学校における「国葬」半旗の掲揚と「表現の自由」

 前にも書いたとおり、ぼくは自分の娘が通う中学校と、市教育委員会に対して安倍元首相の「国葬」にあたって半旗の掲揚など弔意の事実上の強制をしないように請願を出した。

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 そうして「国葬」の日は、半旗の掲揚をはじめ、弔意の強制にあたることは行われなかった。これは福岡市教育委員会にも、「国葬」後に市議会議員(教育こども委員会である山口湧人・共産)を通じて確認してもらったのだが、福岡市教育委員会は通知などの形で市内の各学校への「要請」「周知」は行わなかった。娘にも確認したが、そういうことはなかった。(福岡市の髙島市長は市役所・区役所などには半旗掲揚を強要する通知を出したが、安倍殺害直後のとき福岡市教委は市長部局の通知を「周知」させる形で各学校に事実上の「要請」を行ったのである。)

 請願を出したことは小さなことだったが、やってよかったと思っている。

 全国的にも半旗などの要請をした教育委員会は非常に少なかったようで、国葬反対」という運動が世論をつくりあげたことが大きな影響を与えたのは、間違いない。

www.tokyo-np.co.jp

 声をあげることは大事だ(上西充子流に言えば「交渉は大事です」)。

 

「学校の政治的中立」は何のためか

 「国葬」をめぐる新聞の論説で興味深かったのは、「しんぶん赤旗」の9月16日付の「主張」だった。

www.jcp.or.jp

 この中で、安倍元首相の「国葬」について学校で弔意を求めること、表現することにどんな問題があるのかを教育基本法にてらして解き明かしている箇所がある。

そんな時に学校が国葬に従うことは、子どもに安倍氏への賛美を刷り込むことにつながります。政治教育の原則を踏みにじり、“学校の政治的中立性”を自ら破りかねない行為です。そんな時に学校が国葬に従うことは、子どもに安倍氏への賛美を刷り込むことにつながります。政治教育の原則を踏みにじり、“学校の政治的中立性”を自ら破りかねない行為です。

 ここまでは、ぼくも請願で書いたロジックであり、多くの人が使っている学校現場での弔意強要に反対する理屈立てである。

 注目すべきはその次の部分だ。

 教育基本法14条は政治教育の原則を「良識ある公民として必要な政治的教養は教育上尊重されなければならない」と定めています。旧教基法と変わらないこの規定は、戦前の学校が子どもに政府への協力的な態度を教え込んだことが戦争の推進力となったことを反省し、政治的批判力を養う政治教育を確立しようとしたものです。

 「学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」という、いわゆる“学校の政治的中立性”の規定も、闊達(かったつ)な政治教育の保障が目的です。

 学校が重視すべきは、国葬を行うことの是非を自由に話し合う環境を子どもに保障することです。

 これは「表現の自由」の立場からはとても重要な論点である。

 学校が「政治的中立」を守るのは、「アブない政治の話題・ヤバいウヨサヨの論争に巻き込まれない」ため、政治のハナシをタブーにするため、ではない

 逆なのである。

 学校で子どもたちが「国葬」という政治の話題をめちゃくちゃ自由にやってほしいから、子どもにとって「権威」である学校が「弔意を示せ」と命じる側にいてはいけない、だから中立を保て、という理屈だ。

 よりによってその教育基本法は安倍政権のときに改悪されたものであるが、政治教育の部分は骨格が変わらずに生き残った。

 政治教育は、むしろ教育基本法においてはものすごく奨励されていることがわかる。政治の話をする奴は「アブない奴」と思うような状況をつくりだしてしまうことは権力にとってむしろ都合のいいことなのだ。

 「中立」を根拠に政治的な押しつけに反対の声を上げるとき、一歩間違えばタブー視を醸成してしまいかねないが、それは自由闊達に議論するためであるという目的を忘れるべきではない。(自戒を込めて…。)

 

福岡県教育委員会は「半旗を要請」したんじゃないの?

 上記の9月23日付東京新聞の記事は、元ネタは共同通信のようであるが、福岡県教育委員会は「検討中」になっている。しかし、その後、福岡県教委は「半旗を要請」したようだ。

www.nishinippon.co.jp

 安倍晋三元首相の国葬を巡り、福岡県教育委員会が各県立学校に対し、事実上、弔意を表す半旗の掲揚を求めていたことが分かった。(西日本新聞9月28日付)

 「国葬」後に発行された「しんぶん赤旗」日曜版の10月2日号は、

弔意を強制するなの世論が広がるもと、「国葬」当日に半旗掲揚などで弔意の表明を学校に求めた都道府県教育委員会は、山口県教委のみでした。

としているが、これはそうではないのでは? おそらく全国の傾向は共同通信の事前調査記事をベースに書いたのだろう。ただ「赤旗」記事の続きは、「国葬」後の山口県内の自治体の対応を追っているので、山口県内だけはその後実際に取材したんじゃないか。



 うーん、ひょっとしたら、カウントの仕方が違うのかもしれない。なので断定は避ける。

 いずれにしても、「国葬」が終わってどうだったのかは後世に残すためにも全国の教育委員会に調査をかけて公表してほしいところである。

『マクニール世界史講義』

 リモートでの読書会は、今回は『マクニール世界史講義』である。

 歴史学がタコツボ化する中で世界全体の歴史法則を明らかにする。

 

 

 ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』、ハラリ『サピエンス全史』、クリストファー・ロイド『137億年の物語』など私自身がマルクス主義史的唯物論を豊かにする、あるいは検証する意味で、ぼくはこのテーマに関心があった。

 

 その元ネタとしてのマクニールである。

www.bookbang.jp

 

第1講と第2講

 冒頭のフロンティア論は、アメリカのフロンティア論から理論体裁を借りたものだ。

 アメリカのフロンティア論としては人気が悪かったウェッブのグレート・フロンティア論をヒントに、マクニールは、世界史を“ヨーロッパ文明が世界に広がっていき、そこかしこでフロンティアが生まれたプロセス”として捉えた。

 1750年を境にして違いがある。

 1750年以前、フロンティアは伝染病(感染症)で先住民を絶滅させ、輸送力もないために人口が少なく、自由と奴隷的拘束が両立していた。開拓者のヤクザ的自由のもと、労働力の少なさを暴力で固定化しようとした。

 1750年以後は、交通・通信の発達(大量の自由民の移民)、人口の増加(食糧増産)により人口構造が変化し、労働力が安定供給され、奴隷制的な暴力は不要となり、ヨーロッパ化した。

 1500年以降のヨーロッパ拡張は4世紀半でそのプロセスを終えた。

 ヨーロッパ文明のフロンティア拡大として世界史をとらえ、感染症の役割の大きさを重視し、しかも技術文明によって歴史のメカニズムを解明している。

 南米産の作物の普及の役割の大きさを指摘しているのは非常に興味深い。ジャガイモ・サツマイモのカロリー供給力、トマトのビタミン供給力は大きかったんだなあ!

 また、ヨーロッパ化した新世界では、ヨーロッパ的な階級社会が生まれるわけで、そこからはある意味でマルクス主義の出番ではないのか?

 つまりマクニールとマルクスを組み合わせることは可能である…と感じた。

 

第3講

 3講と4講はセットである。

 ミクロ寄生=微生物が人間に与えた影響、マクロ寄生=搾取や収奪が人間に与えた影響、そして都市がもたらした人間への影響(都市的変容)から世界史を解読する。

 ミクロ寄生は、食べ物は豊富にあるはずの熱帯を離れて、寒い地方になぜ人間が移ったのかというのは、感染症から自由になれる上でむしろ有利だった。

 「なぜ寒いところに人類は住んだのか?」——これは私自身の長年の謎だったので、このマクニールを読んで「なるほど」と思った。

 しかし、読書会参加者の一人から、「それは定説じゃないよ」と批判された。

 

 農業により定住が始まると再び感染症との戦いとなる。そして耕作者は土地に縛り付けられ、搾取・収奪されるようになる。だが、ミクロ寄生とマクロ寄生の被害を差し引いてもなお定住し農業をした方がメリットがあったということだろう。ミクロ・マクロ寄生と農業社会が共存し始める。

 

 人間が都市に集中して集まるようになると、3つの変化、すなわち

  1. 職業の専門化(官僚的支配体制)
  2. ミクロ寄生の強化
  3. 神職から武力集団の優位

という変化が生じた。

 ミクロ寄生においてもマクロ寄生においても、寄生する方と寄生される方(宿主)の相互依存が起き、安定した生活様式潜在的に実現した。

 

 しかし、商業がこれを壊した。

 伝染病による社会への打撃。官僚体制の後退。1000年もの不安定。(感染症の影響の大きさ!)これを緩和したのが優れた技術と宗教的支配。宗教はプラスの役割が大きい。

 官僚体制と市場の争いは、1000年以後は市場=商業に傾いた。これ以後マクニールが呼ぶ「近代」が始まる。マクニールは「近代」を市場化だととらえたのである。

 

第4講

 近代の世界システムを解説する。一言で言えば、都市的変容に対する商業的変容の優勢である。すなわち都市的変容(官僚支配)vs 商業的変容(市場原理)。

 この市場原理社会は、中国=宋の時代に始まった。早生稲による二毛作。生産力の飛躍。経済余剰。銭納。大運河。市場への介入を避けることで富を効率的に支配できる。しかしモンゴル帝国がこれを破壊してしまった。

 

 中国が覇者にならずにヨーロッパが覇者になった理由についてマクニールは以下のようなものをあげている。

  • ちょうどイスラムからジブラルタルを解放。海から外へ。
  • ステップ地帯である陸路(シルクロード)は感染症が残り、交易網が再興されなかった。
  • 中国は北の侵入に資源を割いて、海の進出を閉ざした。
  • ヨーロッパ人の知的好奇心。『ダンピアのおいしい冒険』を思い出す。
  • ヨーロッパ人の伝染病への免疫の高まり。フロンティアでの先住民を伝染病で滅ぼして入植するパターン。
  • 銃器・大砲は騎兵の優位を消滅させた。
  • 優越した政治的権威が登場せず、かえって軍事的な強化の増幅をもたらした。また、そのことが商業を屈服させられなかった。市場への強制が弱まることで富を生み出す能力が飛躍的に高まった。この市場の解放された力を「核反応にも匹敵」とマクニールは呼んだ。
  • アジアにおける伝染病への免疫の高まりによる人口増加は小作農の増大となり、社会の脆弱さになった。

 

 

 これらを総括して、マクニールは、ヨーロッパの覇権を“ヨーロッパが新たに富と権力を得た時期と、アジアの政府や支配層が例外的に弱くなった時期とが偶然に一致”によるものだと説明した。

 

 今に至るまで官僚支配vs市場原理の戦いは続いている。

 つまりミクロ寄生・マクロ寄生・官僚支配(都市的変容)・市場原理(商業的変容)、そしてフロンティアによって世界史のシステムを説明するのがマクニール流なのだ。

 

第5講

 経済的破綻・政治的破綻を振り返る。小さな破綻はより大きな破綻を準備しているだけかもしれず(カタストロフの保全)、それを理解しない破綻の弥縫策は無駄なことかもしれないが、それを諦めずに改善するしかないのかもしれない。というはっきりしないけど希望は捨てないのがマクニールの結論だ。

 ここで「カタストロフの保全」としてミシシッピ川の堤防の話が持ち出される。おお、どこかで読んだぞ、と思っていたが、『感染症と文明』だった。

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感想のまとめ

 感染症の果たす役割が非常に大きい、と改めて感じた。

 マルクス(あるいは日本共産党)では感染症は補足的な役割しか与えられていない。

この歴史的事実をもって、「ペストが農奴制を没落させた原因だ」と結論づけることは、言い過ぎになるでしょう。病原体に社会を変革する力があるわけではありません。同時に、「ペストが農奴制を没落させる一つの契機となった」、「農奴制から資本主義への歴史の進行を加速させた」ということは、間違いなくいえるでしょう。その意味で、東京大学名誉教授の村上陽一郎氏が、その著書『ペスト大流行――ヨーロッパ中世の崩壊』でのべたように、「黒死病は、資本主義の発生に決定的なギアを入れた」ということができると思います。

日本共産党創立98周年記念講演会/コロナ危機をのりこえ、新しい日本と世界を――改定綱領を指針に/志位和夫委員長の講演

 だが、階級闘争のみが歴史の推進者ではなく、こうした技術・感染症・フロンティアの役割を、もっと自分の歴史観の中にも取り入れる必要があると感じた。

 同時に官僚支配vs市場原理という対決軸を作り、「市場が人間を豊かにした」というのはやや説得力に欠ける。

 マルクスは市場ではなく資本主義の生産力の飛躍的発展が人類史を変えたと見た。

 また、官僚体制が生産力を飛躍させた側面もある。スターリン体制を含めた開発主義による生産力の発展、つまり独裁国家であっても経済発展が行われ、それが国民の生活を豊かにした側面はあるからだ。

 

 

永井愛・上西充子『言葉を手がかりに』

 「ご飯論法」の可視化で有名な上西充子と、劇作家・永井愛との対談である。

 

答えを持たずに読む

 本書の巻末に著者の一人である上西充子が本書の意図について、

永井さんもわたしも、何かはっきりとした答えのようなものを持ち合わせているというわけではなかった。(p.217)

と述べている。あらかじめ定まった問題意識を強調するのではなく、相互作用の中で何かを生み出そうというものである。

 それは極めて演劇的な行為である。

 劇作家である永井も、この対談で、コロナでのオンライン配信(一種の映像作品)と観客が実際にいてその相互作用が起きる(演劇)こととの違いを次のように述べている。

観客の目が最後の気づきを、演者にも、演出家にももたらす。それがないものは、舞台じゃない。(p.40)

こっちでは寝ている人がいて、向こうではすごく面白いと思っている人がいて、ここではつまらないと思っている人がいてと、観客ひとりひとりはバラバラでも、これら全体から総合人格みたいなものが醸しだされて、それが伝わっていくんでしょうね。だから、みんなが真剣に見ている舞台は相乗効果でよくなるんでしょうね。(p.42)

もしお客さんが全員寝ていたとしても、役者が終わりまで演じることは可能ですけど、おそらく舞台は惨憺たるものになると思う。人の視線に支えられていないと感じたときに、役者の内側から出てくるものが変わってきてしまう。(同前)

 横山旬『午後9時15分の演劇論』にも、「制御不能」ともいうべきほど、演出や脚本の「意図」を超えて、演者や観客の相互作用によって舞台が生きもののように意思を持って動き出してしまうさまが描かれる。

横山旬『午後9時15分の演劇論』2巻、p,17、KADOKAWA

 ということは、である。

 この対談に何かあらかじめ一貫したものを読み取ろうとしなくてもいいのだと思った。

 上西も「おわりに」で、

わたしたちが見ることによって、あるいは聞くことによって、ある人の発した言葉が生きた力を発揮しはじめるという関係性にも注目したい。永井さんは、舞台を真剣に見る観客の目が、演者や演出家に最後の気づきをもたらすとも語っている。(p.219)

としてこの対談を総括しているのは、上西もこの立場を共有し、いわば対談を「読む者」の中で新たな気づきや波及をもたらすことを望んでいるに違いないと思った。

 だから、ぼくはこの本・対談を何か一貫したテーマ、あらかじめ意図された何かとして読まず、上西・永井対談によって自分の中で触発されたり、気づいたり、あるいは反論したりして何かを生み出すものとして読んだ。いわば対談のオーディエンス、または鼎談者の一人のような気持ちで読んだのである。

 

生きた言葉とは

 もちろん、

わたしたちが見ることによって、あるいは聞くことによって、ある人の発した言葉が生きた力を発揮しはじめるという関係性にも注目したい。永井さんは、舞台を真剣に見る観客の目が、演者や演出家に最後の気づきをもたらすとも語っている。(p.219)

ということは無目的に行われているのではなく、「何か」のためである。なんのためなのか。

 上西は「おわりに」で、

言葉が本来の力を発揮できる社会を実現させていくためには、借りものの言葉ではなく、生きた言葉を持つことが大切だ。(p.219)

と述べ、

わたしたちの語る言葉は、書き記す言葉は、わたしたち自身にとってしっくりくる、生きた言葉だろうか。(p.219)

そう問い直していき、どのような言葉が生きた言葉として力をもつのかに注目していくことによって、「しょうがない」「どうせ」という諦念や冷笑が広がるのを押しとどめることができるのではないか。(p.220)

と書いているように、「生きた言葉」とは、単に相手にしっくりするという言葉であるにとどまらず、ある意味で発せられた側の意図を超えて、相手に受け止められ、相手が自分のものとして鋳直して使うという、民主的な作用ではなかろうか。

 言い直せば、発した相手の意図通りに言葉を理解させるのではなく、相互作用によって、受け取った側がその言葉を自分のものにして使う。もちろん、そのまま使うこともあるだろう。

 

 この点に関して、芝居で、登場人物を「キャラクター化」して固定しようとするやり方を永井が批判する。人間は人格が統合されているけども、状況や相手によって様々な人格を持つというリアリズムを忘れると一面的になるという話だ。

 

 政治の言葉をこれに置き換えてみれば、状況や相手によってそもそも発信の言葉が変わるはずだし、相手との相互作用によってまた発信者の言葉=思想も変わっていくということになる。

 「ポジショントーク」という言葉がある。

 政治家である以上、何かのポジションからトークが始まっても、これは仕方がないと思う。

 しかし、問題は、そのポジションから一歩も動かないことだろう。

 そもそも発信を開始するときに、状況と相手によってそのポジションを動かしてみる自己検証が必要だ。さらに、相手との相互作用で自分が変わったり、より大きな(普遍的な)立場での考えや言葉になったりすることが求められる。それは言葉が「生きている」ということではないか。

 政治家が「柔軟」であることを評価されるときは、単に垢抜けているとか、「〇〇党らしくない」とか、「臨機応変」だとか、そういう表面的なことではなく、相互作用を念頭において、言葉=思想が生きているかどうかということではないか。言葉が生きていれば、思想が生きているということであり、それは民意を反映させる力を持った民主主義的な力量のある政治家だとみなせる。

 

安倍晋三の言葉について

 第三章で、永井と上西は安倍元首相と菅元首相の言葉の比較をしている。安倍の強気、菅の逃げ、という簡単な規定を与えている。

 安倍の言葉には、ひょっとしたら、一定の有権者の心に響く肯定的な何かがあったのかもしれない。

鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』 - 紙屋研究所

 しかし、その側面はとりあえず今ここでは考えないとすると、上西が

言葉の貧しい菅さんとは対照的に、安倍さんは攻撃的に相手に向かっていく。…きっぱり言うことによって、自分は潔白だと印象づけようとする。…とにかく強気なんです。(p.60-61)

と述べている安倍の否定的側面からいえば、その上西の言葉からぼくが考えたことは、安倍政権のメリットを続けさせたい擁護派を鼓舞し、安倍政権を批判したい反対派を諦めさせる「生きた言葉」だったのかもしれないということだ。

 言葉が強いというだけでなく、反対派の中にある「諦め」や「弱み」を引きずり出してそこに訴求するというライブ感。

 いま統一協会問題で自民党は窮地に陥っているが、もし安倍が生きていたら、どのような言葉を繰り出すか、ジャーナリストの松竹伸幸が想像しているのは興味深かった。

安倍さんが銃弾に倒れなかったら | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 (ただし、そこで松竹が想像した論点はほぼ克服されてしまったので、その論理を安倍が使ったかどうかはわからないが、)何よりも

開き直った上で攻勢に出られるような人は、もう自民党のなかにはいなくなった。やっぱり安倍さんというのは、頭も柔軟に働いていたし、胆力も人並み外れていた。保守勢力を統合できるような人は、しばらくあらわれないかもしれない。(松竹)

という悪い意味での「生きた言葉」を使ったのではないか、という松竹の想像が興味深いのである。まあ、もう死んでしまったので、ただの妄想でしかないが。

 

可視化について

 続いて、本書のオビにもある「問題を『見える化』する。」、すなわち「可視化する」ことについて。それは上西の重要なテーマである。そしてこの対談でも中心的に扱われている。

 與那覇潤『過剰可視化社会 「見えすぎる」時代をどう生きるか』(PHP新書)は上西と真逆の問題意識で書かれている。

 與那覇小沢一郎の『日本改造計画』を

とにかく透明にして「目に見える」ようにしていけば、自ずと国民の審判が下されて必ず改善してゆくはずだと。そうした時代精神に基づいて書かれています。(與那覇p.34)

とまとめた上で、

もちろん、政府が恣意的に情報を隠す社会は望ましくない。(同)

とエクスキューズを入れつつ、

しかし、なんでも見える場所に引きずり出しさえすれば、本当に世の中はよくなるのでしょうか?(同)

と疑問を投げかける。高度で複雑で見えにくい文脈の上に成り立つものを否定して、わかりやすく見えるものだけで判断させることは、エビデンス至上主義・プレゼン崇拝と表裏一体であり、それが単純でヤバいポピュリズムの土壌になっていないかと警告を発するのである。その中でSEALDsも「見た目優先」の運動として一緒くたに否定されている。

 可視化を唱え、SEALDsの言葉に「新しさ」をみた上西(・永井)とは真逆に見える。

 

 與那覇のいうことと、上西(・永井)のいうことは矛盾しているだろうか?

 あるいは、上西のいうことについて、與那覇の言説は何か警告になっているのだろうか?

 

 與那覇は「過剰可視化社会」の処方箋をいくつか示すが、そのうちの一つは不可視な身体感覚を失わないようにすることだった。與那覇の結論は

視覚以外の感覚を誰もが取り戻そう(p.218

ということである。

 もう少し実践的に言い換えるとどうなるか。與那覇の対談者の千葉雅也の言葉だが、以下の言葉が一例としてわかりやすいだろう。

逆にいえば僕は、トラブルは膝を突き合わせて話せば大部分は解決される、そこは楽観していいと思っています。生身の身体がもつ迫力で、互いに折れざるを得なくなるから、ある種の保守的な発想にはなるけれど、そのように身体を尊重し合うことが社会を維持するためには欠かせないと思います。/オンライン上だけでは、これまで人類が行ってきた議論や折衝は成り立ちません。身体を媒介せずに、言語とイメージだけですべてを処理できるとする考え方は傲慢なんです。物事を可視化するだけでは人間社会は運営できなくて、「不透明なもの」としての身体がどこかで必要になる。(與那覇p.153-154)

 うーん…。與那覇たちが言っていることって、次の二つの意味じゃないだろうか。

(1)自分の身の回りで起きたことは、言葉だけで伝えるよりも映像を交えたほうが、言葉と映像よりも、音声それも肉声、匂い、まなざし、肌触り、などで伝えた方が、より伝わる…というくらいのことではないのか?

 與那覇と対談している臨床心理士の東畑開人との対談で、安心できるローカルな関係の構築が話題になっているが、その関係は言葉だけで抜き出して普遍的に作り出すことはできない唯一無二のものである。それはそこに関わった人たちの身体性に規定されているからである。

 政治家が選挙運動で有権者に10回お願いをしろ、というのも、こうした身体性に関わっているんじゃないのか。

髙井章博『“イヤな”議員になる/育てる!』 - 紙屋研究所

 つまりこうした身体を媒介にした不可視なものというのは、「自分のまわり」で主に問題になるということだ。

 

(2)公共圏であっても身体を媒介にした不可視なものはある。例えば教育の効果などはそういうものだろう。

 教育でもエビデンスや可視化の波が押し寄せているが、それは教育という営為の本質を失わせかねないのではないか、ということを藤森毅の論文の感想で書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 もちろん、教育のような「政策の一分野」に限らない。

 例えば経済というような政治の中心部分にあるものだって、「可視化されたエビデンス」のようなもの以外の「身体感覚」、あるいは「実感」は重要である。*1

 「アベノミクスで日本経済はうまくいった」ということを、何かの数字や「証拠」で論争することはある。しかし、やはり「そんな実感がないんですけど…」という身体感覚が裏切ること、あるいは納得を許さないことは往々にしてあることだ。

 

 そのようなことを踏まえた上で、もう一度問いに立ち戻る。

 上西のいう可視化と與那覇のいう「過剰可視化社会」論は矛盾するのか?

 SEALDsの運動をどう評価するかが反対のように見えるが、どちらが本当なのか?

 前者については、ごく単純に言えば「不可視な身体感覚が重要な分野がある」というわきまえをしておけばよく、可視化は今後も一層進められるべきだろう、ということでしかない。身近でない、公共圏で争われるべきものは、やはり「言葉」である。そうである以上は、可視化は今後も進められるし、その可視化を進めるための道具として「言葉」の力を獲得していくことにぼくらは精進することがベストなのである。

 その努力に水をさすようにして「過剰可視化」批判にそれこそ「過剰」な意味を持たせてしまおうとするなら、それはただの体制擁護でしかないだろう。

 SEALDsへの評価は、ぼく自身に届いているところの「言葉」としてそれほど大きな「新しさ」があったとは思えない。中西が言うように「借りものではない自分たちの言葉」で語ったという点で、個の尊重という思想を表現してきた一定の評価はするんだけども。

 SEALDsへの大きな評価は、ひょっとしたら、デモの現場にいた人が、それこそ身体感覚で、つまりデモの雰囲気、発される言葉の熱量、トーンなど全体を感じ取って得た「新しさ」という評価だったのではなかろうか。「デモというインスタレーション」とでも言おうか。

 

モリカケサクラを「小さなこと」というAさん

 この夏ぼくは帰省して、非常に親しい関係にあるAさん、Bさん、Cさんと話す機会があった。年齢がバラバラで、いずれもぼく以外は左翼ではなく、どちらかと言えば保守的な考えの人たちである。ぼくを含めて四人が一堂に会した。

 Bさん、Cさんは安倍の政治は気に入らなかったと言っていた。ところがAさんはそれに猛然と反論した。「安倍政権の何が悪かったのか言ってみろよ」と。

 Bさんは気圧されたような感じだったが、「ほか、桜を見る会とか、デタラメばっかりだったじゃん」と一言言った。

 Aさんは「森友問題とか加計問題とか桜を見る会とかそんなものはどうでもいい、小さなことなんだよ」と憤っていた。

 ぼくはその議論の間、ずっと黙っていた。何かを言おうとも思ったのだが、様子を見ている間に話題が別に移っていってしまったのである。

 Aさんは、ふだんあまり政治の話をしない人なのだが、そんなふうに思っていたのかと感じた。Cさんと二人きりになった時、「Aさんはまあ金融関係の仕事だから、アベノミクスさまさまなんじゃないのか?」と語っていた。

 Aさんは、ぼくが上西とともに「ご飯論法」というワードで流行語大賞をもらっていたのをもちろん知っている。しかし、それ自身を「小さなこと」「どうでもいいこと」だと思っていたのだろう。そういう人が世の中にたくさんいるのは知っていたし、体験したりしていたが、親しいAさんもそうだったのかとなんとなくショックであった。(まあ、そのAさんでさえ、「統一協会の癒着、あれは本当に許せない」と憤っていたのだから、統一協会問題がいかに自民党政治にとって深刻な危機であるかはそこでもうかがい知れる。)

 そういう体験をしてしまうと、何か深いところで挫折や諦念が不意に襲ってくる。

 言葉の力を信じるようなことは無駄ではないのか、と。

 本書で上西が

そう問い直していき、どのような言葉が生きた言葉として力をもつのかに注目していくことによって、「しょうがない」「どうせ」という諦念や冷笑が広がるのを押しとどめることができるのではないか。(p.220)

と述べているように、「しょうがない」「どうせ」という諦念や冷笑とたたかうことこそが、本書の隠れたテーマでもある。

 そもそもぼくはAさんと対話してこなかった。「言葉」そのものを発していないのである。

 そして、Aさんをめぐる身体感覚について大して理解もしてない。

 だから単純にぼくはAさんと、Bさん、Cさんたちを含めて、そのとき対話をすればよかったのである。

 そして、ひょっとしたら、ぼくがAさんから何か別の反作用をもらえたかもしれないのである。そういう相互作用の言葉の力をぼく自身が信じず、実践しなかった結果の「ショック」ではないのか、と思っている。

 

いくつかの共感または気づきについて

 あとは本書の対談で感じた小さなことをいくつか。

 一つ目は「交渉は大事です」という言葉。

 上西は、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』からのセリフの引用として「声をあげよう」ではなく「交渉は大事です」といったことに着目してこう述べている。

よく「声をあげよう」と言われるじゃないですか。でも、「声をあげよう」と言われると、いまのわたしたちの状況では、どうしても「声をあげたら、潰される」という言葉とセットで連想されてしまう。…でも「交渉は大事です」と言われたら、「大事ですね」と素直に思えますよね。(p.155)

 これはぼくもそう思う。

 「声をあげよう」を否定する気もないし、これからもぼくは使うとは思うが、「声をあげよう」は「誰も声をあげない静寂の中で一人で異議を唱える」というイメージがあり、「勇気」とセットになっている。ハードルが高いのである。

 しかし「交渉は大事です」というのは、まわりが静寂であるかどうかというイメージが消えて、自分にとってどうしても必要な条件を得るために、相手に声をかけて駆け引きを始めるというイメージに変わっている。「相手に声をかける」という感じになり、しかも「異議」ではなく「小さくてもいいので妥協を引き出す」という具合になっていて、ハードルが下がっているのである。

 上西が次のように述べているのは当を得ている。

潰されるように見える未来と、呪いの言葉に従って嫌々ながら我慢しつづける姿のような両極端しかないイメージがある。でも、そのあいだに、交渉をするという選択肢はあるわけです。小さな交渉をして、大きなところはちょっと妥協するとか、もうちょっとがんばって交渉してみるとか……そういったイメージができると、リスクを考慮に入れたうえで、もっとできることが他にあるという発想になってくると思うんですよね。(p.156-157)

 二つ目は、選挙に行かない人を「無関心」と呼ぶのは危ういのではないか、と上西が述べていることに関連して。

 よく「選挙に行きましょう」キャンペーンをしている人や団体がいるんだけど、あれは一体なんなんだろうと思う。選挙管理委員会ならともかく、左派やリベラル、労組でさえも、そういうキャンペーンをやっていることがあるのだけども、ぼくはずっと疑問に感じている。

 例えば「最低賃金を時給1500円のする候補を当選させるために選挙に行きましょう」というのなら、話はわかる。しかし抽象的に「選挙に行きましょう」というのは一体なんなのか。無意味、場合によっては有害ではないのかと思う。

 第一に、ある人がその呼びかけに応じて選挙に行って、外国人を排斥しろという候補に入れるつもりであるなら、それでも「選挙に行こう」という呼びかけは正しいのだろうか。

 第二に、「選挙に行かない無関心よりは、選挙に行って投票率を上げるようが民主主義にとっては前進だ」という考えが根底にあるのではないか。だがそれはおかしい。いろんな状況を考えて「選挙に行かない」となっている場合もあるだろう。もちろん、全くの無関心という人がいないとは思わない。しかし、そこでやるべきことは「選挙に行け」と抽象的に呼びかけることではなく、「最低賃金を1500円に上げるとこんなにいいことがあるよ」という具体的な訴えをすることのはずである。そのような「生きた言葉」になって初めて相互作用が始まるのだ。

 三つ目は、MeTooについて。

 永井はこの言葉を高く評価する。

MeTooと言ったときに、はじめて主体的になる言葉がそこに出てきますよね。「〇〇に反対」という言い方では見えなかったものが、MeTooと言ったとたんに見えるようになった。(p.190)

 これはシンプルに、言葉のチョイスによって、主体性を表せるようになるんだという気づきがあった。

 

 

 以上、なんだかとりとめもなく書いた。

 最初に述べたように、それはこの本の対談がそうした結論を持たない相互作用によって生み出されたものであったから、ぼくもその作法にならって気づき・共感・イメージの連鎖という相互作用をやってみたのである。

 

*1:丸山真男は「実感信仰」も「理論信仰」もその両端の意義や限界を指摘したが。

岡田索雲『ようきなやつら』

 短編集である。

 この中の『追燈』は、関東大震災における朝鮮人虐殺を描いた短編だ。

 「あとがき」で岡田自身が

関東大震災の発生から今年で99年になりますが、その際、起きた朝鮮人虐殺に焦点を置いて描いた漫画作品を自分が調べた限りでは見つけることができませんでした(歴史の学習まんがで多少ふれられているものはあった)。

とした上で

朝鮮人虐殺に目を向けた初めての漫画

かもしれないと書いている。

 ぼくも特に知識があるわけではないので、管見の限りでは他に読んだことはない。つまり初めて朝鮮人虐殺をテーマとして描いた日本における画期的なマンガなのだ。

 本作でも参照されている藤野裕子『民衆暴力』の感想で、ぼくは同書を読んだ際に関東大震災における朝鮮人虐殺のイメージが覆ったことをぼくはかつて書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 まず、殺害は東京だけなのかと思っていたら関東一円で広範囲に起きていて、東京では軍隊が川などに連れて行って20人とか30人を機関銃で撃つ、収容所の営庭で斬る、というような殺し方をしている目撃証言が紹介されているのだ。(日にちが遅い埼玉では官憲側が民衆を制止している。)

荒川駅の南の土手に、連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で打ちました。…あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。(p.171)

 それまでのぼくのイメージは、朝鮮人への恐怖感がデマによる扇動で高まり、東京の町内で自警団ごとに、例えば1カ所で2人、3人、とかいう殺害をされてそれが集積されて「数千人」…というようなものだった。

 それがひっくり返ったのである。

 軍隊・警察自体が手を下して各地で大量の殺人が行われていたのだ。

https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2020/10/12/090000

 本作では、そのイメージがマンガとして再現されている。

 そして、それはごく一部の「映像化」に過ぎないことを、作者が叫ぶようにして、これでもかと虐殺の事実をフキダシにして綴っていく。

 岡田には逡巡、というか葛藤があった。「あとがき」にこうある。

もし『追燈』が朝鮮人虐殺に目を向けた初めての漫画であるならば、“妖怪もの”として描いてよいものだろうかという葛藤もあったので、今作に関しては妖怪の存在を極力、曖昧にして描きました。

 フィクションという体裁ではまだノンフィクションを超えられないと思ったのであろう。しかし、この事実を伝えたいという圧倒的な岡田の思いが10ページにもわたる証言からの抜き書きという形式を採用させたに違いない。

 読んでみて、やはりマンガにするということのインパクトの大きさを感じた。人々がこの事実を胸に刻む上で、今回の試みは本当に画期的だ。なぜこの歴史がマンガにならなかったのか、そのことが不思議だ。単行本にした編集や出版社の英断も称えたい。

 岡田の後にも多くの人たちがこれをマンガにしていくことを期待したい。

松竹梅を買い占めた父

 お盆で帰省したとき、父(84歳)の昔話を意識的に聞くようにしている。というか、録音している。

 父の語りは「植木・盆栽の卸の成功譚」という体裁を持っていて、めっぽう面白い。アジテーターなのであろう。

 十八番は、「1988年末の松竹梅の相場を立てた」話である。

 昔は松竹梅の盆栽を会社や店、個人宅などで正月に飾っていた。裏の話を言えば、かつてはヤクザの「みかじめ料」の代わりにもなっていた。いずれにせよ盆栽業界では正月の縁起物としての一大マーケットがあった。

 だが、昭和天皇の下血騒動が始まった1988年の秋、日本中の誰も松竹梅を作ろうとしなかった。もし裕仁が年内に死ねば翌年の正月にはそんな「おめでたい」ものは、まったく売れないだろうからである。

 しかし父はそこで豪快に啖呵をきる。「ばかやろう、経済にどえらい影響があるから、そんなもん、天皇陛下が本当に死んでも、松の内までは政府が『死んだ』っていうわけがないだろ!」――そう踏んで、父は日本中の梅という梅を買い占めた。松竹梅のどれか1つなければ松竹梅などできないからである。しかし、もし読みが外れれば大損となる。 ……

 

 ……てな感じのエッセイを書きました。続きは、日本コリア協会・福岡の「日本とコリア」263(2022年9月1日)号でお読みください。

 

 父が植木・盆栽の業界にいたはじめの頃は、小売の主な市場は縁日だったと言います。お祭りなどで夜店で鉢植えや苗木を売買することが大きなマーケットだったわけです。だからヤクザなども絡んでいました。

 そこから、ホームセンターなどで売るのが主流になっていく、苗や種子などに権利が生じるなどといった現代的な販売の形になるまでの変遷があります。現代的な業態になるまでは、商売の仕方が粗野すぎて目も当てられない話が多いのですが、それこそが「戦後」であり、そこが聞き取りの醍醐味でもあります。

 

 父の話で面白いと思ったのは、他にもいくつかあります。

 

 例えば、Aという種類の松が福島県のあたりで1本5000円という超高値で売れるという情報をつかみます。

 しかしA松は当たり前ですが、なかなかありません。

 ところが、父が偶然徳島県で植木の買い付けに行った時、植木を生産している人の畑に、A松が雑然と「これでもか」というほど植えられていました。A松が福島県でほしがられているという情報など全く知らないわけです。

 父は「しめた!」と心の中で思いましたが、おくびにも出さず、他の苗木を威勢良く買い、ついでに「ちょっとA松も仕入れとかんといかんで、あそこにあるA松もおまけして売ってくれんかなあ」と言いいます。

 「いいよ」と言って1本100円、まさに二束三文で買ってしまいます。

 情報が瞬時にネットで伝わるということがない時代には、こうした儲け口がたくさんありました。学歴もなく資力もない地方の一商人であっても、やり方次第でいろいろ儲けられたのです。父の父、つまりぼくの祖父は実直な農民であって、「1本10円のものを決まった量だけ売る」という世界にしか住んでおらず、父はそういう祖父の山っ気ゼロのクソ真面目さが実に歯がゆかったようです。

 

 戦後の経済を小企業の社長として現場で担った父の話を聞き取ることで、戦後経済の一つの特殊な姿が見え、特殊を通じて普遍が認識され、戦後をどう生きてきたかを通じて戦後の人々の平和意識などが見えてくるといいなと思っています。

 「日本とコリア」のその一文にも書いたのですが、8月15日付の「しんぶん赤旗」で柳沢遊・慶應大学名誉教授が述べていた次の言葉が、ぼくにはとても大事なように思われたのです。

戦後77年たったいま、直接の戦争体験を聞くことは難しくなりましたが、戦後の平和体験を身近な人から聞くことは可能です。祖父・祖母などからの「戦後」生活の聞き取りと、世界史的視野にたった戦後日本社会史の学習につなげることで、憲法の意味を捉え直す基礎的な力になっていくはずです

 平和意識のようなものを先回りして無理に「抽出」しようとするときっとうまくいきません。

 どんな生活をしてきたのか、どんな仕事をしてきたのかを無心に聞く中で、おぼろげに浮かび上がってくるものがあるんじゃないか、なくても構わない、そんな悠然とした気持ちで聞いています。別に「平和」に結びつかなくても、自分のルーツを知れる貴重な機会ですから。

 

 憲法9条は一路空洞化していった歴史ではなく、戦後多くの国民に支持され、選び直され続けてきた歴史だと思います。自衛隊というものをつくり、専守防衛の範囲で認めた解釈を付したことも、条文的には矛盾に満ちてはいるものの、「現実主義的な9条のカスタマイズ」として国民が選択したものでしょう。

 そのような広い意味での9条支持の意識は、直接には「悲惨な戦争体験」、すなわち「戦争はもうこりごりだ」という意識に支えられていました。

 アジア最大の軍隊を持っていた日本は、戦争に負け、原爆を落とされ、空襲で焼け野原にされ、多くの人命を失った後に、日本国民は「ようし、今度はもっと軍備を増やしてうまくやってやろう」とか「核を持ってアメリカ野郎をギャフンと言わせてやろう」とは思わなかったわけです。

 その直接の体験に支えられた世代は消滅しつつあります。

 ですが、柳沢が言うように、後続の戦後民主主義世代は、まだ十分な厚みで存在します。

 この世代の中にある平和意識をうまく継承できれば、9条的な「戦後」は新しい形で維持していけるとぼくは思っています。

 

髙井章博『“イヤな”議員になる/育てる!』

 2022年に刊行された髙井章博『“イヤな”議員になる/育てる!』(公職研)を読む。

 

 

 選挙勝利から議員になり、議員としてどう仕事をするかまでを、市議会議員経験者、そして選挙コンサルとして書いている。菅直人系の地方議員経験者。

 いろいろ興味深い箇所はあったが、やはり一番食い入るように読んだのは「票を獲得する方法」のところだ。

 それほど突飛もないことは書いていない。むしろオーソドックスのことなのかもしれない。しかし、いまぼくはそのことを、わりと解像度高めの話でしてみたいと思っているのだ。

 「解像度高め」。

 似ているんだけど、その方法は違う。

 そういうことを言ってもらいたい。何かの理屈をつけて。

 それが合っているか間違っているかはどうでもいいんだ。

 むしろ違う流派の人からそう突きつけられて、「それは正しいね」とか「いや、それはおかしんじゃない?」とか議論してみたい。同じ「流派」の人は、すぐ同調したり、頭から否定したりしてしまうからダメだ。

 髙井の言うところを聴きながら、対話してみよう。

 

選挙に出ると言うと、「とにかく挨拶廻りをしなさい。」とアドバイスする人が多いのですが、実際にはそんな簡単なものではありません。(髙井p.46)

 「握手を●人としなさい」というアドバイスと同じで、有権者と本人が接触する機会を増やすことは票を増やす上で効果的ではないのだろうか。

あなたは、たった一度、突然訪ねてきて、インターホン越しに「よろしくお願いします。」と言って帰った人のために、投票所へ行きますか?(同)

 うん、まあ…行かないかな。でも全く知らない人よりはよくないか?

 まるでその答えを見透かしたように、髙井は批判する。国政選挙では例えば野党第一党から選ぼうというような思考方法で探すかもしれないが、

市議会議員選挙のように、何十人もの候補者がいて、しかも同じ政党から何人も立候補するような場合は、全く違う物差しで判断せざるを得ません。(髙井p.46-47)

 髙井は、候補者選択の決め手はふた通りあるとして、第一に、政党・期数・性別などの属性、第二に、自分との人間関係の距離、という二つを示す。国政や都道府県知事は第一だが、一般の市町村議会議員選挙は第二だという。

 おいおい、じゃあ、県議と政令市議はどっちなんだ!?

 髙井の書き方からはわからない。

 しかし、例えそうだったとしても、自分との距離が決め手であるなら「挨拶廻り」は有効なのでは? と思ってしまう。

 そうではない、と髙井は主張する。

 そこが髙井の考える解像度なのだ。要するに、本人が一回挨拶をしただけでは、人間関係の距離が縮まらない、まだ遠い、ということなのだろう。

 髙井のいう票を集める極意は、次のとおりである。

全く知名度がなく、元々の人間関係が存在しない候補者であっても、ある一人の有権者に対して手を変え品を変え一〇回接触すると、よほどの理由がない限り、その有権者は自分に投票してくれるようになる。(p.50)

 これだ。「手を変え品を変え10回接触」。

 共産党統一地方選挙に向けて、第6回中央委員会総会で、次のような方針を打ち出した。

「折り入って作戦」とは、"後援会員、支持者、読者に「折り入って」と協力を率直にお願いし、ともにたたかう選挙"にしていくということです。

 京都府の伏見地区の鈴木貴之委員長からは、次のような報告が寄せられました。

 「『折り入って作戦』を今回の選挙戦で3~4回と繰り返し行い、直接訪問を支部が行うことを重視しました。対話を通じて党勢拡大に結び付き日刊紙、日曜版で連続前進につながりました。5月~7月『折り入って作戦』と『集い』を繰り返す中で6支部7人の入党者、そのうち50代以下5人を迎えることができました。繰り返し『折り入って作戦』を行うことで、『積極的支持者』をつくることができたことは大きい。選挙最終盤、選挙後も『はがきをもらい、勇気が出た。私も10人に訴えた』『家族にも広げた』『投票所に連れていった』などの多くの反応が出されました」

 ここには「折り入って作戦」を、「"気軽に""率直に""何度でも"を合言葉」(5中総決定)にとりくむことがいかに大きな力を発揮するかが、生きた形で示されています。直接訪問して対話すること、「集い」を繰り返し開いて結びつきを広げることの重要性が語られています。

 正直ウザいのでは? と思うかもしれない。

 ウザいと思う。

 それに対して、髙井はここでも解像度高く、次のように指摘する。

この法則のポイントは、「手を変え品を変え」という部分です。当たり前のことですが、単純に、「お願いします。」という電話を一〇回繰り返しても、煩わしがられるだけで、却って逆効果です。「しつこい」、「煩わしい」、「鬱陶しい」と思われないように、様々な方法で、何かと理由を作って働きかけをすることが肝要です。また、投票依頼以外の「お願いごと」を色々とすることで、有権者に「この候補者は、私のことを頼りにしてくれている。」という意識を持たせることができます。多くの有権者にとって、他人から頼られることは、悪い気がしないものです。(髙井p.50)

 髙井は「これはあくまで一例」(p.51)として、次のような「10回の働きかけ」を例示する。

  1. 後援会の入会資料(リーフレット)を郵送する。
  2. 候補者が訪問して後援会入会依頼や知人の紹介依頼をする。
  3. スタッフが架電して入会依頼・紹介依頼のダメ押しをする。
  4. 政策ビラを名宛てで郵送する。
  5. 街頭演説・駅頭演説を見せる。
  6. 後援会事務所開きの案内をする。
  7. 選挙運動用通常はがきを用いた知人紹介を依頼する。
  8. ボランティア等による協力を依頼する。
  9. 選挙事務所開設の案内をする。
  10. 選挙期間中に電話で投票依頼をする。(髙井p.51)

 そしてそのさいの注意ポイント。

ただ、一つ注意点が合って、それは、街頭や駅頭で姿を見せる場合を除き、すべて、その有権者に対して「名宛て」で行なうことが必要だということです。(同)

 共産党の場合はどうか。共産党は「後援会」をゆるく考えている。「後援会ニュースを読んでくれる人」(後援会ニュース読者)を、いわば「準後援会員」として扱っており、そこにファン度を高める働きかけをしていくのだ。よく飲食店とか美容室などで一見さんに対して、メールやラインのニュースの会員の登録をお願いするという、ハードルの低い入り口を用意するのに似ている。

 ここで、小さなことであるが「名宛て」をしている組織とそうでない組織がある。

 「名宛て」そのものはたぶん小さなことだろう。

 大事なことは、組織の側が、ニュース読者になった人を「個人」として認識し、それを尊重するような働きかけをする精神を持っているかどうかなのだ。「犬の赤ちゃんをもらったそうですね」とか「お孫さんは北海道で警察官をされているとか」のような認識。

 そして、よく読めば、髙井のいう「10回」の中には、明らかに「郵送」(名宛てポスティング)と書いてあるものが2項目あるし、電話と明記されているものも2項目ある。直接訪問を必須としているのは1項目だけである(2番目の項目)。

 京都の伏見地区の経験は直接訪問を3〜4回しているのだから、髙井のいう取り組みよりもひょっとしたらハードルが高いと言えるのかもしれないのだ。

 

 

 そして、その働きかけを早くしなければならない。

私が市議会議員選挙に初めて立候補することになった時は、いわゆる「落下傘候補」だったこともあり、選挙区内に個人的な人間関係がほとんどありませんでした。そこで、私に出馬要請した菅直人衆院議員の支持者宅を中心に挨拶廻りしました。その時、非常に多かった反応が、「ああ、菅直人さんのところから出るんですか。それならぜひ応援してあげたいところなんだけど、残念ながら、つい先日、地域の〇〇市議が挨拶に来られて、投票するって約束しちゃったのよ。あなたが先だったらよかったんだけど。ごめんなさいね。」というものでした。そういった場合の「地域の〇〇市議」たちは、政治的なスタンスが当時私が所属した政党「社会民主連合」や、菅直人議員とは全く違っていることがほとんどでした。(髙井p.47-48)

 ところが他方で、髙井はこんなことも言っている。

 2年も3年も前に行っても有権者は忘れてしまうし、その訪問自身を選挙と結びつけて考えられない。そして2年前に行っても忘れられて、1ヶ月前に来た別の候補の方が強く印象付けられる。だから「早ければ早いほどいい」というのは考えものだ、と。

有権者が特定の選挙の実施を意識するのは、どんなに早くても約一〇ヶ月前、「選挙があるぞ」という空気が地域社会に広がってくるのは、せいぜい二〜三ヶ月前のような気がします。(髙井p.27)

 統一地方選挙は来年の4月。半年あるからまだ十分間に合うというか、今から始めてちょうどいい。

 ただ、それは票をお願いする話。

 選挙を意識した活動そのものは1つの期である4年間ずっと行う必要がある。

 例えば2期目のジンクス。1期目は当選するが2期目は落ちる人が多い、というジンクスがあるのだが、髙井は新人を通そうという「新人期待層」がいて、新人にボーナスが与えられるのだと考え、2期目が難しい理由を次のように述べる。

この新人期待層は、常に議会の新陳代謝を期待しているので、ほとんどの場合、現職や元職の候補者には投票しないからです。ですから、初めての選挙で、運を天に任せるような戦い方をして幸い当選した場合、特に何もしなければ、確実に二期目の選挙でガクッと票を減らし、落選の憂き目を見る危険性があるのです。(髙井p.55)

 髙井はそこで2期目を目指す議員(あるいは一度通った現職議員全てに通じることだが)に何をやれというのか。

そこで絶対にやらなければならないことは、良質な名簿づくりです。なぜ名簿づくりが重要なのかというと、その名簿が、当選後(あるいは落選後)、次の選挙までの間にお付き合いする基本となるからです。(同)

そのため、選挙の際に反応がよかった人(=支持者)を名簿化し、その人たちに、定期的に活動レポートを郵送したり、活動報告会を開いたりして、関係性を維持するのです。そうして、日常的に頑張っている姿を見せれば、投票してくれた支持者は安心し、次回の選挙でも応援しようという気持ちになるのです。(髙井p.56)

 え? できてない?

 しょうがない。

 今からでもやるしかないだろ。

 共産党の人たちは、よくもわるくも「住民全体のことを考える」ので、例えば議会報告のチラシなどは住民全体に配布する。それはそれで重要な仕事だとは思うのだが、「名簿をきっかり整備してそれを日常的に増やし、常にファンサして耕す」という観点が薄い。

 昔は党員が若かったので、PTAだのサークルだの市民運動だのにつながりがあった。それが意識的にか自然成長的にか、支持者のリストになっていた。しかし、高齢化するとそういうつながりが次第に弱くなっていってしまう。

 だからこそ意識化して名簿にしなければならなくなるのだろう。

 

 だが、名簿は自然には増えていかない。

 この名簿を増やす方策については髙井は何も書いていない。

 どうしたらいいのか。

 それは、政党や議員が住民のために何かしらの働きかけを行った時に、住民とのつながりができるわけで、外に対しての働きかけ、つまり住民の要求を取り上げた時以外にはなかなか増えようがない(無差別の電話などでたまたま潜在的な支持者を見つけることはあるだろうが)。

 共産党においては、第6回中央委員会総会が次のように提起している。

●すべての支部が、12月末までを一つの節にして、国政問題とともに、身近な住民要求・地域要求にもとづく運動にとりくみ、地方議員団・候補者と協力して、その実現のために力をつくします。

 まあそれしかないだろうなと思う。

 しかし、政治運動にハマっている身からすれば、実は要求を実現させるための社会運動をやっていろんな人と出会うことこそ、政治をやる醍醐味であって、このプロセスは活動を面白くさせることができるはずのものなのだ。

 …と、そんなことをいろいろ考えさせてくれる本であった。

松田舞『ひかるイン・ザ・ライト!』3

 中学生がオーディションを受けアイドルをめざす物語、松田舞『ひかるイン・ザ・ライト!』は、ぼくの最近のお気に入りである。

 なんども見返す。

 それは好きなコマが多いからである。

 

 主人公と同じ地元で年上の友人であり、かつアイドル経験者でもある西川蘭。

 蘭の所属するオーディションのチームは、本番直前、ガチガチに緊張してしまう。そのとき、同じように緊張しているはずの蘭は、リーダーであることを思い出し、自覚を取り戻して、みんなを励ます。

松田舞『ひかるイン・ザ・ライト!』3、双葉社kindle版109/185

 この時の、髪をかき上げながらみんなを励ましている蘭の顔と、「こーんなに可愛くしてもらって」というセリフのくだりがとても印象的で頭から離れない。

 蘭は一旦みんなの不安をすべて口にして見せてその不安に寄り添う。しかし不安を全て言い表すことでそれを簡潔に客観視させる。その上で、この笑顔で今の自分たちのプラス面を再度冷静に見つめさせ、最後は「だって曲が終わる頃には——見てる人全員 私たちのファンになっているんだから」とそのプラス材料の中に潜在していた自信を引きずり出して理想として展開してみせる。それはそのままメンバーにとっての最高の暗示となる。

 空虚な言い張りではなく、昨日まであった練習での根拠を再開花させるのである。

 蘭たちの歌い踊る℃-ute 『羨んじゃう』、ひかるたちの歌い踊る三浦大知 「The Answer」など横で流しつつ、そんなくだりを読む楽しさよ。

 

 

 そんな蘭はダンスも歌もそつなくこなす。しかしオーディションを取り仕切るプロデューサーの審査員に「器用貧乏ちゃん」とあだ名をつけられてしまう。

 蘭は審査員に実力を認めてもらうことに必死で、パフォーマンスの精度を上げようとする。しかし、アイドルにとって大事なことは「その場にいる全員を虜にして忘れられなくしてやる」と思うこと、あるいは、たった一人の人であっても自分を見て、自分が歌って踊っていることを楽しんでくれているなら、その人のために届けようとすることだと思い出す。

 前のアイドルグループに所属していた時、後列で大勢の中で踊る自分が客席から見えているだろうかと不安に思いつつ、客席に「らん」という自分を応援してくれるうちわをもつファンを見つけた時

あの瞬間思ったじゃん

私が歌って踊ることで

たった一人でも

喜んでくれる人の存在を

知ってしまったら

 

こんなに楽しいこと

一生やめられないって

 

と感じたのだ。

 (年齢にふさわしく)ぼくは小泉今日子の「なんてったってアイドル」の「アイドルは やめられない」という歌詞をなんとなく思い出した。

 見てくれている人がいるからアイドルは心の底から楽しんで笑えるのだ——それがアイドルのパフォーマンスの核心であるのだから、パフォーマンスの精度を上げること自体に目的が向かってしまうことは本質を忘れて技術に走ることとなり、それが「器用貧乏」の批判を生んでいるのだと蘭は気づく。

 本作では、見てくれている人を意識したコミュニケーションであり、「見てくれている人との関係」にこそアイドルの本質があると見る。

 主人公・ひかるが、歌を「人に届ける」という歌い方を知って、その端緒をステージで味わうシーンも3巻にある。そのとき、ひかるはもしもっと遠くにまで届かせることができたら「どんなに気持ちいいだろう」とその快楽を知ってしまう。

 それも同じことだろう。

 

 ぼくはもちろんアイドル志望ではない。

 だが、ちょっと思い当たるフシがあった。

 候補者をやって演説をしたり、インタビューに答えたりしたときに、自分の言葉に反応してくれるオーディエンス、取材陣に対して、自分の中の快楽度が上がっていき、そのことによってますます自分のパフォーマンスが上がっていくような一種の万能感を覚えた。

 いつもは自信がないような、おどおどしたはずの人格なのに、まるで別人のようになり、しかも自分判定であるけども性能がどんどん向上していく気がする。すごい。どこまで自分は行ってしまうんだ、みたいな。それが驚きであり、楽しみでもある。(いや、客観的にどんなひどい出来かもしれないんだけど、そう思っちゃうわけだよ。)

 かつてぼくは、演説をライブに喩えたことがあるけども、そういう感覚が抜けないのだ。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 当然であるが、候補者というのは当選したら議員や首長になるのであって、職業的政治家になれば演説やインタビューだけやっていればいいというものではない。それは政治家稼業のごく一部にすぎない。

 そのことは承知の上で、「見ている人」との関係で自分がゾクゾクしてしまう感情を持ったことは否定できない。

 自分が見てくれている人を意識し、見てくれている人の反応が自分に反作用して自分をまた変えてしまうのである。そのインタラクティブな関係が「アイドルは、やめられない」という快楽を生み出すのだろう。

 そんな勝手な空想をしながら、ひかるや蘭の脳内で生じる妖しく、抗いがたい耽溺のことを想像して本作を読んでいる。

 ひかるが自分の目標を聞かれ「スーパースターになることです」と答えるのは、ホラでもなんでもないのだ。そして、作中でプロデューサーが言うように、そういう世界で自分の才能を限界などを「冷静」に見ずに、圧倒的格上の存在に挑戦し続けてしまう「真っ直ぐなバカ」こそが栄冠をつかめるのだ、と、ぼく自身に起きた、短い期間での小さな変化を思い出してしみじみと納得するのである。

 

 そして、松田舞の前作『錦糸町ナイトサバイブ』も続けて楽しんでいる始末だ。主に歯科マンガとして。