーニンの暗殺の企てなどとの自分の関係は、強い言葉できっぱりと否定しました。(不破p.251-252)

 

 つまりこのように読める。

 “自分(ブハーリン)はソ連の政治指導者の一人として、反革命・反ソ活動というものがもし起きてしまったのだとしたら、そういうものを起こしてしまったという非常に大きな意味で、政治家としては責任があるんだろうね。だけど、そういうものの陰謀や謀議には自分は具体的には全く関わっていないんだけど?”

 現代日本で言えば、こういうロジックだろうか。

 安倍元首相が暗殺された。岸田首相はその陰謀に加担していたのか? という問いを立てた時、“そのようなテロを結局は許してしまった政治土壌を生んだという点において、政治指導者の一人として責任を感じる。もちろん、テロの陰謀などには具体的に私は関わっていない”…的なものだろうか。

 具体的な関与を否定するブハーリンの様子を、例を挙げて紹介しておこう。

 党内外で人気がありスターリンに次ぐ党幹部であったキーロフの暗殺について、その具体的な指示を下したかどうかを問い詰めるヴィシンスキーに対して、ブハーリンは以下のように否定する。

ヴィシンスキー そしてセルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフ暗殺に対するあなたの関係はどんなだったのですか。この暗殺もまた「右翼派=トロツキー派連合」が承知の上で、またその指示の下に遂行されたものですか。

ブハーリン それは私の知るところではありません。

ヴィシンスキー 私が尋ねているのは、この暗殺は「右翼派=トロツキー派連合」が承知の上で、またその指示の下で遂行されたのかどうか、ということなのだが。

ブハーリン それなら私も繰返すだけです。私は知りません、市民検事。

 こんな具合。

 で、裁判長だったウリリッヒはその戦術に気づいてしまうので、苛立つわけである。

 不破も『スターリン秘史』の中で参考文献としてあげている(1巻p.310)メドヴェージェフ『共産主義とは何か』でも、次のように書かれている。

あるとき裁判長ウリリッヒは、がまんできなくなり、ブハーリンにむかって断言した。「これまで君はまわりくどいことばかり言って、犯罪のことは何も言っていないではないか」。(同書上巻p.289)

 そして検事だったヴィシンスキーも気づく。ブハーリンが事件への具体的な関与を認めず、政治・哲学論争などを始めようとするので激怒するのである。

ブハーリンの言動に、ある戦術が存在していることにヴィシンスキーも気がついた。彼は言った。

…君は明らかにある戦術をまもっていて、真実を述べようとしない。言葉の洪水にかくれ、小理窟をこね、政治や哲学や理論や何かの領域に後退している。そんなものはきっぱりと忘れる必要がある。君はスパイ活動を告発されており、すべての審理事実によると、明らかにある諜報部のスパイである。だから小理窟をこねるのはやめたまえ。

(同前p.289-290)

 ソ連政府の機関紙「イズヴェスチヤ」もこの戦術を指摘し、裁判を目撃した外国の大使もそこに気づいた。

 ブハーリンの独特の戦術のことは、当時の新聞も書いている。「イズヴェスチヤ」は次のように書いた。「それは方式であり戦術である。ブハーリンのすべての答弁は、この戦術を基調としてすすめられている。すこしも直接に答えず、対審においても、反対尋問によっても、証人の供述によっても、これまでのところ、彼がもっとも凶悪で卑劣な犯罪者であることを立証することができず、自白を迫ることができない。この戦術の目的は、何も言わないことである。うわべは学問的な文句で告発を混乱させ、真実をぼやかすのである。自分を救うことであり、自分はすべてのことに責任があると大仰に宣言して、すべて具体的な告発をかわすことである」。〔…中略…〕

 ブハーリンの供述と法廷での態度での分析から出発して、現代の若干の研究者(イー・アー・エリ——)は、ブハーリンは検事との正面衝突に入りこまないで、それにもかかわらず、裁判の司法的側面に一撃を加え、この裁判の不法性と被告の供述における虚偽を指摘しようと、まったく意識的に努めたものと考えている(この裁判の目撃者であるモスクワ駐在イギリス大使館員エフ・マクリーン准将も、その著書で、これと同じ見地を展開した)。(同前p.290)

 そこに出てくる「裁判の司法的側面」とは、物証などを積み重ねず、被告の自白だけを根拠に有罪を決めるというやり方のことだ。ブハーリンは最終弁論でそれを厳しく批判した。

被告の自白は本質的なものではありません。被告の自白は法制の中世的原理であります。(『ブハーリン裁判』p.176)

 この考えは例えば現代の日本国憲法(第38条)にも具体化されている。 

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 ブハーリンは裁判ではスターリンスターリン体制そのものを否定しなかった。それは後世からみて弱点ではあった。しかし、その限界内においても、彼は戦術を駆使して、裁判の虚偽を明らかにしたのである。ブハーリンは有罪とされ銃殺されたという意味においてスターリンの「勝利」ではある。しかし、その「勝利」の意味を不破は次のように書いた。

スターリンがかちとった勝利も、ブハーリンの抵抗を完全に封殺するまでには至らず、法廷記録そのものに後世に生きる疑惑を残したという点では、傷だらけの勝利だったと言わねばならないでしょう。(不破p.252)

 

なぜ彼らは裁判で「すべてでっち上げだ」と言わなかったのか

 現代の我々から見ると、「裁判の場で、『そんなものは全部でっち上げだ!』と言えばいいじゃないか?」と思うかもしれない。たとえ拷問で「自白」を強制されたとしても、なぜ裁判の場で1ミリもありもしない罪を認め続けてしまうのか? 全くわけがわからないだろう。

 メドヴェージェフの本には、どのようにしてこうした「証言」が法廷で生まれるのかを、いくつかの例で明らかにしている。

 例えば、ブハーリン裁判ではないが、その少し前、1928-31年の「全国ビューロー」事件というものがある。ボルシェヴィキと対立していたメンシェヴィキの「全国ビューロー(事務所)」というものが作られソ連体制の転覆を図っていたとされる事件であり、もちろんスターリン体制下ででっち上げられた事件である。

 そのでっち上げ事件に巻き込まれたエム・ペー・ヤクーボヴィチが生き残り、のちに上申書(1967年)を書いて、なぜ彼が虚偽の自白をして、法廷でそれを繰り返してしまったかという事情が書いてある。

 裁判の前に被告たちが集められ、何度も「予行演習」をさせられる。

 そうした中でヤクーボヴィチは次のように逡巡するのである。

 私は当惑しました。法廷でどのように振舞うべきか? 審理での供述を否認するか? 訴訟のぶちこわしを図るか? 世界的な大騒ぎをおこすか? それが何の足しになるのか? それはソヴエト権力を中傷することになりはしないだろうか? 共産党を? 〔…中略…〕オー・ゲー・ペー・ウー機関〔ソ連の治安機関——引用者注〕がどんな犯罪をおかしたにせよ、私は党と国家を裏切ってはならないのです。私は、ちがった考えをしたことも隠しません。もしこれまでの審理の供述を否認したら、あの残忍な取調官は私をどうするだろうか? それは思っても恐ろしいことでした。死ねさえしたら。私は死を欲しました。私は死のうと思い、それを試みました。しかし彼らは死なせようとはしません。彼らはゆっくりと、はてしなくながいあいだ私を拷問しようというのです。死にいたるまで眠らせようとしません。不眠のため死がやってくるとしたら、たぶんその前に気が狂うでしょう。どうしてその決心がつくでしょう? 何のために? もし私が共産党とソヴエト国家の敵であったなら、それを憎む勇気の道徳的な支えを見いだすことができたかもしれません。しかし私は敵ではありません。どうして法廷でこうした絶望的な振舞ができるでしょうか?(メドヴェージェフ前掲上巻p.211-212)

 共産党と革命が生み出した社会体制への熱い信頼があったこの頃、その事業に誠実に人生を捧げてきた共産党員ほど、いかに自分の罪をでっち上げられようとも、もはや冤罪からの脱出が絶望的とわかると、「共産党や革命の事業を傷つけまい」と思い、「諦めて」しまう。

 加えて、そのあとに続くであろうと予想される自分や家族に対する言語に絶する暴力や迫害も、その「冤罪」を認めさせてしまう構造になっているのである。

 

 ヤクーボヴィチと監獄で引き合わされたティテルバウムの場合は、“外国の貿易会社からの収賄”の罪をでっち上げられ、「自白」をさせられるのだが、ティテルバウムは「収賄」という破廉恥罪で死ぬよりは、政治犯として死にたいという欲求に駆られてしまう。

私〔ティテルバウム——引用者注〕はながいあいだ投獄されている。彼らは私が外国で資本家貿易会社から収賄したと自白することを要求して殴打した。私は拷問に堪えられなくて「自白」した。おそろしいことだ、こんなに恥をかいて生死するのはおそろしいことだ。取調官のアプレシャンは、突然言うのだ。「多分君は自白を変更して、反革命メンシェヴィキの全国ビューローに参加したことを自白したいのだろう? そうすれば君は普通犯でなく政治犯になるわけだ」。私は答えた。「そうしたいです。どうすればいいのですか?」アプレシャンは言った。「すぐヤクーボヴィチを呼ぼう。君は彼を知っているかね?」「知っています」。そこで君〔ヤクーボヴィチ——引用者注〕を呼んだ。同志ヤクーボヴィチ、お願いだから僕を全国ビューローにいれてくれたまえ。僕は堕落した悪漢としてよりは、むしろ反革命派として死にたいのだ。(同前p.211)

 死ぬことはもはや逃れられない前提であれば、「収賄で死ぬ」か「反革命で死ぬ」かどちらかを選ぶしかないという「究極の選択」をさせられるのである。

 

 この「全国ビューロー」事件では、経済学者イー・イー・ルービンがどのように、全く身に覚えのない「罪」を「自白」をさせられたのか、ルービンが流罪になった後で、妹(ルービナ)が聞き取った覚書が紹介されている。

 当初、ルービンは自分の「罪」を聞いたときにびっくりする。

一九三〇年一二月二三日に逮捕されたとき、彼〔ルービン——引用者注〕は「メンシェヴィキ全国委員会」の一員であることが告発された。この告発はひどくばかげたことに思われたので、彼はただちに、彼の考えではこうした告発がありえないことを説得できるにちがいないように、自己の見解を述べた上申書を提出した。予審判事はこの上申を一読するとその場で破りすてた。(同前p.215-216)

 ここで、前述のヤクーボヴィチが登場する。ヤクーボヴィチもやはり「自白」させられ、検察当局の筋書き通りにするよう強要されていた。ヤクーボヴィチは対審したルービンに対して、「イサーク・イリイッチ君〔ルービンのこと——引用者注〕、われわれはいっしょに『全国ビューロー』の会議に出席したではありませんか」とウソの言葉かけをせざるをえなかったのである。

 しかし、ルービンは素早く「その会議はどこで開かれたのですか」という実に素朴な、しかし本質的な、鋭すぎる質問をしてしまう。その「会議」の詳細なイメージをでっち上げることを忘れていた検察当局はそこで狼狽してしまうのである。

この質問は尋問の進行に大きな混乱をひきおこしたので、取調官はその場で尋問を中断し、「なるほど君も法律家だったな、イサーク・イリイッチ!」と言った。(同前p.216)

 「ルービンは全国ビューローの一員」という筋書きがこうして崩れてしまった。当局側はその後、移送の車の中でルービンに考え直せ、48時間を与えよう、などの脅しをしたが、ルービンは考えを変えなかった。

 そして「彼の意志を挫くために、ありとあらゆる策が講じられた」「取調官が〔…中略…〕一分間たりとも眠らせず、呼びさまし、あらゆる尋問で責めたて、彼の精神力を嘲弄し、彼のことを『メンシェヴィキのイエス』と呼んだ」(同前p.217)というほどに拷問を仕掛けられた。しかしルービンは屈しない。

 でっち上げの罪をいきなり突きつけられ、本質的な反論を返すと、相手は狼狽し、答えられなくなり、どこかにお伺いをたてにあわてて尋問を中断。その後、「考え直せ」「罪を認めろ」「自己批判しろ」としつこく問い詰め、ついには精神や身体に不条理な抑圧を加える……ああ、このくだり、とても他人事とは思えない

 しかしルービンは屈してしまう。

 どのような責め道具によってであろうか?

 〔…前略…〕一月二八日から二九日にかけての夜、彼は地下牢に入れられた。そこにはいろいろの獄吏とヴァシレフスキーとかいう囚人が一人いた。……彼らは兄〔ルービンのこと——引用者注〕の面前でこの男にむかって「ルービンが自白しなければ、いますぐお前を銃殺する」と言った。ヴァシレフスキーはひざまずいて「イサーク・イリイッチ〔ルービンのこと——引用者注〕、自白しても何でもないでしょうが」と懇願した。しかし兄は、ヴァシレフスキーがその場で銃殺されても気丈におちついていた。内心で正しいという感情がきわめて強かったので、この恐ろしい試練にたえるのを助けた。その翌日の一月二九日から三〇日にかけての夜間、兄はふたたび地下牢に入れられた。こんどは、学生らしい青年がそこにいたが、兄はこの男を知らなかった。彼らがこの学生に「ルービンが自白しなから、お前は銃殺されるだろう」と言うと、学生は胸のシャツを破り「ファシストめ、憲兵め、射て!」と言った。彼はすぐさま銃殺された。この学生の名はドロードノフといった。

 ドロードノフ銃殺は私の兄に強烈な印象をあたえた。そして監房に戻ってから、彼は考えこんだ。どうすべきか? 兄は取調官と話し合うことを決心した。(同前p.217)

 

共産主義とは何であってはならないか

 ここで紹介した『共産主義とは何か』は、1967年に出版された本である。原題が「歴史の裁きのまえに」(Перед судом истории)、英題は「Let History Judge」(歴史をして裁かしめよ)である。サブタイトルは「スターリン主義の起源と帰結」。

 日本では1973年に三一書房から出版されている。訳者は石堂清倫で、日本共産党員だったが1961年に除名されている。だから不破がこれを石堂の名前もちゃんとあげて参考文献として『スターリン秘史』で紹介したときには、ちょっとした驚きがあった。

 メドヴェージェフ自身も本書を理由にソ連共産党を除名された(1989年に復党)。

 

 「共産主義とは何か」というタイトルで、スターリン体制のもとでの犯罪が描かれているので、「共産主義ってこんなに恐ろしいんだよ!」という意味でつけられたタイトルのように思える。

 しかし、学生時代、本書をぼくに教えてくれた人は、左翼活動家の先輩で、同じ下宿に住んでいたのだが、その古い下宿先で彼がぼくの部屋にきて話し込み、こう話してくれたものである。

「このタイトルは『共産主義とは何か』なんやけど、そこに込められてる意味は、『共産主義とは何であってはならないか』ってことなんやな」

 つまりこのようなスターリン主義であってはならない、という意味が込められているのだと教えてもらった。

 1980年代が終わり90年代にさしかかったころ、まだぼくのまわりの左翼はトロツキー反革命的な人物だという評価であり、彼の著作を読んでいると「ほう、まず敵を知るために読んでいるわけですか」などと声をかけられた。

 そんな中で、その先輩は、スターリンやその体制のまちがいだけでなく、トロツキーの面白さ、市場を否定した一元的計画経済の無理、そしてレーニンのさまざまな蛮行についても教えてくれたものだった。

 

 あの頃、ぼくは本書『共産主義とは何か』をただの「歴史の知識」として読んだに過ぎないが、今まさに自分に関わる切実な問題として本書を読むことになった。そんなことにはなりたくはなかったのだが。