和田文夫・大西美穂『たのしい編集』

 編集・DTP・校正・装幀についてのエッセイ。出版や書籍の将来についても書いている。

 

たのしい編集 本づくりの基礎技術─編集、DTP、校正、装幀

たのしい編集 本づくりの基礎技術─編集、DTP、校正、装幀

 

 

 ぼくはイラストレーターというソフトでチラシを作って業者に入稿することがある。レイアウトとか使う書体とか字間とかそういうデザイン的な要素は完全にシロウト仕事である。たぶん、プロから見るとめちゃくちゃな作法でやっていると思う。だが、「早く、安く」を至上命題にしているので、やむをえない。別に製作者の署名も入らねえし。

 

 だから、本書で示されているようなプロの思いは、耳が痛い。「そこにプロは目がいくんスか…」みたいな。

 例えば「自己顕示しない書体」(p.42)。

 チラシの本文を適当な明朝体で埋めてしまうのが、シロウトというものである。ぼくなどは惰性でだいたい「ヒラギノ明朝 Pro」の「W3」あたりをアウトラインかけて入稿する始末である。

 

自己顕示しない書体こそ、求める書体といえるかもしれない。一方で、読みすすめるのがやっかいな版面もあるのだ。文字の集まりが汚いとかきれい以前に、内容がさっぱり頭に入ってこない、あるいは読みすすめるのが苦痛になる紙面にならないよう注意したい。書体、字間、行間、文字ヅメ、行ドリ、余白など、さまざまな要素でなりたつ版面。それは、紙面という風景のなかで、読み手の意識をどんどん前にすすめてゆく地平を提供しているのだ。(p.42)

 

 これは書籍の話だが、チラシはどうだろうか。

 チラシは版面全体が送り手の文化圏を表す。

 ダサい版面には、ダサい文化圏からの発信になるので、「あ、自分と違う文化だな」と思うと受け取ってくれなかったり、共感度が下がったりする。

 サヨクであるぼくは、高齢者とごいっしょに政治チラシを作ったりするのだが、高齢者左翼のみなさんがワードなどで作ってくるチラシは、「手作りミニコミ風」「絵手紙風」を究極の地位に置いているような感じがある。和気藹々と地元のほっこりニュースを入れたりして、それにふさわしい版面になる。たいてい書体は何も考えずに「MS明朝」である。

 うーん、いいんだけどね。それが味として受け取られている層は確実にある。

 だけどそのまま、若い人・子育て層向けのチラシもこれで作ろうとしたりするので、圧倒的な違和感が生じてしまう。受け取った子育て層は、「ああ、自分とは別の文化圏の人が何か言っているな」的な受け取りをしてしまうのである。

 その場合、書体は主張してくれた方がいい。若い人向けの書体ということだ。

 それに自信がない場合は、やはりここの著者(和田)の言うように「自己顕示しない書体」として存在感を「消して」もらうしかない。

 

 

 個人的に「そうだったのか」と教えられる知識もいっぱいあった。

 例えば画像をどの形式で入稿したらいいかとかいう話。TIFFなんだそうである。大昔、まだページメーカーというソフトを使っていた頃、TIFFでよく入稿していたが、今はもう全てJPEGである。「JPEGは劣化する」と昔誰かが言っていたのだが、ここでも同じこと(「JPEGは、圧縮のときはもちろん、開いて保存するたびに劣化しちゃいますからね」と和田の対談相手、尼ヶ崎和彦が述べている)が書いてあった。そうなのか。

 

  あと、誤字。本書p.184-185の表は、かなり誤用の方を使っていた。あるいは「そう言われれば」という感じですぐには気づかなかったりした。「それにも関わらず」「豪雨の恐れ」「胸踊る」「出席者に配布する」「先立つ不幸」「指を食わえる」「彼は口先三寸だ」などである。

 

 エッセイなので、縦横無尽に話が広がる。

 著者の「畏友」・渡辺順太郎と著者が山道を一緒に登った時、渡辺が「仏陀に逢ったら仏陀を殺せ、というからな」と発言していたことを本書で紹介している。

 その言葉の意味がすぐに気になった。

 そして、その真意はすぐ後に著者・和田が『臨済録』の解説書の中に次のようにあるのを紹介していた。

 

達磨の墓塔を訪れたとき、臨済は「仏も祖も倶に礼せず」と断言していた。だが、それは、「仏」や「祖」という外在的な権威を認めない、というだけのことではない。

 

  ぼくはすぐ「外在的な権威を認めない」という意味なのかなと思ったので、それ「だけ」のことではない、という箇所にさらに惹かれた。こう続く。

もし、それを敷衍して、自らの内なる仏祖を信ぜよ、などと説いたならば、臨済から直ちに一喝されること必定である。外のみならず、自らの内にもそうした聖なる価値を定立しない。それが臨済の立場だからである――

  この2箇所の引用はいずれも小川隆臨済録――禅の語録のことばと思想』岩波書店、2010年、p.147、21からである。

 和田はここで編集者と著作者との関係について話を移していくのだが、ぼくはこのくだりを、仏教(とりわけ臨済)というものの無神論ぶりに驚く材料として読んだ。何事にも固執しない自由な精神によって妄執から逃れるのであるとすれば、それを自分の中の「神」や「仏」を定立させることに頼らずに、精神のコントロールによって実現しようとしているように思えたからである。これはすごいことではなかろうか。

 ゆえに「仏陀に逢ったら仏陀を殺せ」ということを仏教のことばとして考えると凄みあると思ったのである。

 

 こういう自在なところも、随想としての本書の面目躍如だろう。

石原俊『硫黄島 国策に翻弄された130年』

 ぼくが選挙に出た際に自分の戸籍を眺めていたら自分の出生場所に違和感(というほど大げさなものではなく「あれ?」程度のものだが)があったので、親に尋ねたら、高須克弥が現理事長を務める病院で自分が生まれたことを知った。

 その高須克弥であるが、ぼくは「スペリオール」を毎号読んでいて、西原理恵子「ダーリン」シリーズには必ず目を通す。

 同誌2019年1月25日号での西原「ダーリンは74歳」は、高須・西原カップルが硫黄島を訪ねる回だった。

 この回もいつものサイバラ節で、どのコマでも大はしゃぎするカップルが描かれるが、摺鉢山で合掌する「かつや」は、他のコマとトーンがちがって神妙に描かれている(下図、前掲誌p.377)。そこにこの作品の感情の特別性が現れている。

 

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 そしてそこを管理支配している自衛隊への感謝と賛美が繰り返されている。

 つまり高須克弥において硫黄島とは「地上戦」であり「自衛隊なのである。

……と高須克弥を笑って(?)いられないのがぼくである。

 

ぼくの硫黄島認識

 ぼくはそもそも硫黄島を「いおうとう」と読むことさえ知らなかった。「北硫黄島」「硫黄島」「南硫黄島」などからなる硫黄列島であることも知らなかった。政府の宣伝を信じていたのかもしれないが、「人も住めない島」というイメージがあり、漠然と「火山活動や硫黄などで生活が長くできない」ように思っていた。なんの根拠もないが。

 硫黄島のイメージはまさにアジア・太平洋戦争末期に「米軍の島嶼占領を許さぬために日本軍が立てこもって強固な抵抗をし、凄惨な地上戦が行われた島」ということだけだった。よくある「アジア・太平洋戦争の経過を振り返る映像」の中でその一コマとして眺める程度だった。

 

 石原俊による本書『硫黄島』はぼくのようなイメージをひっくり返すために書かれた本である。

 

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

 

 

 

本書の目的は第一に、硫黄島をめぐるイメージを、長らく日本社会で支配的であった「地上戦」言説一辺倒から解放することにあった。(p.199)

 

 

 硫黄島にどのようにして人がすみ、どんな社会が形成されたか、といういわば「地上戦」の「前史」(本書を読めばわかるが、それは「前史」ではあり得ない。)を知ることで、「『地上戦』言説一辺倒」、ましてや硫黄島が「不毛の地」であったかのような印象が打ち砕かれる。

 特にぼくがその点でインパクトを受けたのは第2章「2 硫黄島の生活の記憶」「3 北硫黄島の生活の記憶」だ。

 

筆者が強制疎開前の生活経験の記憶をもつ二〇人以上の島民にインタビューしたかぎりでは、基本的な衣食住に困窮するケースは少なかったようだ。(p.49)

 

須藤*1さんは地上戦前の硫黄島を、「暮らしはいい所だった」と強調する。(p.55)

 

家畜の「豊かさ」が妙に印象に残る

 その中でも、家畜類の育ち方について妙にあれこれ想像してしまった。

 

家畜家禽類では、牛・豚・鶏の飼育がおこなわれていた。牛には島内に自然に生えている青草が、豚にはパパイヤやタコノキの実が、鶏には島内いたるところに生息するカニやバッタが餌となるため、飼育にはほとんどコストがかからなかった。……小作人層にとって最も日常的なタンパク源は、鶏の卵であった。鶏に関しては放し飼いが主流で鶏舎はなかったので、卵を適宜回収して食べていたという。また、必要に応じて鶏を絞めて肉を消費していた。(p.50-51)

 

 へー、鶏が餌の心配なしに「飼える」んだー。自分がもし硫黄島で生きていくとしたら…と想像してしまう。

 『この世界の片隅に』の監督である片渕須直が、戦前写真に写った本土女性たちの肉付きの状況を見て“コメばかり食べている”という趣旨のことを言っていて、それは逆に言えば本土の人たちというのはタンパク質があまり摂取できないんだろうなと想像した。だから、タンパク源にあまり不自由しない硫黄島の生活ということが、ある種の「ぜいたくさ」としてぼくにはイメージされた

 これらの島民の生活の「豊かさ」が生き生きと書かれた部分が本書の中でも硫黄島の戦前イメージとしては重要だと感じた。もちろん、これは硫黄島が楽園だという意味ではない。会社の支配や小作としての過酷さが基本にある。あくまで食料という点だけにしぼった一断面である。詳しくは直接本書を読んでその魅力を体感してほしい。

 このような本書の叙述が、「地上戦」一辺倒の言説だった硫黄島への見方からぼくらを解放してくれるのである。

 

 そして、このような生活がそこにあり、その上で、103人の島民が徴用され、生き残ったのは10人しかいなかった。つまり住民が動員され、戦闘に巻き込まれ、犠牲になった。

 そこから、著者・石原は「唯一の地上戦が戦われた沖縄」という言説が支配的であったことを批判する。

 これも全くぼくの不明であるが、「唯一の地上戦が戦われた沖縄」であると思っていた。左翼業界でも普通に使われてきたし、今も使われている。本書はその認識を更新させるであろう。

 

 

帰島を望む島民の存在

 本書のもう一つの目的は、「硫黄列島の視点から、日本とアジア太平洋世界の近現代史を捉えていく作業であった」(p.200)。

 日本帝国の「南洋」における植民地開発モデル、本土防衛の軍事的最前線、米軍による秘密核基地化、郷里に帰れないままの島民を置き去りにした日米共同の基地化という歴史が本書でわかる。(そしてここで行われている訓練(FCLP)の馬毛島への移転をめぐりまさに今ホットな話題になっている。)

 

 特にこの点では、戦後も硫黄列島に帰りたいという島民が存在し、社会運動として闘われてきたということをぼくは初めて知った。

 硫黄島自衛隊が訓練をしてきたことは知っていたが、その島にもともと住民がいて、帰りたいと願っているということであれば、その島についての認識はずいぶん違ったものになる。

 ぼくのような左翼としては硫黄島での軍事訓練を見る目は、単に「対米従属的な軍事訓練をやめよ」というほどのものであったが、住民の生活の場だったものが奪われているという認識はもっと根源的な問題を突きつける。

 石原が書いているように、

 

硫黄列島民は二〇一八年末時点で、すでに約七五年も故郷喪失状態に置かれている。現在の日本政府の不作為的態度は、硫黄列島民の一世が全員この世からいなくなるのを待つ方針、言い換えると硫黄島の生活の記憶が消滅するのを待つ方針であるといっても、不適切ではないだろう。(p.185)

 

ということになるからだ。

 硫黄島は「地上戦」ナショナリズム(というか高須克弥的なショービニズム)の場であることをやめ、むしろ沖縄的な色彩、「住民を巻き込んだ地上戦」「棄民」「秘密基地化」というイメージをまとって現れてくる(このような規定自体を石原がしているわけではないと思うし、こうした安易に似せた比喩にすることを石原は是としないかもしれないが)。

 

 そういうわけで、ぼくはまんまと石原の企図した通り、硫黄島について「地上戦」一辺倒の言説からも解放されたし、それをぼくなりに、というかぼくのなかにある紙屋流近現代日本史の中にその位置を据え直すことができた一冊となった。ひとの歴史認識を更新させるという意味において(単なる知識の増量だけでなく)、コンパクトながら破壊力のある本だ。

 

 なお、本書にある通り、硫黄島は人が生活するには適しない島のように政府側(正確には「小笠原諸島振興審議会」とそれにもとづく閣議決定)が判断して帰島を許さないわけだが、島民は必ずしも納得していない。「基地として最適な島」を手放したくないという政権の意向がまずあって、そこから忖度された結論のようにぼくには思われた。

 そのような前提を外して、全く自由に議論すべきだ。

 まず島民が納得できるまで徹底して議論し、もし帰島できるという結論が出ればそこはもともと住居地なのだから自衛隊は利用を制約されるか、撤退するべきであろう。

*1:章。著者・石原がインタビューした島民の一人。

たみふる『付き合ってあげてもいいかな』1

 大学の軽音サークルに入った「みわ」と「冴子」という女性2人がつきあう話である。

 

付き合ってあげてもいいかな(1) (裏サンデー女子部)

付き合ってあげてもいいかな(1) (裏サンデー女子部)

 

 

 同性同士であることの困難や社会的な摩擦は、ぼくからするとわりと「あっさり」乗り越えられていくので、ぼくがこの作品を「性的マイノリティの物語」として読むことはまずない。

 読者であるぼくは「みわ」と「冴子」のどちらかの視点にスイッチしながら読むという、完全にぼくにとっての「百合」の読み方になっている。もっと言えば、時には「みわ」を恋人として、別の時には「冴子」を恋人として(性的に)見るわけである(まあ、どちらかと言えば「冴子」目線なんだけど…)。ぼくにとっての同性である男性が排除された空間なのである。

 

 相手の体に触れたいとか、キスをしたいとかいう、恋愛初期の一番高揚した衝動をじっくりと描き込みながら、それを一方的なものでなくて、相手との合意によるコミュニケーションに落とし込もうとするのが、オトナな感じがして好感が持てる。こういう恋愛がしたいではないか、と思わせるのだ。

 

 2人はサークルの仲間や周囲から心配されたり、応援されている。そのあたたかい感覚も、読んでいて心地いい。

 今の多くの少女マンガを読んでいる時に、主人公周辺の女友達の共同体とは距離を感じる。いくらそこで主人公たちが支え合おうが慰め合おうが、自分と地続きのリアリティを感じることはあまりない。

 だが、本作を読んでいると、自分の大学時代のサークルのことも思い出しながら、それを裏返して理想化したような人間関係に思えてくる。こういう人たちに囲まれていたらさぞ幸せだったろうな、と。

 例えば2人の友人として登場する「リカ」が、高校時代の女同士の共同体にいることの「つらさ」から、大学に入って解放され、「うっしー」に出会うシーン。うっしーは、「声めっちゃキレイだよね!?」と手放しで「リカ」を褒めながら飲み会でバンド組もうよと接近してきた。「リカ」は高校時代の人間関係と違った、直截な関係があるのだという新鮮な衝撃を受け、つるみはじめる。

 高校的なものの批判者として大学が登場する。

 この感覚、久々に思い出した。

 

 この作品は、ぼくにとって居心地のいい人間関係に取り巻かれた空間としてあるのだ。

増本康平『老いと記憶 加齢で得るもの、失うもの』

 ぼくのような一般人には「歳をとる→記憶が衰える→物忘れが激しくなる→頭を使わなくなる→認知症になる」というような図式と不安がある。

 それにこうするために脳トレだ、という風潮もある。

 本書はそのような図式に対する批判であり、一般人への啓蒙だといっても良い。

 

老いと記憶-加齢で得るもの、失うもの (中公新書)

老いと記憶-加齢で得るもの、失うもの (中公新書)

 

 

 本書の前半を読んで、ぼくの拙い理解はこうだ。

 歳をとっても衰える記憶の機能と衰えない機能がある。

 記憶の保存の機能というのは、あんまり衰えない。

 脳のワーキングメモリ、つまり作業台は小さくなるようなので、若い頃はマルチタスクでやれていたような処理ができなくなり、そのために例えばメガネをふと置いた場所などを意識づけて覚えられなくなってしまう。保存の力はあるけど、入力の際に効率の良いタグ付けができないので検索しにくくなる。

 そういう状況に対して、脳トレをやってもあまり効き目がない。

 例えば、覚えることそのものをやめたほうがいい。メガネをいつも定位置に置くとか、補助ツール(スマホとかメモ帳)を使うとかする。

 ただ、若い人が物忘れをしないかというとそうでもない。年寄りはワーキングメモリが小さくなるけども、他のもので代替する。覚えるべきことの重要性を若い人より認識していたり、補助ツールを使うことを知っていたり、定位置に置くという工夫ができる。つまり代替する「知恵」が経験によって豊かになる。

 門外漢なので、正確にたどれていないのだけど、前半(の一部分)にはこういうことが書かれている。ここにあるのは一つは老いに対して脳トレをすることに批判的な著者の思いだ。もう一つは、老いによる記憶の低下というのはそんなに単純な話じゃないということ。最後に、老いてくれば代替になるものがあるので、必要以上に絶望することはないよ、ネガティブにとらえること自体が記憶の機能を悪くするよ、という励ましと警告だ。

 

 この本にはグーグル・エフェクトの話が書いてあるけど、ぼくも「自分が覚えている」ということに頼って用件を締め切りまでに処理することは怖くてできない。パソコンや携帯で自動的に締め切りを知らせてくれるようにしている。そして、終わったことはでかい手帳を買ってそこに日誌のようにつけていって頭からデリートしている。まあ、本来それはスマホやパソコンで一括してできるものなんだろうけど、日誌に絵を描いたり感想をメモったりするので、依然そこはアナログなのである。

 つまり補助ツールはすでに使っているし、自分の記憶にとっても主要なものになりつつある。

 老いても人は代替する知恵を発達させるのだから、「記憶が衰える」ということをそんなに恐れなくてもいいのだな、というポジティブな気持ちになった。

 

 そして、こうした加齢によるある種の記憶機能の低下(または維持)の問題とは全く別に認知症の問題がある。本書の後半の一部はこれに当てられている。

 過剰な期待をしてはいけないとしつつ、認知症*1の予防について書かれている。

 簡単に言えば、偏食をしないこと、運動すること、社会交流をすることなどである。特に社会交流の効果は大きい。

 テレビ見てぼーっと過ごしているのが最悪のようだ。

 なーんだ、町内会の活動やったり、社会運動やったりしてりゃいいんじゃん、と思った。それも楽しく。

 まあ、前も言ったけど、左翼活動って、組織で会議したり、人をオルグしたり、ビラ配りに階段を駆け登ったり、お食事会したり、認知症予防にバッチリだと思うけどなあ。「認知症予防に、あなたもコミュニストになりませんか?」ってオルグしてえ。

 

 本の最後は、高齢期の発達課題――人生の統合と絶望のバランスについて描いている。死や人生の後悔のようなものとどう折り合い、自分の人生をどうとらえるか、という感情のコントロールのことだ。

私たちは例外なく身体や認知の機能が年齢とともに衰え、健康状態も悪くなり、最終的には死を迎えます。この時期をどのように過ごすかが人生の評価には重要であり、これまでの人生が素晴らしいものであっても、最後の数年間の経験がつらいものであれば、人生はつらいものとして再構成される可能性があるのです。(p.165)

 よく「死ぬときに人は幸せなら人生は幸せ」みたいな教訓として言われるんだけど、本書を読んできてこのテーゼをもう一度噛み締めると全く別の「恐ろしさ」を感じた。がんで苦しむとか、パートナーに先立たれ孤独になる、ということをあれこれ考えてしまった。

 これは仏教が本来テーマにしてきたことだろう。

 これは本書を読んで考えてみてほしい。

 

 はじめにあげた「歳をとる→記憶が衰える→物忘れが激しくなる→頭を使わなくなる→認知症になる」という図式に対して本書でえられる批判としてはその図式の「記憶が衰える」というところが単層すぎること、そして「記憶が衰える→物忘れが激しくなる」という因果はないこと、そして「→認知症になる」というのは全く違うことがわかる。

 まあ、とにかく脳トレは意味がないのですよ(笑)。

 そんなことをやっている時間に、代替機能として「知恵」を拡大するための時間、認知症予防のための社会交流に時間を割いたほうがよっぽどいい。

 

*1:ここではアルツハイマー病のこと。

鈴木良雄『フルーツ宅配便』

 デリヘルを描いたマンガである。

 と書けば、デリヘルの「サービス」をしているシーンがあるマンガだろう、つまりポルノだろうと誰もが想像する。

 しかし、このマンガには性的なシーンは一切登場しない。

 せいぜい「事後」にピロウトークをしているシーンがある程度で、そこでさえ例えば乳首とか下着とか、そういうものは何も描かれない。

 作者がこのマンガにポルノ的な側面を持ち込むことをきっぱりと拒否していることがわかる。デリヘルという場にやってくるデリヘル嬢、客、スタッフの人生模様を、ニュートラルに描こうとしている。そこには悲劇もあれば喜劇もある。まあ、全体としてはペーソスが漂っている。デリヘルというのはやはり「人生の栄光」に結びつく場所ではなく、何かの苦しい事情がそこにあるからだ。仮に人生の希望ある再出発や人間の可能性を描く回があっても、やはりそこは「やり直す」という側面と結びつく。

 

 前から書いていることではあるけど、風俗産業を欲望一色で描くのではなく、それを告発したり、少なくともそこでの悲哀を描こうとしたりするなら、そのマンガから欲望の視線を極力排除すべきではなかろうか。

 戦争の悲哀を描くマンガなのに、興奮する戦闘シーンが入っているのに似ている。

 本作はその点で実に潔い。その一点だけでも賞賛に値する。

 

 本作は1話完結で、それほど波乱万丈な筋展開が毎回あるわけではない。

 例えば5巻を見てみる。 

 

 

 この巻には例えば、大食い選手権に出て吐いてしまうデリヘル嬢の話がある。「チェリモヤ」という源氏名、本名を「あやね」という。同窓会の旧友たちに友達が出場を話してしまっただけに、「吐いて失格」という惨めさが際立つ。あやねはデリヘル嬢という職業を人生の敗北のように考えており、出場はそこに差した小さな光のようなエピソードだったが、それも台無しになる。という展開だ。そこにラストがやってくる。ラストは明かさない。ただ、あやねにとって人生の救済になるわけではないが、台無しになった大食い選手権を埋め合わせる程度の小さな喜びをそこに見いだすことになる。その小ささが人生の悲哀感を出している。

 

 小さい頃に、父親に捨てられた「マンゴスチン」という源氏名、本名・ゆなという女性の話もある。

 父親はヤクザをしていて服役し、出所しているが今はもはや余命いくばくもない運命にあった。しかし、人生の終末を迎えてゆなに謝りたい気持ちでいっぱいであった。ゆなが金に困っていると聞いて、父親は病院を抜け出し質屋強盗をして大金を得る。「金は綺麗にしてある」と、資金洗浄した上で自分の兄(ゆなの叔父)を通じてその金と手紙を渡す。

…最後の頼みだ。頼むよ…

正直もう…

しゃべるのもしんどいんだ…

頼む。

その通帳はおれが生きた証なんだ。

頼むよ。

  父親は泣きながら兄に懇願する。兄はそれに打たれて引き受ける。

 父親は亡くなり、兄はゆなに手紙と金(通帳)を渡そうとするが、ゆなは事情を聞かずに、静かにそれを拒否する。手紙だけでもという兄の申し出も拒否する。

 それで終わりである。

 父親の破天荒と思える命の掛け方と謝罪・贖罪の仕方。

 そんな事情は全く知らないが、頑なにそれを拒むゆな。

 読者に放り投げるようにして終わる。

 そうかと思えば、仲の良い男2人の話。一人はデリヘル嬢と結婚することになる。もう一人もデリヘル嬢と付き合うことになる。しかし、最初の男は結局10万円を貸して女性が音信不通となり、後者の男はデリヘル嬢が今付き合っているDV彼氏っぽい男と別れるために利用されて終わる。「おれらバカかな…」と二人が酒を飲みながらつぶやく。

 

 終始こんな調子である。

 「デリヘル」というものに張り付いている印象を、縦横に使った作品だ。

 ディープな題材に振られたかと思うと、騙したり騙されたりする哀愁を漂わせた笑い話にしたり、「あなたならどうするか」のようななぞかけをしたりする。

 

 正直、それを軽く読みながら楽しんでいる自分がいる。読む際にエネルギーがほとんどいらないのである。読みやすい。だから、単行本が出たら買って読んでいる。時々思い返して読む。

 

 そして、絵柄や動きは、本当に乏しい。マンガのソフトで作ったのかと思うほど画一的である。構図も下図のように斜めを向いた顔が「斜めを向いている」と立体的に見えずに、円をかぶせてマスクしたみたいに見えてしまうときがある(上は、鈴木良雄『フルーツ宅配便』7巻、小学館p.70、下は同p.173)。

 

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 なかなかにひどいけど、まあ絵柄はたとえそうであってもいい作品なんだよということである。

 

 

 

 

 

西日本新聞の「随筆喫茶」にエッセイが載りました

 2019年1月13日付の西日本新聞の「随筆喫茶」というコーナーに「幻の生物」と題してぼくのエッセイが載りました。

 カブトエビについて書いています。

 そこで紹介しなかったカブトエビ生存戦略の一つは、干上がってしまう水たまりこそがカブトエビの生息場所だということ。魚がいないからですね。

 ただ、例えば鳥の足に卵がくっついて生息域を広げたりするようなので、別にそういう場所を意識的に選んだりするわけではないんでしょう。川や湖にも卵は運ばれるけど結局魚に食べられてしまうってことではないんでしょうか。

 

 あと、カブトエビ外来種です。

 つれあいは「科学雑誌のキットとして流行ったことがあるから、その時に広がったのでは?」という推論を述べていましたが、キットが流行ったのは1970年代以降(下記のサイトでは1979年に学研の付録として登場)。

www.gakken.co.jp

 すでにアメリカブトエビが1916年、ヨーロッパカブトエビは1948年、アジアカブトエビは1966年に日本に「侵入」しているので、つれあいの推論は成り立ちません……と言いたいところですが、国立環境研究所のHPには次のような指摘があります。

また、飼育キットの販売や雑草防除のための導入が行われており、これにより国内で分布が拡大している可能性もある。

www.nies.go.jp

 最初の侵入は別のところだけど、キット販売で分布が拡大した可能性はありそうです。なお、国立環境研究所HPによれば「侵入生物」の定義は「人間によって自然分布域以外の地域に移動させられた生物を『外来生物 / 外来種』『侵入生物 / 侵入種』『移入生物 / 移入種』などといいます」 というものなので、鳥に卵が運ばれた場合は「侵入生物」とはされないようです。

 

 当時近所の駄菓子屋のガチャガチャ(カプセルトイ)でカブトエビの卵が売り出され、興奮して買いました。

 しかし、結局何も生まれず、ひどく失望した記憶があります。

北村雄一『生きた化石 摩訶ふしぎ図鑑』

 生物がずっと姿を変えないとはどういうことかを考えていて、この本を読む。

 

生きた化石 摩訶ふしぎ図鑑 (「生きもの摩訶ふしぎ図鑑」シリーズ)

生きた化石 摩訶ふしぎ図鑑 (「生きもの摩訶ふしぎ図鑑」シリーズ)

 

 

 「生きた化石」と呼ばれる、昔から姿を変えていない生物についてエッセイ的(科学記事風)に取り上げている。

生物は体の設計書である遺伝子をもっています。この遺伝子に変化が起こると、生物は形を変えます。そして変化は、必ず起こります。つまり生き物は、本来、一定の姿を保つことができない存在なのです。(本書p.86-88)

 これはとても大事なテーゼ。あらゆる生き物は変化している。*1

 それなのに、姿(や生態)を変えない生物がいる。「生きた化石」がいる。

 どういうことか。

いつも同じ変化が有利で、いつも同じ変化だけが残される状況では、生物は形を変えません。この場合、生物は絶えず変化しているのに、何度やっても同じ姿に進化する、そういう状況に陥ります。(本書p.88-89)

 

 姿を変えないというのは、時が止まっているのではなくて、同じ姿を繰り返し選択し続けているという結果なのだ。

 ところが著者は、人に飼われるようになったネコが自然界では不利な色・柄のものが増えていることを例に出して、こう書いている。

ネコの例のように、自然選択、つまり進化の力が弱まると、生物はすぐに一定の姿や形や色を保てなくなる。(本書p.89)

 どういうことだろうか。

 姿が変わっていく選択をしていく場合もあるだろ? 例えばゾウの祖先が姿を変えて現在のようになったことと、ネコの例えはどう違うのだろう。

 著者の言いたいことはこういうことだろうか。

 ネコの場合、“いろんな色や柄のものが自然選択の洗礼を受けずに、多様に生き残ってしまう”ということだ。

 これまでの姿や生態のものだけが有利なので、それだけが生き残れる。そこからはみ出たものは生き残れない。

 しかし、変化したものが、たまたまこれまでよりも有利だったりすると、今度はそれが従来のものを圧倒してしまう。急激に全体が変わっていく。

 だから著者はダーウィンの考えを次のように要約する。

私〔ダーウィン〕の進化論が正しいのなら、急激に変わる生物もあれば、反対にまるで変わらない生物もいるはずだ、例えばシャミセンガイがそうだ(本書p.89)

 

 つまり「急激に変わる」のと「まるで変わらない」のとは同じ進化の作用だということで、多様化してしまうのは、進化=自然選択が働いていないということになる。わかりやすく言ってしまうと、その場合の変化は環境に対応したものが多分1種類だけが選択されることになるはずだ。ネコのように多様にはならない。もちろん生存戦略を根本的に変えるような激変の場合は、多様に分岐していくのかもしれないが、ネコの場合は環境に適応もできないのにただ多様になって(人間の保護によって)生き残って増えているだけなのだ。

 

 「まるで変わらない」というのが「生きた化石」なわけだが、ここで不思議なのは、なぜ「急激に変わる」という選択をしないのだろうか。

 著者は

競争相手がいない居場所で、長い長い時間を生き延びてきた生物、それが生きた化石です。(本書p.51)

としている。

 これもわかるようでわからない。

 「競争相手がいない居場所」といっても、他の生物は確かにやってこないような場所についてはそうかもしれないが、まさに自分たちの種の中で従来の姿よりももっと有利な変化をするものがなぜ現れないのだろうか、ということに答えていないテーゼなのだ。

 

 シーラカンスにおける進化が書かれているので、それで少し考えてみよう。

 シーラカンスの中で、マグロのような尾びれを獲得したレベラトリクスは、海を高速で泳いで獲物を捕まえる肉食魚に進化できた。他の魚たちよりも早い変化を遂げたのだ。大量絶滅直後、「他の魚たちがぐずぐずしている間に」(本書p.47)変化したのである。

 しかしすぐ絶滅してしまった。

 なぜなら、その後すぐに海を支配することになったサメに破れてしまったから。

 著者はこう総括する。

 

シーラカンスは進化して姿を変えることもできます。しかし、ライバルたちに負けてしまうので、結局、生き残ったのは以前と同じ姿のものたちでした。遺伝子は進化している。姿形を変えることもできる。しかし、姿を変えたものは負けて消えてしまう。ライバルで周りを囲まれているから、他の姿になることができない。つまり進化しているのに、いつも同じ姿に進化してしまう。(本書p.48-49) 

 

 なるほどと思う反面、これだけでは説明は不十分なような気がした。

 確かに「ライバルで周りを囲まれている」ので、ライバルたちのいる「周り」に出て行った変化組はやられてしまったのだけど、なぜ「周り」に出て行かなかった従来組はライバルから逃れられたのかは本書ではわからないし、「周り」に出て行かなかった従来組の中でさらに有利な変化は起きなかったのかは、説明されない。それとも進化にifはないから、説明はされないものなのだろうか。

 

 いや、あえて言えば、「周り」には出ないタイプのものの中で、従来のデザイン以外の姿形のものはおそらく生まれた。しかし、従来デザインを超えるほどの優れた適応はしなかったということなのだろう。ひょっとしたら1億年後にはそういうデザインが生まれるかもしれないが、数億年というスパンではその可能性は花ひらかなかったということなのだろう。それぐらい、従来型のデザインがそこへの環境の適応には優れていた、ということなのだ。何億年も過酷な自然選択をやり続けても結局従来デザインが選ばれてしまう。それぐらいすごいデザインなのである。

 

 ここで示唆深いことは、「変化」してしまったものがたちまち絶滅してしまったということであろう。「変化」しないことが、ここでは生存戦略になっている。

 

 本書にはカブトエビについての記述もある。

 以前ぼくはカブトエビに関して、谷本雄治の本について書いたことがある。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 谷本の本を読んだ時には気づかなかったのだが、本書を読んで改めて気づいたことは、

カブトエビは……定期的に干上がってしまう池や沼にだけすんでいます。(本書p.124)

ということだ。田んぼはその典型である。

 

こういう場所には魚のような敵がいません。水が干上がれば魚は死んでしまうからです。(同前)

 

 もちろんカブトエビも死ぬが、カブトエビはそこを「乾燥に強い卵」という戦略で生き残るのだ。しかも、水が再びきても(これは本書には書いてないが)卵のうちの一定数(谷本の本では3割)しか孵化せず、その環境が不利だった時のために、残りは取っておかれて、またその後で水が来た時に残りのうちの一定数(3割)のみが孵化する……という「保険」もある。

水がずっとある池にはすんでいません。多分、敵やライバルが多すぎてすめないのでしょう。だとしたら、カブトエビはずっと同じ生活をしなければいけません。(本書p.128) 

 これが当たった戦略だったということだろう。

 水がずっとある池にすめるように変化したら敵にやられてしまうのだ。

 変化しない、というのは実は進化=自然選択を繰り返し続けて毎回毎回選び続けられているという黄金のパターンを獲得しているということもである。別の言い方をすれば「競争相手がいないニッチな居場所」を見つけて、そこにすっぽりとハマる最適な姿と生態を早くから獲得した、ということでもあろう。(結局、著者が言っていることと同じことに行き着いた。)

 

 黄金パターンの戦略というのは強靭だ。

 迂闊な「変化」はいかにも脆弱だ。

 冒頭の問題、「生物がずっと姿を変えないとはどういうことか」についていろいろ示唆を与えてくれる本だった。

*1:別に弁証法的だからってことじゃないよw