川崎昌平『売れないマンガ家の貧しくない生活』、木村イマ『シュガーレス・シュガー』1

 ネットで川崎昌平『売れないマンガ家の貧しくない生活』を読んでいるつれあいは、マンガ家の妻の視点でマンガ家自身がマンガ家のことを描くというこの作品の奇妙さを口にしていた。

 

 

 作品の中の話題が、マンガ家の本業労働(編集者)、副業としてのマンガだけでなく、家庭生活や家事とのバランス、最終的には出産・育児という大仕事にまで及ぶために、その広いフィールドを客観的に見て語る視点がほしかったのだろうと思うが、確かに奇妙ではあり、可笑しみがある。客観視するとはそういうことなのだろうけど。

 川崎はマンガ家としては売れていないが、「貧しくない生活」をしている。マンガ家を副業*1にしている、つまり兼業マンガ家だからである。本業の収入があるために、マンガ家としての生活に精神的な余裕があり、それがマンガ家の創作にもいい影響を与え、さらに本業にも反射があるというのである。いわば本書は「兼業マンガ家のススメ」のようなものだ。もちろん、専業マンガ家を否定しているのではなく、「兼業マンガ家という生き方もあって、それは結構素晴らしいものですよ」という賛歌である。

売れないマンガ家だからこそ自由につくれる!

と川崎は高らかに宣言する。

 またこうも言う。

オレは兼業マンガ家だから、マンガ家の収入でメシが食えなきゃいけないわけじゃない。つくることが楽しいかどうか、それだけだよ

「会社からのお給料のおかげでなんとかマンガ家を続けていられるわけだし」

マンガ家としての収入は会社員としての給与所得があるから精神的に余裕をもってマンガ家をやれている——夫はそう語ります

 川崎よりさらに、そしてはるかに少ない副収入を得ている「売れないモノ書き」であるぼくはこれらの点に深く共感する。

 もう一つの「仕事」があり、それに打ち込んでいるということは、精神のバランスを取る上でなんと重要なことだろうか。

 ぼくの場合は、仕事でダメであったとしても、あるいはあまり役に立った仕事ができていないと思った時でも、いつもでモノを書く仕事のことの方に思いをいたし「でも自分はモノを書いて自信が持てている」とすぐにその軸をスイッチできる。そして、本業が存在することでモノを書くことを安心して続けられる。

 他方でモノ書きの仕事があることで、本業の方でどれだけひどいことを言われたりされたりしても精神的に余裕ができる。「どうしても嫌ならやめてしまえばいい」と思っているのである。もちろんモノ書きだけで生きていくことは少なくともぼくの場合厳しい。にもかかわらずなぜかそのようなゆとりが生まれるのである。

 兼業というものがこれほど心にゆとりを生むのか、とぼくは痛感している。

 共産主義の目的は多くの自由時間をつくりだし、人間の全面発達を勝ち取ることで人間を解放することである。

各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるというようになり、狩人、漁師、牧人、あるいは批評家になることなしに、私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批評をするということができるようになる。(マルクス・エンゲルスドイツ・イデオロギー』)

 マルクスはこの初期の見地をのちに修正したというのだけども、自由時間でいろんな人間の能力を発達させるという見地は変わっていまい。

 副業(兼業)の世界は、実は共産主義の世界を垣間見せてくれる、その第一歩である。

 娘が小学生だったとき、自分の職業紹介をしてくれる人がいないか、学校が保護者全員に照会をかけていたけども、ぼくは手をあげたいなと思っていた。

 それは本業について語りたかったのではなく、「副業としてモノを書いて収入を得ている」という職業選択を小学生に語りたかったのである。当時(数年前だが)、娘の小学校の「なりたい職業」欄には「YouTuber」がかなり上位に来ていた。「プロゲーマー」も多かった。しかし肝心のキャリア教育の方は「好きなことをやってそれを副業としてやってみる」という選択肢は示されないままであった。これは何としても、と思ったものだったが、残念ながら、目立つことを嫌がる娘が頑強に反対したのでこの応募をあきらめた。

 

 さて、この川崎の本の中に、売れないマンガ家を続けるコツとして「『わかりやすさ』と距離を置くこと」というテーゼが示されている。

 わかりやすさはある方向への偏り(偏向)かもしれないし、もっと深く考えられる主題を浅くしてしまっている危険をはらんでいるのかもしれない、と川崎は警戒するのだ。

わかりやすい表現はマンガ家の寿命を縮める

とまで言う。

 『ブルーピリオド』12で主人公が興味を抱いたアートコレクティブのリーダーのアジテーションが「わかりやすく」、主人公が「シンプルな存在になれる」と感じてしまうその危険な魅力を描いていたことをぼくは紹介した。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 わかりやすくしたい、というのはぼくの基本的欲求であるので、このテーゼはむしろぼくと対立する。しかし、言いたいことはわかる。物事はそれほど単純ではないのである。しかし、その単純でなさが多くの人を問題から遠ざけてしまっているのであればやはりわかりやすくすることには大義がある。

 だが、ここではあえてこの川崎のテーゼを考えてみたい。

 最近そのことを感じたのは、木村イマ『シュガーレス・シュガー』1を読んだ時であった。

 

 

 昔は小説に応募して入選したこともあり作家にもなりたかった平凡な主婦・柴田業(しばた・ごう)は新進気鋭のSF作家・弦巻融(つるまき・とおる)と喫茶店で知り合う。弦巻との交流に刺激を受けてモノを書くことに目覚めるが、そこにのめり込む様子を見て柴田の夫は不安を感じる。夫のいる妻の行動としておかしくないか? 昼間の主婦に行動として逸脱してはいないか? と疑問をぶつけるのである。

結婚している女性が家族でもない男と会っていたらおかしいでしょ

 柴田はキレる。夫は自分の書いた小説をロクに読みもしない、つまり自分そのものに何の興味も示さなくなっているくせに、妻や母や主婦としての役割だけを形式的に求めようとするからである。

結婚して子供がいても私だよ!!

母親やって妻やってもも私は私だよ

役割のために生きてるんじゃない

 泣きながら飛び出して、しかしすぐに柴田は反省をする。

女性の一生を乗りこなすのは容易い

女性というパッケージに妻というパッケージ 親というパッケージ それさえ用意できれば主体性などなくても乗りこなしていける

SNSに以前投稿した小賢しい自分の一文を読み直しつつ

何をのぼせているんだろうか

今までパッケージに頼って生きてきたのは私じゃないか

自己批判をするのだ。

帰りたくない…

このまま全部やり直したい

 しかしこのような「役割」を破壊したくなる衝動はあっても、そんなに単純に「役割」という檻を壊せるものではない。

 柴田は結局「役割」に戻っていこうとする。

 だが、それを壊そうとする衝動は常に自分の中に蓄積していく。

 「役割」を壊そうとする「私」たらんとする衝動と矛盾は解決していない。一体この矛盾とどう折り合いをつけるのか、と不安に満ちた展開を示して1巻は閉じられる。

 一体どうする気なんだ、と思う。

 その「わかりにくさ」がこの作品の矛盾に満ちた推進力になっている。

 

*1:川崎に言わせれば「会社員」の方が副業なのだが。

「週刊ポスト」6月24日号でコメントしました

 「週刊ポスト」2022年6月24日号で「夫婦で『やめる』と幸せになる111の秘訣」特集のうち「ほんとに面倒な人間関係10と『距離を取る』『縁を切る』これが正解!」の章(すごいタイトル…)で、『“町内会”は義務ですか?』の著者としてコメントしました。

 町内会関係の本を出していることから、なぜかリタイア後の人間関係の「断捨離」という角度からのコメントを求められることがしばしばあります。

 これだけ繰り返し特集が組まれるのは、本当にみんな悩んでいるということですね。

 「町内会」という角度とは全く別に、リタイアと引越しを一体にして、それまでのしがらみを一気に断ち切ってしまうという「リセット」をやる人をけっこう見てきました。その条件さえあればこれが一番効くとは思いますね。

 人間関係の断捨離ができないのは、現存する人間関係との間で軋轢やストレスなしにそれを解消したいというのがいちばんの欲求であって、だからこそ「しがらみ」なわけです。軋轢が怖くない人は、堂々と町内会も退会するし、地域団体などの不要な「役」も遠慮なく断るでしょう。そういうきっぱりした選択ができない人は、フェードアウトするしかない。

 その上で、引越しは「まあ引越しじゃしょうがないね」というわけで、円満に「断捨離」できる最強の武器です。しかしこれをやれる条件のある人は本当に少ないですよね。家や土地なんぞ持っていたら、なかなか難しい。

 

 

 ところで、この号には「参院選大予測」として各党の議席予想が載っています。

 個人的には共産党議席予想が気になるわけですが、「どうしてこういう数字になるんだ?」と不思議な気持ちです。

 

 

 

唐鎌直義「高齢者の貧困と社会保障緊縮政策」

 「前衛」2022年7月号の唐鎌直義「高齢者の貧困と社会保障緊縮政策」を読む。

 

 

 何と言ってもこの表である。

「前衛」2022.7より

 高齢者の全体の貧困率が26%で、日本全体では15%くらいだから、トンデモなく高いことがわかる。

 しかし「高齢者」といってもいろいろだ。

 そこで世帯状況で分けると、さらに解像度が上がる。

 女性の単独世帯の貧困率は53.5%と群を抜いている。世帯の絶対数も256万人いて、世帯数としては高齢世帯の中では最も多いグループである(人口では「高齢夫婦のみ世帯」よりもわずかに少ない)。

 男性の単独世帯の貧困率も37.1%と高い。

 唐鎌はこう述べる。

公的年金制度等の社会保障制度が存在する先進工業国で、これほどまでに高齢者の貧困が放置されている国は日本だけであろう。(同誌p.176)

 生活保護を受給しているのは、高齢世帯全体の13%であり、87%は漏れている。

 ここでも唐鎌は、

漏救率がこれほど高い先進工業国は日本以外には存在しない。(同p.177)

と辛辣である。

 貧困率が非常に低いのは三世代世帯だ。つまり子どもや孫に引き取られて暮らしている高齢者は貧困に陥っていない。このことを踏まえて唐鎌は、

日本の年金制度は個人単位の支給制度でありながらも、すべての高齢者個人を守り切ることはできておらず、世代的再生産の「順調」な世帯にいる高齢者の老後を保障するに足る性格のものでしかないことが判明する。「家」の順調な存続に組み込まれた高齢者は貧困に陥りにくいということである。…日本の現行公的年金制度は依然として「家」と「家族」の存続を前提とする家族内扶養の優越という後進性を色濃く反映した制度なのではないか。(同p.179)

と指摘する。子どもがどのようなライフスタイルを送るか、あるいは親がどういう生活を送るかを自由にさせてくれない。子どもが親の面倒を見る、という前提で年金が組まれている。

 早い話、年金が少なすぎるのである。

 特に単身で生きようと思えば年金だけで生活することはできない。

 唐鎌はこの後、総務省の「家計調査年報」のデータを使って、収支差をえぐり出していく。

 高齢単身無職世帯では、実収入を100として家計赤字率は13.6にもなる。収入はほとんど社会保障給付、つまり年金しかない。

公的年金給付に若干の資産収入や仕送り金を足した実収入では毎月の生活を送ることができない現状が示されている。…預貯金の取り崩しやクレジット購入による支払いの先送り、借金等でやり繰りしなければならない単身高齢者の金銭事情が窺える。(同p.180)

 高齢夫婦無職世帯も同じようなものなのだが、次のような特徴を挙げている。

しかし最も大きく異なる点は、可処分所得の対実収入比が高齢単身無職世帯よりも一段と低い点である。これは高齢夫婦無職世帯に課せられている非消費支出(公租公課負担)がかなり重いことを物語っている。…年収二七〇万前後の無職の高齢夫婦世帯に一五%近い税・社会保険料負担を課し、その可処分所得を保護基準スレスレ(年収二二六万円)にまで低下させることは、高齢者政策として理にかなうことであろうか。「世代間の公平」を政策の指針に置くあまり、高齢者世帯への風当たりを強くしすぎているのではないか。(同p.182)

 自民・公明政権は「全世代型社会保障」などと称してあたかも従来の社会保障が高齢者に手厚かったかのような印象を振りまいているが、高齢者にも若者にも冷たかっただけなのである。唐鎌の指摘するように、世代間の負担と給付の問題にすり替えることで、社会保障に対する国家および企業の負担責任というテーマは消えてなくなってしまう。

 高齢者と現役・若者世代との間に分断を持ち込む企てを許さず、本当の意味での全世代にわたる普遍的なベーシックサービスをつくらせることが必要だ。例えば居住で言えば公的住宅建設、家賃補助、住宅手当の支給などである。

 とはいえ、「年金」はすべての世代がやがて通る道ではある。

 「働けばいいじゃん」という戦慄すべき「対案」も聞こえてくるが、75歳の後期高齢者にさらなる就労を促すことは地獄のような選択肢というほかない。「高齢者就労促進政策は、政府の年金原資の節約に利用されている」(唐鎌p.178)。

 

やはり老後は、公的年金だけで「望ましい生活」を送れるようにすることが年金政策の基本に据えられなければならない。ゴールなき就労は高齢者の心身を荒廃させる。…高齢になればなるほど就労機会は乏しくなっていく現実を踏まえるならば、後期高齢者の貧困は就労促進政策では防止できない。後期高齢者加給年金」のような仕組みを新たに導入するよりほか、単身後期高齢者の貧困を防止する手立てはない。(同前)

 

余談

 唐鎌論文を読んでいて、2点ほど気がついたことを。と言っても単なるメモのようなものだが。

 一つは、高齢単身無職世帯の持ち家率がおかしいという話。家計調査では2002年から2019年までに持ち家率が72%から84%まで急上昇しているのだが、そのような事情はその間なかった。調査対象が単に相対的に余裕のある層に偏ってきているのではないかという疑惑だ。現に、「高齢社会白書」(内閣府)の方の調査では高齢単身者の持ち家率は65%であり、18ポイントも開きがあるのだ。統計をいじっているのではないか? と疑いたくなる。

 もう一つは、唐鎌が紹介している本、ロバート&エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』(ちくま学芸文庫)は大変面白そうであり、すぐに買った。どこかで感想を書きたいと思う。

 

 

 

 

山口つばさ『ブルーピリオド』12

 左翼運動、というか理想を掲げる社会運動にハマる理由の一つは、「たまり場」じゃないか、と1980年代に青春を過ごしたオールド左翼のぼくとしては力説したいところである(以下、年寄りの昔話っぽくなるのだが、そこはご勘弁願いたい)。

 大学のサークルボックス(サークル部室・サークル部屋)や自治寮の部屋はその典型だ。高校までは見たことがないようなユニークな面々がいつ行ってもくだを巻いている。そういう中で尊敬すべき先輩とか同級生を見出して、こんな本があるんだぜとか教えられてうかうかと読んでしまうのである。

 カリスマっぽい先輩でもいようものなら、その空間の虜だ。

 何気にしゃべること、語ることがいちいち眩しい。

 すげえ。面白え。こんな人がいるんだ。

 美大生の物語『ブルーピリオド』は12巻で主人公・矢口八虎(やぐちやとら)が反権威主義芸術集団「ノーマークス」のたまり場に行くことになり、その魅力にハマってしまうが、そのハマりように、ぼくは既視感ありまくりだった。

 

 

 八虎は「たまり場」の居場所感を、はじめ「新興宗教」「マルチ」「ルームシェア」などのワードで解釈しようとする。警戒しているのだ。もちろん、それらの要素が一定含まれていることをぼくも否定しない。「ハマって居着く」ということの心地よさが共通しているからこそ、中毒になる。

 入り口として大事なことは、親密であること。それなのに、閉鎖性がない。開かれていること。ここがとても大切である。

 「ノーマークス」の事務所は、「誰でも出入り自由な場所」を掲げているが、これを実践することは実は至難である。

 

 知らない近所の小さな飲み屋に入って行ったとき、一瞬談笑が途切れ、そこにいる常連が一斉にこちらを見る。気まずい空気が流れ、店の人が取り繕うように、新参のぼくに話しかける……というような、「親密であるが閉鎖的な空間」は逆にいたたまれない。そして親密であることは、その親密性を維持するために、よほど注意していなければ閉鎖し排除をともなってしまう。

 

 だが、「ノーマークス」はそうではない。

 作業を手伝いながら八虎がうっかり終電を逃して「ノーマークス」の事務所に泊まることになるのだが、常連メンバーの態度は開かれている。

 午前1時のうますぎる手作りカレーを食べ、寝床に入る頃に八虎は思う。

なんか

俺 昔からここに住んでるみたいに

みんな優しすぎるなあ…

 もちろん理想をかかげる芸術集団であるからトガった人はいる。トガっている人は毒を吐くけども、それを補う優しさや気さくさがあったり、他方で、毒を吐いた時に、他の人(ここではリーダー)が自然に・やさしくたしなめる。

 

 そして何よりも魅力的なのが、代表である不二桐緒(ふじきりお)である。ソファーに寝そべって気だるそうにしているのが常態だが、話しかけて喋らせたときに不思議な魅力がある。

 八虎とフジの間で美術館論議になる。

 フジは美術館がもつ権威性がアートの鑑賞にとって邪魔になっていることを平易な言葉で説く。そのうえでアートが時代の中で生まれてきたことをざっくりとした歴史において語り、アートが生活の中に置かれなければならないという理念を語る。

 「ノーマークス」の理念にとって最も本質的なことなのだろうが、それを大上段な演説ではなく、しかし、歴史を人に沿うように語ることで八虎の意識を変えてしまう。

 フジとの対話を終えた後、ソファーから手を振るフジを見ながら八虎は思う。

この人と話していると

自分がシンプルな存在になれたような気がする…

 複雑さをそぎ落として本質をつかんだ瞬間だとも言えるし、逆に世界の多様性を切り捨ててしまい、アジられてオルグされた危険な瞬間だとも言える。しかし、これは社会運動に出会う人間にとってとても大切な瞬間だ。正直、この瞬間の快楽にぼくは抗えない。

 レーニンは、経済要求を取り上げて闘争するだけでは単なる労働組合の活動家でしかない、として、それとは違う理想的な共産主義者(当時は「社会民主主義者」とレーニンは言っていた)のスタイルを次のように語っている。

社会民主主義者の理想は、労働組合の書記ではなくて、どこでおこなわれたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴力と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ…る人民の護民官でなければならない(「レーニン10巻選集」2巻、大月書店、p.82)

 「一つの絵図にまとめあげる」。世界に起こる事象を、自らの世界観の体系のここ・そこに位置づけることが共産主義者の任務なのである。眼前に広がっている事件や闘争が、自分たちがすすめる世界変革にとってどのような位置を占めているのかを語ってこそ、宣伝・扇動は果たされる(日本共産党が「綱領を学び、語る」ことを強調するのは、単に共産党を知ってほしいというにとどまらず、本当はこのような意味からであろう)。

 フジがやっていることはまさにこれであろう。

 展示場所に美術館ではなくDJブースを選んだことについての八虎の小さな驚きや違和感をすくい上げて、アートの歴史を「ざっくり」語り、結論としての美術館の権威性が歴史的なものにすぎないことを批判するフジは、まさしく「ありとあらゆる現れに反応」し、「一つの絵図にまとめあげる」ことをやってのけている。

 それを、人に沿うように。

物質的な力は物質的な力によってたおされなければならない。しかし理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えかけるように論証をおこなうときであり、理論が人に訴えかけるように論証するようになるのは、それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである。(マルクスヘーゲル法哲学批判序説」)

 今まさに八虎はラディカル=根本的になろうとしているのだ。

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 そして、(おそらく)異性愛者であろう八虎にとって、フジが異性(女性)であることの性的な魅力がここに加わっていることは否定できまい。

 長い髪。大きな胸。頭髪の刈り上げを見せてそれを触らせる仕草。横から手を差し出して八虎の手に触れながら八虎のカレーのスプーンを自分の口に運ぶ「だらしのなさ」。

 そして、八虎の素直な感想にこの表情。

山口つばさ『ブルーピリオド』12、講談社、kindle131/196

 女性を何でもかんでも性的な存在としてみるのはどうかと思うよ、と批判されるかもしれないが、ぼくは性的な存在としてのフジを意識せずにはいられない。ぼくから見てものすごくフジは性的な魅力に溢れている。これは…これは居着いてしまうわ。

 

 作者が今後この集団をどのように描くかはわからない。たぶん最終的には批判的に描くんじゃないかと思うんだけど、この巻までで描かれたこの芸術集団のたまり場としての危険なほどの魅力はぼくには十二分に伝わった。つうか、ここに行きてえ。

  

 

中北浩爾『日本共産党』

 中北浩爾『日本共産党 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を読了。細かい評価は別にして「本としてどういう印象を持ったか」をざっくり書いておきたい。

 組織構造や政策などを論評するという「ヨコの軸」での本ではなく、100年の歴史を振り返ることで「日本共産党」という政党を論じる「タテの軸」での本である。

 日本共産党は世界的にみて資本主義国では共産党という名前の政党が極端に小さくなったり消滅する中で「かなりの踏ん張りをみせている」(p.24)という評価をしている。

 そのような「かなりの踏ん張り」はなにゆえ生じているかをみたときに、一言で言えばソ連や中国の影響を脱して、「宮本路線」、つまり1961年に現在の原型となる綱領を確定し、指導者であった宮本顕治が率いてきた自主独立の路線によるものだと、中北は考えているのである。くわえて中北は、武力闘争(暴力革命)路線を完全に捨てて、「平和革命路線」に変化したことをもう一つの重要な共産党の変化だとしている。自主独立と平和革命——この2点を資本主義国に適合した政党に変わる上での重要な変化だと見ているのである。

 現在の路線はこの「宮本路線」の延長であり、その遺産で食べていると見る。だから逆に言えば、この路線の延長ではさまざまな限界があるのだとも見ている。したがって中北は今後日本共産党が生き残って発展していくためにさらなる変化の方向を示している。それは2つの道なのであるが、どんな方向を用意しているかは本書を具体的に読むべきであろう。

 自主独立の「宮本路線」が生まれてくる前史として、戦前の未熟な活動、およびソ連・中国に振り回された戦後初期の歴史が対比される(1章と2章)。

 もちろん、日本共産党としてはこの部分はとりわけ反論したくなるものばかりに違いない。

 ただ、日本共産党の綱領においても例えば戦前の活動を

党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。

と叙述し、不破哲三でさえ、戦前の党史については

いまから見たら考えられないような間違いをおかした歴史もありました。(不破『日本共産党史を語る 上』p.34)

と述べており、中北の1章(戦前史)の叙述は、その部分を中北流に徹底的に拡大したものだとも言える。

 そして2章における、戦後当初のソ連や中国への「従属」ぶりについては、不破も体験的に次のように書いている。*1

ソ連覇権主義の問題は、私たちの現在の認識であって、当時の私たちは、ソ連スターリンにたいするその種の見方は、一かけらも持っていなかった、ということです。

 レーニンがつくった党で、その後継者であるスターリンが先頭にたち、世界大戦でヒトラー・ドイツを撃破して反ファシズムの戦線を勝利にみちびいた、その時、連合国の一員だったアメリカが反動の側に転じた時に——そのことは、日本の占領政策の変質で、私たちが日々身をもって体験していたことでした——、世界政治の舞台で平和と民主主義の陣営の大黒柱として頑張っている、これが、ソ連にたいする私の当時の見方で、おそらくこの点は、日本の共産党員の多くが共有していた見方だった、と思います。(不破前掲p.190)

全体としてスターリンへの信頼は絶大で、こういう人物が間違うはずはない、と本気で思っていたものです。(不破前掲p.191)

 1章・2章はこうした部分の中北による拡大辞であって、日本共産党としては反論したいことはいっぱいあろうが、まったくの「根も葉もないデタラメ」ではない。

 それにしても1章の戦前の未熟きわまる活動の叙述、2章のソ連・中国に振り回されついには武装闘争にのめり込んで壊滅的な打撃を受ける叙述は、それが深刻であればあるほど61年綱領を確定してからの自主独立路線がいよいよ光るとは思うのだが、1章・2章の「日本共産党ダメっぷり」の叙述は胸が悪くなるほどなので、熱烈な共産党ファンとか最近共産党に入ったばかりの人は耐えられないかもしれない。(逆に言えば3章3節以後は「ぼくらがよく知っている日本共産党」である。)

 

 まとめるけど、

  1. 日本共産党は自主独立・平和革命の「宮本路線」によって先進資本主義国の共産党として飛躍し、現在もその遺産で食べている。しかしそろそろその遺産は尽きつつつあり、生き残りと飛躍のためにはさらなる発展が必要だ。
  2. このような自主独立・平和革命の「宮本路線」が生まれるまで、戦前の未熟極まる活動と中ソに振り回されてついには暴力革命をふりまわすに至る苦い戦後史をもっている。

というのが中北が描く「共産党の100年」なわけだ。

 

 日本共産党としては公式にはこの本のあれこれにいろいろ反論はしたくなるとは思う。それは仕方がない。ただ、1.と2.のような骨格として本書をまとめてみれば、一つの見識、フェアな見方ではないかとぼくは思うのだがどうだろうか。

 2.の記述にイライラしてしまうかもしれないが、2.の酷さを脱却して、1.が非常に高く評価されているとみることもできるのだ。

 中北の言っていることの枝葉末節ではなく、その核心を取り出して耳を傾け、中北の主張のコアの部分と「対話」を行って、真摯な回答をしてみる——というような対応を日本共産党には期待したいところである。

 

 余談であるが、ここで書かれた歴史の中で、

  • 野坂参三ソ連のスパイではないよ。
  • 「人民的議会主義」方針の採用は、平和革命路線において、けっこう大事な発展じゃねーのか。

という2点は注目した。

 人民的議会主義は、議会の内部で全てを考えて完結させてしまう「ブルジョア議会主義」でもなく、かと言って議会を軽視する「暴力革命」路線でもない、共産党独自の議会に臨むスタンスである。国会・議会の外の社会運動と結びついて政治を動かす(改良と政権獲得)という点にエッセンスがあり、国会でも地方議会でも、日本共産党に寄せられている信頼の多くはこの方針に基づいているもので、ここへの着目は慧眼である。

 詳しくは別の機会に。

 

 

 

 

*1:ネットなどで、この時代の「アカハタ」とかの記事を貼って「ほうら日本共産党は実はソ連スターリン万歳だったんだぞ」と言っている人がいるが、まあなんと言おうか、別に日本共産党もそのことは公式に認めているのである。

「わが青春つきるとも」のトークイベントに出演しました

 映画「わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯」の神戸でのトークイベントに出演させていただきました。(伊藤千代子は戦前の共産党員で、天皇制権力の弾圧により若くして獄中で亡くなりました。その映画化です)

 

 声をかけてくださった民青同盟兵庫県委員会の皆さんに感謝します。なんかぼくが同人誌で書いた小説(ドリン・ドリン!)まで手に入れて読んで面白がっていただいて、感激しました。

 

 初対面であったワタナベ・コウさんと対談しました。

 会場からどう見えていたかわかりませんが、ぼくは「シロウト代表」として、この映画の感想・コメントとしてはけっこうチャレンジングなというか「異端」的な発言をして、制作にも深く関わってきたワタナベさんがそれを大きく包み込むように受けていただく感じで進行しました。だから、個人的には緊張感のあるトークになっていたと感じます。

 例えば、ぼくはこういうツイートをしていますが、これはそのまま話しました。

 「前半が粗いのでは」というのは挑発的な発言のようにも思えますし、後半についても、「伊藤千代子の不屈の意志こそが我々が受け継ぐべきものだし、そこに映画のポイントもある」というのがオーソドックスな解釈ではないかと思います。つまり前向きな光の部分です。

 しかし、ぼくはこの映画のポイントを暗黒の部分の方に力点を置いて感想として述べました。

 これに対するワタナベさんの返しはどうだったか——。

 

 また、会場で若い方4人と年配の方1人が感想を発言されましたが、若い人たちは総じて弾圧の激しさと、「自分はとても伊藤のようにできないのではないか」という「ためらい」を口にされていたように感じました。他方で年配の方は「不屈性」に着目しそこをまっすぐに称賛するコメントをされていました。

 聴きながら、やはり若い人と年配の方ではこの「不屈性」に対して受け止めが違うのではないかという一つの確信のようなもの得ました。

 確かに伊藤は不屈でした。

 しかし、伊藤があまり期間をおかずに獄死してしまった事情と、比較されているのはどうしても変節した夫の浅野晃ですが、そこだけで「不屈」さをはかっていいのか、はかれるのだろうか、という思いがぼくにはありました(例えば宮本顕治徳田球一のように長い間獄中非転向を貫いた人の場合には成り立つのではないかと思うのです)。そしてその「不屈」の強調が若い人たちには「とても私にはできない」という思いだけを与えないかという迷いもありました。

 そういうあたりを迷いも含めてコメントしました。

 それにワタナベさんはどういうコメントをされたでしょうか?

 

 ひるがえって、では伊藤千代子から何か学ぶべき点があるのか、ということについては、ぼくはすでにワタナベ・コウさんのマンガの感想のところで書いたように「全体性」について発言しました。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 この点はむしろ映画ではなく、マンガや藤田廣登『時代の証言者 伊藤千代子 増補新版』(学習の友社)などから得た思いでした。(いや、映画にもその一端はもちろん出てくるわけですが…。)

 

 最近読んだ中北浩爾『日本共産党』(中公新書)の中に戦前の共産党が大きな知的影響力があったことの解説に次のくだりがあります。

マルクス主義が持つ最大の魅力は、政治・経済・社会はもちろん、歴史や軍事や科学に至る理論的な体系性であり、明快な現状認識と将来に向けての実践的な指針を与えることにある。(中北p.98)

 丸山真男も戦前のマルクス主義の魅力を次のように書いています。

マルクス主義が社会科学を一手に代表したという事は…第一に日本の知識世界はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか経済とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連づけて綜合的に考察する方法を学び、また歴史による個別的な事実の確定あるいは指導的な人物の栄枯盛衰をとらえるだけではなくて、多様な歴史的事象の背後にあってこれを動かしていく基本的導因を追求するという課題を学んだ。こういう綜合社会科学や構造的な歴史学の観点は、…知的世界からいつか失われてしまったのである。マルクス主義の一つの大きな学問的魅力はここにあった。(丸山『日本の思想』p.55-56)

 つまりマルクス主義は世界を一つの体系に落とし込み、生きる方向や実践の指針までをそこから導くというトータルな世界観として示され、また、新しく起きてくる事実や課題をその体系=世界の中に位置付けていく(当然その場合に世界像そのものも修正されていく)という、人の心を鷲掴みにする全体性を備えています。

 不破哲三は、ソ連が崩壊したころに「あなたにとって共産主義とは」とインタビューで聞かれ「世界観です」と答えていますが、それは言い得て妙だと思います。

 

 伊藤の中で理論を学ぶことと、実践の距離が極めて近く、おそらくトータルな世界観として鍛え上げられていくプロセス、面白さを伊藤は(そして戦前の共産党員の多くは)味わっていたのではないかと推察しました。

 いまぼくのなかでは、こういうものがともすればバラバラになってしまいがちです。その全体性を備えている、生きた理論として伊藤が学んでいたという姿勢を、ぼくらはもう少し学び取った方がいいなと思っていたのです。

 これについてワタナベさんはどう答えたでしょう?

 

 さらに、映画の筋に絡めて言えば、

(1)学費を山本懸蔵の選挙に使うシーンで伊藤は泣き通しだったのか、それとも意志的に自分で選択して選挙費用に当てたのか

(2)拘禁性精神病になってからの伊藤が回復し、意志的な姿を一瞬でも取り戻したかどうか

などを質問的にワタナベさんの意見を求めました。

 

 弾圧の暗さ、不屈性、伊藤から何を学ぶか、学費問題、伊藤の最期…これらのぼくの身勝手な問いに、ワタナベさんがどう答えたか

 以上のぼくの問いに対するワタナベさんの意見については、この対談が動画として公開されるので、それを見ての「お楽しみ」にしてください。 

 

 ワタナベさんと意見が一致したものもたくさんあります。

 戦前の天皇制の評価をセリフとして挿入することで、現在の天皇制への評価と誤解されてしまわないか、という点などはその一つです。

 

 あと、会場からの発言で2人の人が「ロシアの革命記念日に獄中で『赤旗の歌』を歌ったが…」とおっしゃられました。

 ぼくは5月中旬に見ていたので細部を覚えていなかったのですが、トークの時にワタナベさんに「え? あれってロシア革命の記念日でしたっけ?」と尋ねました。弾圧を受けた3月15日を記念しての獄中での反抗イベントだったのでは? と思いましたが、これはどうだったのでしょう。

 

 聞けなかったこととしては、伊藤千代子関連の史料には「伊藤千代」という表現がいろんな人から出てきます。文部省史料でもそういう表現になっています。これは単なる誤記なのでしょうか。ひょっとして戸籍名は「伊藤千代」だったりしないでしょうか、という疑問があったのですが、あまりにマニアックすぎるし、ワタナベさんは歴史考証家ではないので聞くのも変だなと思い、これは聞きませんでした。*1

 

 というようなぼくの無茶な議論にも、ワタナベさんは粘り強く付き合っていただきました。感謝しかありません。ありがとうございます。

 

 なお、ワタナベさんのパートナーのツルシカズヒコさんも来場されて楽屋でお話ししました。福岡市出身の伊藤野枝についてあれこれ聞くことができました。この点ももう少しお話ししたかったなと思いました。

 

 

*1:橋本淳治・井藤伸比古『「子」のつく名前の誕生』を読むと「子」を「女史」的な敬称としてつける場合があった。

「PTAはどう変わるべきか」:雑誌「教育」に書きました

 教育科学研究会編集の雑誌「教育」(旬報社)2022年6月号に「PTAはどう変わるべきか」というタイトルで執筆しました。

 この文章は「保護者の願い、学校の現在」という特集の中の一文です。

 編集後記に次のようにあります。

保護者が学校という場で他の保護者とつながったり、子どもと教育について教師と語り合ったりする機会がコロナ禍によって少なくなった。いやコロナ禍前からそんなつながりはなく、PTAは不要だという声もある。保護者にとって学校はどういう場になり得るのか、特集1で考えた。

 

 西郷南海子「わたしたちのPTAが生まれるまで」、今関明子「ようやく見えてきた保護者の役割」の二つの文章とともに、拙稿を含め、合計で体験的文章が3本載っています。これに一橋大学の教員である山田哲也の「『知識基盤社会』像をどう編み直すか」という巻頭論文が組み合わさっています(これ以外にもリレートークや論文がありますが)。

 前述の編集後記は続いています。3つの体験的文章をまとめつつ、そこに共通するテーマを次のように描き出しています。

西郷さんは、学校での不十分な性教育が学習指導要領の縛りによるのならPTAでやろうと保護者と子ども対象の2段階で学習会を行なった。今関さんはの共著者『PTAのトリセツ』には管理職と一緒に学校運営に参加するPTA改革が報告されている。木川南小学校の保護者たちは数字で成果を求める大阪の教育改革ではなく、一人ひとりの子どもに寄り添う久保校長の教育を支持している。紙屋さんは教育の共同の組織になっていないからPTAに加入していない。ここに共通している願いは、学校の下請けではなく、「知識基盤社会」像を揺さぶるような、教育のあり方を問いつつ学校を教師とともに創っていく親の学校参加である。

 

 PTAに加入していないことを知ってのぼくへの依頼でしたので、ぼくは最初、任意加入問題を中心に退会の経緯などを書いたほうがいいのかと思いながら第一稿を渡しました。

 しかし、編集の方からは意見があって、メールでのやり取りを読みながら、保護者と学校の共同のあり方を軸にしたものを求められているのだと思い直し、二度ほど書き直しました。

 したがって、今回の原稿は任意加入問題というより、教育要求に対応する組織としてぼくがPTAに感じている「失望」を書く形になりました。

 簡単に言えば、PTAで話されることは形式的な議論に流れてしまい、自分が本当に聞きたい、あるいは共同の中で検証され批判されたい教育上の悩みには応えてくれない、という不満です。

 例えば、受験に代表されるように「自分の子ども」という視点からだけ孤立して捉えられがちな親の教育要求があります。親が学校や教育に感じている不満や要求は大事だけど、それはそのままの形でいいのか、ということです。その要求は他の保護者との対話の中で批判されたり、検証されたりして、見つめ直されるべきだし、もっと言えば専門家である教師からの意見で批判されたいという気持ちがあるのです。

 そういう深い議論がなかなかできないという悩みです。

 巻頭の山田論文に次のようにあります。

不安をベースに「自分の子どもだけはサバイバルして欲しい」とよりよい子育て・教育を求めると、社会的な分断が生じ、「子育ての罠」*1に陥ってしまう。それを回避するためにも、利他主義をわが子だけに適用するのではないかたちで、知識の習得・産出の別ような道筋を模索しなければならない。

 

 そして、そういう議論は、保育園の時はあったなあと思ったし、それはそもそも戦後の教育改革がPTAに求めていたことではなかったかと思いました。

 他方で、そんなふうにPTAが変わるとは思えない(特に役員にならずに「いち会員」という立場のままでは)という不信も書きました。

 その迷いのまま、文章を閉じています。

 

 

 

 機会があればぜひお読みください。

*1:高等教育へのアクセスがより良い雇用条件になっていき保護者がそのための教育を求めると政策介入なしには格差が一層拡大するテコになってしまうこと。